「山手線に新駅」にちなんで(後編)
昨日の日記に書いたように、元旦、ル・クレジオの『調書』を読了し、同日、早速、本書『地上の見知らぬ少年』を読み始めた。
← J・M・G・ル・クレジオ著『地上の見知らぬ少年』 (鈴木 雅生 訳 河出書房新社)
本書は既に昨春、図書館から借り出して読了済みである。いたく感銘を受けたので、どうしても所蔵したくて、昨年末、購入。
買った以上は、読みたくなる、というわけで、読み始めたのだ。
小生のささやかなル・クレジオ読書歴は、「ル・クレジオ…物質的恍惚!」を参照のこと。
さて、昨日の小文の続きへ!
田町駅(界隈)と品川駅(界隈)とは、随分と離れていて、それぞれの界隈は賑やかだったりするが、その間は、またやたらと寂しい。
なんたって、山手線の広大な車両基地があったり、バス会社があったり、などで、両駅間の2.2キロメートルは、やたらと寂しいのである。
さて、港区海岸にある会社へのルートは、やがて一つ、増えることになった。
→ 「山手線に新駅を検討 品川−田町間 40年ぶり」なるニュースを報じるテレビ画像。本画像のやや左手辺りに、地下道があった。
というのは、田町駅と品川駅のほぼ中間に、鉄道工事の際に使っていたらしい、地下道がある。
それは、80年前後には既に久しく一般に開放されていて、車も通れる。
但し、山手線の内側から外側(海岸側)への一方通行であり、しかも、地上高さは1.7メートルもあったかどうか。
なので、通れる車は乗用車(ワンボックスは、無理)に限られるし、人も、人によっては(小生もだが)、頭をやや傾げないと、頭が擦れるので、歩けない。
地下道には、それなりに照明もあったが、小生がその存在を知り始めた頃(80年代初め)は、薄暗いし、天井から水が垂れてくるし(という印象で、雨上がりの日に限ったかもしれない)、人の通りはやたらと少ないし、とにかく通るのに、若干の覚悟が必要だった。
でも、田町駅と品川駅を結ぶ線を挟んで対角線上の位置にある我が自宅と会社とは、その地下道を通ると、最短となるので、歩くとなると、多少、人影が少なかろうと、薄暗かろうと、使うに限る。
上で自宅から会社へ歩きでも40分と書いたが、この最短ルートを通った場合の話である。
急ぐ場合は、会社からバスで田町駅、そこから歩いて自宅へ、という方法を取ったりする。すると、上手くいくと、30分という夢の数字が叶うこともあった。
会社へ入って一年となる82年の四月に、オートバイを買った。
それからは、雨の日も風の日も、飲み会の日も(!)、オートバイを使った。
(飲み会のあと、酔い覚ましに缶入りのジュースかお茶を飲み、しばらく休憩して、会社へ向かい、予め空き地に止めておいたオートバイに乗って帰ったものである。翌朝も、オートバイで通えるように!)
両駅間の中途にある地下道は、利用頻度は高かった。
歩きでも便利だし、会社へ行くにも近かったし、やがてタクシードライバーになってからも、その地下道を使うかどうかは、距離と時間上、随分と違うので、利便性が高かったのだ。
小生が海岸にある倉庫の中の会社へ通い始めた80年代初頭は、海岸近辺はとても寂しい町だった。
とにかく人影が少ない。
通る車は、輸出入関係の業者の車、トレーラー、コンテナーである。
歩いていて、他人と行き逢うことは滅多になかった。
たまに女性が歩いているのを見かけると、わけもなくドキドキしたものである。
← ホームセンターで買ってきた融雪ホースは機能しているのは、当然として、手作り(?)の融雪ホースも、それなりに頑張ってくれている。今は、水は水道管の凍結(による水道管破裂)予防のためチョロチョロ流しているだけ。本格的な降雪となったら、流す水も流量を増やすことになる。
そんな田町や品川駅界隈も、小生が引っ越して間もない頃から、驚くほどに賑やかになった。
高層ビルが立ち並び、新幹線が止まり、京浜急行が羽田へ直行し、タクシードライバーになって、何かの折、品川駅に降り立つと、あまりの綺麗さ、豪壮さ、お洒落っぽさに、圧倒されて、自分が貧相に感じられるほど。
高輪時代のオートバイを乗り回していた自分と、大田区に引っ込んでからの、スクーターそして自転車を駆る自分との落差を痛感させられた。
あの高輪時代の自分はあまりに遠い。
思い出があまりに染み込んだ、泉岳寺近辺に山手線の新駅ができる。
きっと、自分が居た当時の面影は、綺麗に消え去ってしまうのだろう。
寂しいけれど、時代なのだと言うしかない。
高輪居住時代関連拙稿:
「岡本綺堂『江戸の思い出』あれこれ」
「東京は坂の町でもある」
「清正公信仰とハンセン病」
「2.島崎藤村『春』を読みながら」
本文中で言及している地下道については:
「「高輪橋架路橋」はスゴイ!(とんとん・にっき)」
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 何十年ぶりにマフラーの登場(2024.12.11)
- 柴ストーブを脇目に数学エッセイを堪能する(2024.12.10)
- 俳優の中山美穂さん死亡(2024.12.09)
- しらすとちりめんじゃこの違い(2024.12.06)
- ハン・ガン著『菜食主義者』を読んだ(2024.12.05)
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 更新世パークとは(2024.09.03)
- 数学は数楽じゃなく、音楽は音学じゃない(2023.10.03)
- 歳暮……雪囲い作業やり直し(2021.12.16)
- ハーンのイギリスへ嘗ての中国へ(2020.05.30)
- 山村…古道を歩きたい(2020.05.22)
「思い出話」カテゴリの記事
- 入浴も体力消耗の因?(2024.11.28)
- タクシードライバー談義(2024.11.19)
- 玄関の戸(鍵)を交換(2024.11.17)
- 柳 宗悦著『民藝四十年』に学ぶこと多し(2024.11.11)
- 早くも暖房に縋る(2024.10.21)
「写真日記」カテゴリの記事
- 何十年ぶりにマフラーの登場(2024.12.11)
- 柴ストーブを脇目に数学エッセイを堪能する(2024.12.10)
- 俳優の中山美穂さん死亡(2024.12.09)
- しらすとちりめんじゃこの違い(2024.12.06)
- ハン・ガン著『菜食主義者』を読んだ(2024.12.05)
コメント
ルクレジオの本、お買い上げになりましたか。僕は名前しか知らないですがよほどお好きなのですね!
山手線っていつ出来たのでしょうか?
山手線って言うとホーム転倒防止柵が思い出されますね、新大久保でしたか、ホームに転倒した人を救おうとして命おとされた方いましたね。
そもそも山手線は頻繁に電車が来る。で、前の電車がつかえているので時間調整で、しばらく止まりますなんてしばしばある。
それだけ都会は山手線利用する人が多い、多すぎ。
という訳で、いろんな意味で首都分散がいい。
弥一さん、水明庵に記事書かれていましたが、難波田史男なんていかがですか?
投稿: oki | 2012/01/07 22:01
oki さん
ル・クレジオ熱、しばらく続きそうです。
さて、山手線、富山に来て、あらためてその乗客数や便数の多さ、時間の正確さを再認識させられます。
こちらは、市街地というと、バスかライトレールだけだし。
東京は、まだまだ発展しそうですね。
一極集中はまだ当面は続きそうです。
といいつつ、小生、東京在住時代は、オートバイやスクーターの利用が圧倒的でした。
田町・品川間も、京浜東北線が便利だった。
だって、家が大田区にあったからね。
朝の通勤時間帯の山手線や京浜東北線の混雑振りは、異常なものでした。
あの混雑で実際に<体験>したことをもとに、こんな小説も書いたっけ:
http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/2012/01/post-fbba.html
投稿: やいっち | 2012/01/08 20:47