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2011/08/27

久しぶりに書店へ(前編)

 この数日、やや体調不良ということもあり、今日は完全オフ。
 ほぼ終日、ダラダラしていた。

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← 仕事で呉羽山を登った。絶好のドライブコースで、富山市内を一望できる。

 知人のお見舞いとか、親戚の家へ挨拶にとか、庭や畑の世話とか、家の補修とか、用事は嫌って言うほどあるのだが、全て忘れて、体の養生に専念。

 さすがに、午後も二時近くになったら、ロッキングチェアーでの転寝(うたたね)、居眠り、惰眠を貪ることにも飽きて、外出することにした。

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2011/08/26

『逝きし世の面影』…

 今日は母の月命日。
 仏花や仏飯を供え、蝋燭を灯し、茶菓子も添え、仏壇に向かって、しばし瞑目。
 お彼岸も命日も、一人で祈る。

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→ 「A Japanese family scene in common life 」『Ten Weeks in Japan』(George Smith, 1861) 過日、読了し、紹介した渡辺 京二【著】『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)には、往時(江戸時代や明治の初期)の日本の面影を偲ばせる絵が多数、掲載されている。

 仏壇には、父母の遺影写真やお骨が。
 
 今日の仏花は、(名前は忘れたのだが)いつもと違って、やや派手な色彩の花を供えた。
 深紅の花と、紫(濃い青)の花と。

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2011/08/25

ウィンスロー・ホーマーなるアメリカの画家はご存知?

 ウィンスロー・ホーマー Winslow Homer (February 24, 1836 – September 29, 1910) は、19世紀アメリカの傑出した風景画家、且つ、版画家。
 ある画家のことを調べようとしたら、偶然、以下のサイトをヒットした:
THE BLUE LANTERN Winslow Homer At Houghton Farm

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← Winslow Homer『The new novel 』(1877 Museum of Fine arts, Springfield, Massachusetts) ホーマーの世界は、アンドリュー・ワイエスのような、乾いた抒情ではなく、もっとウエットで親しみのある世界。

 アメリカはニューヨーク在住のJane Librizzi さんが紹介するアートの世界の中の一頁に遭遇したわけである。

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2011/08/24

診察の待ち時間(後編)

 その日、愚痴を零された方は、内臓の病の方。
 ただでさえ、体が憂くてならない。それなのにずっと待たされ、辛かったという。
 
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← カール セーガン (著)/アン ドルーヤン (著),『はるかな記憶―人間に刻まれた進化の歩み〈下〉』( 柏原 精一/三浦 賢一 /佐々木 敏裕 (翻訳) 朝日新聞) 「愛・献身という「人間的な」性質だけでなく、暴力・差別などの「非人間的な」側面をあわせ持つ人間。この予盾に満ちた性格はどこから来たのだろうか。最新の科学の成果をもとに、「人間性の起源」を解きあかす、待望の書」という。十数年前、読んだ本。帰郷して、古い蔵書から、あれこれ選んで主に車中で再読している。画像は、下巻のものだが、今は未だ、上巻を半ばほど、読んだところ。データ的には古くなった面もあるが、セーガンの良さは、幅広い観点・知識と、読んで面白いと感じさせる筆致。無類のサイエンスライターでもあったことを改めて実感させられている。

 午前、11時の予約だったのに、診察が終わったのは、一時過ぎ。
 薬を出してもらうためにも、また、待たされ、病院を後にすることができたのは、結局、2時を回っていた、という。
 しかも、診察はほんの数分、とも愚痴られる。


 

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2011/08/23

診察の待ち時間(前編)

 仕事柄、お客さんと車中でお喋りする機会に恵まれることもある。
 最初から最後まで沈黙に終始することもあるが(どうぞ! とか、ありがとうございました! などの挨拶は別にして)、なぜか、初めての方なのに、短い車中での移動の間、ずっとお喋りが続くことがある。

 こちらから、天気のこと等、話の取っ掛かりで持ち出すこともあるが、基本的には、挨拶など必要最小限のこと以外は、余計なお喋りはしない(方針である)。

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← 渡辺 京二【著】『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー) 「近代に物された、異邦人によるあまたの文献を渉猟し、それからの日本が失ってきたものの意味を根底から問うた大冊」といった本。明治維新という大変革が、いかに多くのものを古き良き日本から奪ったか。江戸や明治前半の日本人像を一変させてくれる本。


 でも、お客さんから話しかけられたら、それはしっかり聞くし、受け答えもする。
 雰囲気として、お客さんのほうが話をしたいと感じたら、こちらは受け手というか、聞き手に回る。
 相槌を打ち、合いの手を入れ、お客さんが気の済むまでお喋りしてもらう。


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2011/08/22

この世に何がある

 雨上がりの小道を歩いていたら、何かが私の頭に落ちた。
 数知れない細かな透明な粒を目にした。
 それは、近所のブロック塀越しの木の葉を伝って、私の頭に落ちた一滴の水の雫だったのだ。ちょっとした衝撃の波が私の心に走った。

 それは、冷たい何かの直撃を受けるという予想外の出来事への新鮮な驚き。
 でも、すぐにそれは私が決して孤立してはいないということの直観へと転化した。

 人は年を取るごとに、意外性への素朴で新鮮な感動を忘れていく。
 それは、生きることに慣れてしまったことを意味している。

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2011/08/21

祈りの果てにあるものは…

 祈る心がある。
 が、闇の世界に踏み惑った人間には、祈りを捧げる場がない。
 あるいは、方向感を失った人間には、祈りを闇の何処へ向けて捧げればいいのか分からないのである。

 ただ、祈る心が宙に揺れている。

 祈りは、ただ、祈りであればいい。ただ、闇に向かって祈りの思いを発すればいい。
 それは、業に溺れきった人間の救いを求める唯の叫びあるかもしれない。声なき声に過ぎないかもしれない。
 その溺れるものが藁をも掴む思いで「助けて!」と叫ぶのであっても、それはきっと祈りなのだと思う。それでいいはずなのだ。

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