雪国の風景
この数日の例年をずっと上回る(三月上旬ほどの)気温に恵まれ、日陰に溜まっていた根雪もほぼ融けてくれた。
我が家の屋根から落ちて積もって出来た雪山も、せっせと掻き崩し、日向へ運び、あるいは放り投げて、散らばらせて、昨日からの雨で、ほぼ消え去ってしまった。
← 富山市点景。1月19日。
と思ったのも、束の間、今日は朝から冷たい雨。
雨は、折々、霙(みぞれ)になり、雨になり、そして午後の四時前後頃からとうとう紛れもない雪になった。
(思わず、霙交じりの雨、あるいは霙交じりの雪、なんて表現を使いそうになったが、辛うじて思いとどまった。つい先日、それは誤った理解で、雨と雪が混ざった状態が霙、つまり、霙と表現した時点でそこには雨交じりをも含意していると知ったばかりだった。)
夕方六時過ぎ、トイレに立った際、外の様子を窺ったら、車や家々の屋根、樹木の葉っぱなどは真っ白に成り変っていた。
気温は0.6℃。明朝はマイナス2℃だとか。
まだ、路面は、舗装面も土の庭も、さすがに闇の中、黒っぽいまま。
それも、間もなく白い魔の海に没していくのだろう。
→ 富山市点景。1月19日。
白銀の世界ってものじゃなく、白魔の世界。
気温は零度ギリギリだろうか。
夜半を回ると、零下となるのだろう。
また、外の水道管の破裂(凍結)を避けるため、水をちょろちょろと流しっ放しにしないといけないかもしれない。
気温は、人間(や生物)にとって、微妙で且つ決定的なものだ。
人間にとって零度よりやや下から上の、せいぜい三十度(かギリギリ四十度)の中で、暮らしている。
二十度以上、特に二十五度を過ぎる世界と、十数度の世界は違う。
十度を下回る世界はまた、別世界の様相を呈する。
それが、零度前後となると、世界の相貌が一変する。
湿度や気圧配置、地形、土地の位置、標高その外によって、随分と様相は違うが、少なくとも我が富山にあっては、零度前後は、風景を一変させる臨界点なのである。
← 富山市点景。1月19日。松川縁にて。
北陸特有の曇天続きの日々。
晴れた日が珍しく思える日々が続く。
雲が多く、日中でも薄暗く、我が家の茶の間は北向きの窓からしか光に恵まれないこともあって、冬場はほぼ終日、部屋の明かりを灯していた。
茶の間の天井には蛍光灯が2本、セットされているが、日中は1本だけ点灯するのが、夕方になると2本目も灯されるという違いがあるだけ。
もっとも、今は父母もいないので、日中は灯りを灯すことは滅多にない。何か探し物をするとき、あるいは書き物をするときくらいのものだ。
夕方になると、蛍光灯を1本だけ、灯す。
自分だけだと、部屋をそんなに明るくする必要もない。
2本共、灯すと、部屋の中が白々しくなるだけ…、そんな気がするのだ。
→ 富山市点景。1月21日。富山市街地にて。
日中、外にいてさえも、分厚い雲が低い天蓋となって、人々を押し込める。
それでも、雪さえ降らないと、樹木の葉っぱの緑は識別できる。
南天の木の実が、それこそ血の雫のように深紅に輝く。
地面は真っ黒だし、窓の中に日は差し込まないので、家々の陰影は暗い相の中の微妙な変幻を呈するだけ。
そして、西高東低の気圧配置の最中の、北陸の、冬の日の零度を下回った時、世界は、水墨画の世界へ沈んでいく。
白と影の綾なす薄墨の世界。
外を歩く人も、降る雪に俯き加減となる。
重く沈鬱な雲が頭に肩に圧し掛かっているかのようだ。
← 富山市点景。1月21日。
その人はただ、足元を気にかけているだけなのだけど。
そう、雪の中、心までが白いわけじゃなく、むしろ家の中だけじゃなく、胸の中までが熱かったりする。
それが雪国の人。
参考:「真冬の明け初めの小さな旅」
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 宇宙物理学からいつしか人生論に(2025.03.26)
- バロウ『無限の話』三昧のはずが(2025.03.25)
- 第三の鮮度保持技術「ZEROCO」に刮目(2025.03.24)
- 終日家に籠っていた(2025.03.21)
- 焚き火代わりの柴ストーブ(2025.03.20)
「富山散歩」カテゴリの記事
- 雪と健診に翻弄された月曜日(2025.02.10)
- 重慶の前に錦州爆撃があった!(2024.12.22)
- ぬるま湯の茹でカエル(2024.12.19)
- 黒blackと炎flameはみな同じ語源を持つ(2024.12.17)
- 竹にまつわるエトセトラ(2024.12.12)
「写真日記」カテゴリの記事
- 宇宙物理学からいつしか人生論に(2025.03.26)
- バロウ『無限の話』三昧のはずが(2025.03.25)
- 第三の鮮度保持技術「ZEROCO」に刮目(2025.03.24)
- 終日家に籠っていた(2025.03.21)
- 焚き火代わりの柴ストーブ(2025.03.20)
「祈りのエッセイ」カテゴリの記事
- 沈湎する日常(2023.02.23)
- 日に何度も夢を見るわけは(2023.02.17)
- 観る前に飛ぶんだ(2022.10.25)
- 月影に謎の女(2019.12.26)
- 赤いシーラカンス(2018.08.30)
コメント
霙の意味、知りませんでした(冷汗)。
〉 そう、雪の中、心までが白いわけじゃなく、むしろ家の中だけじゃなく、胸の中までが熱かったりする。
〉 それが雪国の人。
雪国の人、熱いのですね。
同感です。
吉幾三の「雪国」が好きなのですが、いかがでしょうか?
投稿: 瀧野信一 | 2012/01/24 16:37
瀧野信一さん
まあ、雨(水)っぽい霙、という表現はギリギリ、OKかなと?
雪に降り込められて、子供たちにしても、公園など外では遊べない(限られる)。
夫婦(恋人同士)も、炬燵などの陰で、熱くなる?
吉幾三の「雪国」は、好きですよ。東北(雪国・最果て)の感じをよく表現できている歌手(歌)だと思います。
投稿: やいっち | 2012/01/24 20:29
富山連峰がすぐ望めるのですね。
東京は昨夜雪で、今年は異様に寒い冬。
去年の今母が死んだわけですがこんな寒くなかった。
もう異常気象が当たり前になっちゃいましたね。
そう、雪国の人は胸の中は熱い。
だから福島や宮城の人にも頑張ってほしい。心の中にも春はくると信じて。
で、弥一さん言葉が、舌づつみのように変化する問題、いわゆる、ら抜き言葉は
如何?見れる、食べれるーアナウンサーも使いますね
投稿: oki | 2012/01/24 22:40
okiさん
東京など関東は、寒くて、路面が凍結しているとか。
例年になく、寒いのでしょうか。
今年は偏西風が蛇行し、日本列島に大きく被さっている、その上、北海道の北東の沖合いに、高気圧が居座っていて(ブロッキング高気圧と呼ぶとか)、列島の上の寒気が列島から抜け出せない。
まあ、偏西風のイタズラなのでしょうが、今は耐えるしかないですね。
そうは言いながら、風邪を引いてしまって、今日は営業の日だったけど、仕事を休んでしまった。
喉、気管支が痛く、且つ、頭も痛い。
段々、鼻水も出てきて(熱は余りない)、明日も一日、大人しくしています。
夕方の時点で30センチ以上の積雪となっていますが、日中は、除雪も全くしませんでした(できなかった)。
雪国、北陸の人は我慢強いというけれど、東北はもっと我慢強い。
とにかく、今を乗り切って、再生してほしいです。
「れ」の問題、若い人たちがいい加減なのは、時代の趨勢なのでしょうが、アナウンサーはプロなんだから、ちゃんと表現しないとダメですね。
時代につれ言葉(表現)は変わるのは常なのでしょうが、年配の人たちは(喋りのプロも含めて)意地でもちゃんと表現しないと。
若い人たちと年配者とのせめぎあいの果てに、言葉は変わるものだと思うのです。
なので、自分としては、杓子定規な用法を心がけたいと思っています。
投稿: やいっち | 2012/01/25 20:44