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2011/06/18

蘇る風景そして写真(後編)

 その兄さんがじきじきに補助輪なしの自転車乗りを指導してくれるというのである。

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→ バラは今日も元気。入梅したとはいえ、雨の降らない日が続いているので、バラにも、毎日、水遣り。


 その場には、普段の近所の遊び仲間の連中もいた。
 小生が補助輪のない自転車に恐々乗るのをお兄さんが後押ししたり、自転車を支えたりしてくれている。
 あるいは、こうやってバランスを取るとか、とにかく熱心に教えてくれていた。

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2011/06/17

蘇る風景そして写真(前編)

 郷里の地・富山のわが町を、特に遠い思い出の中の郷里の風景を思い返してみる。
 なぜか、真っ先に浮かび上がってくるのは、我が家の南側に沿って走る道路である。

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← 某所で待機中、暇のつれづれに夕景を撮ってみた。

 道路を挟んで我が家と向かい合う一角は、当時は藪(やぶ)だった。
 丈の高い樹木が一本あって(当時は、近隣では一番、大きな木だった)、その周りは竹やぶがあり、雑草が生い茂り、その中に、小屋か何か謎の家があった。

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2011/06/16

アヴェ・マリアな一日でした(後編)

 ネットで、「アヴェ・マリア - Wikipedia」の頁を覗いても、興味ある記述は見出せても、今日と言う日との関連など、どこにも書いてなかった(書いてあるはずもないのだった)。

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→ 裏の内庭を内側から撮影。竹垣にはバラなどが育っているが、表から見えないこの一角には、ドクダミそしてササ、棕櫚、紫陽花、南天などなど。

 一部だけ、転記すると、「アヴェ・マリア (Ave Maria) は、ラテン語で直訳すると「こんにちは、マリア」または「おめでとう、マリア」を意味する言葉。転じて、この一文にはじまるキリスト教(特にカトリック教会)の聖母マリアへの祈祷を指す」とか、「この祈祷のための教会音楽や、祈祷文を歌詞にした音楽作品なども意味し、例えばグレゴリオ聖歌の他、ジョスカン・デ・プレ、ビクトリア、グノー(J.S.バッハ《平均律クラヴィーア曲集第1巻》の前奏曲ハ長調を伴奏に借用)やロッシーニのものなど、枚挙にいとまが無い。また、アルカデルトやシューベルトのように、もともと世俗曲でありながら、後世に「アヴェ・マリア」として通用するようになった楽曲も存在する」云々とある。

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2011/06/15

アヴェ・マリアな一日でした(前編)

 昨日、火曜日は営業の日。
 仕事の段取りというか流れが悪く、実に不調な日だった。
 ということで、車中での待機時間がやたらと長くなってしまった。

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← 車道から見た裏庭の光景。バラ、ドクダミ、杉、ササ、などなど。

 お陰で、と言っていいのかどうか、ラジオから流れる音楽にじっくり耳を傾けることができた。
 普段なら、(あくまで空車の場合だが)AMラジオも結構、聞く。
 AMといっても、民放を聞くことはほとんどなくて、ほとんどがNHK第一である。

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2011/06/14

ヘチマのこと

 南に面する車道沿いの細長い花壇に、緑のカーテンを着々と(?)作成中である。
 一昨年、大成功を収めたので、夢よ、もう一度、というわけだ。

 ただ、一昨年は、ゴーヤに加え、ヘチマを植えた。その両者の強力なコンビで、磨りガラス窓の中の、当時の小生の居住する部屋は、快晴の真昼間でも電灯が必要なほどだった。

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→ 蔵も南面の車道沿いに面して建っている。石垣(?)直下に、ススキのような植物が群生し始めた。でも、ちょっとススキとは違うようでもある。


 今年は、今のところ、ゴーヤとマンデビラと朝顔を植えている。
 ゴーヤはともかく、マンデビラと朝顔は、成長ぶりからすると、緑のカーテンには、ちょっと及ばない予感が濃厚である。

 やはり、ヘチマの苗も植えるべきだったか。
 今からでも、間に合うのか…。

 なんて、思っていたら、数年前、「ヘチマのこと」なんて駄文をつづっていたことに気づいた。
 当時は東京在住で、その数年後、富山に帰郷し、小生の部屋の外にゴーヤやヘチマのカーテンをめぐらすなんて、夢にも思わなかったっけ。


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2011/06/13

日々拾遺(後編)

 一応は正業に就いたので、時間的な余裕は前ほどはなくなっている。
 図書館へもこの二月以来、行っていない。
 十日に一度くらいは、通えるかもしれないが、返却は時間外の返却ポストの利用となる。

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← マリオ・バルガス=リョサ/著『世界終末戦争』( 旦敬介/訳) 「19世紀末、大旱魃に苦しむブラジル北部の辺境を遍歴する説教者と、彼を聖者と仰ぐ者たち。やがて遍歴の終着地に世界の終りを迎えるための安住の楽園を築いた彼らに叛逆者の烙印を押した中央政府が陸続と送り込む軍隊。かくて徹底的に繰返された過酷で不寛容な死闘の果てに、人々が見たものは……」といった本。ずっしりとした読み応え。旦敬介氏の解説もいい。バルガス=リョサはペルー生まれのノーベル賞作家。昔、あったはずの本だが、書店で奥付けを見たら、2010年の刊行となっている。復刊だったのだ。ノーベル賞受賞ということで、急遽の復刊なのか。これほどの作品なのに。小生は、昨年来、『チボの狂宴』、『緑の家(上・下)』など、リョサ付いている。本書『世界終末戦争』を読んでいて、マルケスに劣らず本格的な作家だと、つくづく実感させられている。

 それはそれでいいのだが、問題は、音楽CDの返却である。
 CD類は、返却ポストは使えない。
 となると、CDを借りること自体が、億劫になる。

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2011/06/12

日々拾遺(前編)

 三月末以来、休みの日は、ほぼ常に(終日、雨降りだったら別だが)庭や畑の草むしりをしている。
 三月からは、畑、四月末頃からは六月の初めころまでずっと庭の草むしりをしていた。
 さて、庭を一回り、草むしりし終わったと思って、さて畑はと見ると、悲惨な状態に。

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→ 我が家の裏庭のバラ、いよいよ最盛期へ! バラの蕾が次々に開花し始めている。

 折々は、畑だって見回っていた(つもりだった)のだが、まだ大丈夫と思っている間に、看過できないほどの草茫々状態に陥っていたのだ。
 先週の仕事の合間に、畑のドクダミ退治をやりはしたが、それでは追いつかない。

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