悴(かじか)む手(前編)
以前、「悴(かじか)む」という言葉を巡って、雑文を綴ったことがある。
「悴(かじか)む」は季語なので、一応は季語随筆を気取ってみたのだが、書き出してみると、いかにも小生らしく、駄文調の、まさに雑文。
→ 広重『六十余州名所図会 越中 富山船橋』 (画像は、「国立国会図書館のデジタル化資料」より)
この小文を書き連ねたのは、7年前の1月23日。
僅か7年の歳月を重ねただけなのに、体(力)の上で随分と違いを感じる。
体力の衰えは歴然たるものだが、それは動かなければ、そんなには感じない。
でも、動かなくとも感じさせられるのは、寒さに対する弱さ。
7年前はまだ東京在住時代だったし、その僅か3年後に帰郷を迫られるとは夢にも思っていなかった時期。
ただ、盆や正月、五月など、折々に帰省はする。
正月前後の帰省は、当時でも辛いものがあった。
何が辛いって、田舎の家で小生が過ごす部屋が辛かったのである。
その部屋は、南西の角部屋。西日の差し込む部屋。
西日は、冬はありがたいが、廊下越しだし、廊下の外には、内庭(裏庭)があって、日差しが遮られる。
三十年ほど前に改装されたが、もはやとっくにその甲斐もなくなっていて、床(畳)は、歩くとミシミシ鳴ったりはしないものの、床面の歪みを実感させられる。
うっかりすると、歪み(傾き)のせいで、体がグラッときたりする。
障子戸はとっくに茶褐色になり(小生自身が張り替えない限り、古びていく一方)、障子自体、まともに開閉できない。
桟も下がってきているのか、開閉に苦労するのだ。
仏間も座敷も奥の床の間も、茶の間も廊下も、何処もかしこも傾きを感じさせられる。
そんな奥の部屋は、小生が帰省の折にだけ使われる。
つまり、普段はひと気がまるでない。
父母、特に母はもう、数年来の体調不良で、以前のようには、帰省の折に、布団を干すとか、部屋の掃除をするとか、机に花を生けるとか、そんな心遣いは叶わなくなっている。
まあ、それは仕方がない。
自分でストーブを用意し、灯油を注ぎ、部屋を暖める。…ってこともない。
というのは、石油ファンヒーターは父母の寝室にしかない。
エアコンは、父母の寝室と茶の間にしかない。
つまり、小生が帰省の折に使う部屋には、暖房がない。
古びた電気ストーブを持ちこんで、「強」にして暖める。
暖めようとする、のだが、生憎、部屋が8畳(半端なのは、9畳の部屋に押入れが組み込まれているから)と広い。
障子戸は、上記したように、障子紙も破れ、戸もまともに閉まらない。
小生は寒い部屋が耐えられず、茶の間に居つくか、外出を余儀なくされるか。
夜、部屋に引き篭もる際は、電気ストーブをオンにしつつ、毛布に包(くる)まる。
← 富山市の中心部(松川沿い)で待機していたら、土手の一角に白鷺(?)を見かけた。エサ、見つかる?
その電気ストーブも、寝る際には、消す。
と、部屋は(もともと大して暖かくなかったのが)一気に冷え込む。
就寝して三十分もしないうちに、吐く息が白くなるほどに寒い。
なのに、トレーナーの上下を着込むだけで、布団に潜り込んでいるのだ。
被るのは、毛布一枚とタオルケット。
どうしてあんな部屋で、数日とはいえ、耐えられたのか、もう今では想像だにできない。
もっとも、毛布に包まってしまえば、しばしの我慢は必要だが、そのうち、体が末端から(も)ポッポしてくる。
何故だか知らないが、手先も足先も含め体全体が内部からの熱でだろうか、ポカポカしてくる。
ほんの数年前までは、そんな状態が期待できたし、実際、そうだった。
ただ、手先や足先がちょっとでも毛布から食み出すと、途端に一遍に冷えてしまう(だから、読書は辛かった。よほど、手袋して読書しようかと思ったこともあったが、試してみると、頁が捲れず、読みづらい)。
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コメント
弥一さんが富山に帰られて、もうそんなに経ちますか。
うちもだだっ広い部屋に一人寝てますけど、電気毛布入れてます。
そうそう、真夜中目覚めると、体暖かいんですよね、不思議。
僕はもともと寒がりで、子どもの頃はあかぎれとかできました。
冬の体育が苦手でしたねー
今日無事母の命日お寺さんに行って来ました。
投稿: oki | 2012/01/18 22:12
okiさん
帰郷して、はやくも4年です。
父母が亡くなってからでさえ、もう、一年と半年。
歳月は、ちゅうちょなく、ためらいもなく、知らぬ顔で過ぎ去りますね。
okiさんも、もう、ご母堂の命日なんですね。
電気毛布。暖かそうだけど、体が乾きそうだし、どっちにしても、毛布から出た手が寒い、ってことは、本を読めないだろうってことで、買うのはためらっています。
子供の頃って、どうしてアカギレとかするのかな。
大人になってからのほうが、アカギレ、しそうなのに。
投稿: やいっち | 2012/01/20 04:15