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2011/01/15

病院で読んだ本(その1)

 昨日14日の午後3時頃京都の病院を退院し、夕方、郷里の家に戻ってきた。
 長い長い治療の過程が続く。
 その一つのステップをまずは無難に越えたとは言える。

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← ピーター・D・ウォード・著『恐竜はなぜ鳥に進化したのか』 (垂水 雄二・訳 文春文庫) 副題が「絶滅も進化も酸素濃度が決めた」とある。まさにこのテーマが一貫している。恐竜の跋扈した時代は、気温も高かかったと思われがちだが、「実は恐竜の祖先が生まれたころの酸素濃度は、現在の2分の1。ヒマラヤ並みの薄さであった」。その中で繁栄するには、多種に際立つ特質があった。その最大の一つは、気嚢(きのう)を体内に獲得したことだろう。酸素を他のどんな生物たちより効率よく摂取することができたのだ。やがて、この気嚢(きのう)が鳥類を空へと誘った。一方、本書ではなぜかあまり書いてないのだが、この気嚢(きのう)が恐竜の繁栄のみならず、巨大化を可能にしたのだと思われる。巨大な体なのに、気嚢(きのう)のゆえに酸素を存分に消費しえたのみならず、体を相対的に(体に比して)身軽にしたのではなかろうか。巨体でありながら、機敏な動作・行動を可能にしたのだろうとも<憶測>しえるのである。 書評には、たとえば、「asahi.com(朝日新聞社):恐竜はなぜ鳥に進化したのか [著]ピーター・D・ウォード - [評者]瀬名秀明 - BOOK」など。


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2011/01/14

スタイナー それとも死に至る病としての言語(後編)

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← W.ジェイムズ (著)『宗教的経験の諸相 上』(桝田 啓三郎 (翻訳) 岩波文庫)

 しかし、幾許かの人々は、ある日、超えてはならない一線を超え、大地が決して強固ではないこと、大地は実は太古の神話にあるように、巨大な海に漂っているのであり、その海さえも宇宙の中に何に支えられることなくぽっかりと浮かんでいるに過ぎないことを実感する。足元の大地が割れる。亀裂に飲み込まれる。しかも、一旦、亀裂が生じ始めたら、その罅割れに終わりがないことを気が狂うほどの恐怖と共に実感する。この日、彼は二度目のある意味で本当の誕生を経験するのである。
(拙稿「ウィリアム・ジェームズの命日に寄せて」より抜粋)
 

 いきなり話の脈絡を飛ばしてしまった。

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2011/01/13

スタイナー それとも死に至る病としての言語(承前)

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← セーレン キルケゴール (著)『死にいたる病』(桝田 啓三郎 (翻訳) ちくま学芸文庫) 

 余談だが、本書『バベルの後に 下』を読みながら、脳裏の片隅を…というより、頭蓋の中をずっと『死にいたる病』の冒頭の一節が鳴り響いていた:

人間は精神である。しかし、精神とは何であるか?精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか?自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。(…)総合というのは、二つのもののあいだの関係である。このように考えたのでは、人間はまだ自己ではない。(…)

このようにして、精神活動という規定のもとでは、心と肉体とのあいだの関係は、ひとつの単なる関係でしかない。これに反して、その関係がそれ自身に関係する場合には、この関係は積極的な第三者であって、これが自己なのである。(p27)
(「セーレン・キルケゴール『死にいたる病』/『死に至る病』第一編を読む(上) - ブログタイトルが決められない」より転記。)

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2011/01/12

スタイナー それとも死に至る病としての言語(前編)

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← ジョージ・スタイナー/著『バベルの後に 言葉と翻訳の諸相 下』(亀山健吉/訳 叢書・ウニベルシタス 400 法政大学出版局 )

 ジョージ・スタイナー著の『バベルの後に〈上〉言葉と翻訳の諸相』 (亀山健吉 訳 法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス)に続き、『バベルの後に 下』を読んだ。
 ちょっと難解だし、上下巻合わせて900頁以上の大部の本なので、幾分のためらいもあったが、年末の雪篭りの時間を費やしてしまおうと、図書館が休館に入る前に借り出し、一気に読了した。

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2011/01/11

陋屋 茅屋 廃屋 古民家

(前略)人里離れた山の中などを歩く。すると古びて腐り果てた板塀の陋屋を見たりすると、妙に胸が騒ぐ。何か戦に破れた落ち武者が隠れた小屋のなれの果てなのではないかと思ったりする。

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← 既に終わってしまっている向井潤吉展ポスター。古民家、陋屋というと、向井潤吉の名、そして作品を思い出す。東京には、「世田谷美術館分館 向井潤吉アトリエ館」があって、小生の在住していた大田区からオートバイで十数分ということもあり、幾度となく世田谷美術館だけじゃなく、「向井潤吉アトリエ館」を訪ねに行ったものである。美術館の在する砧(きぬた)公園は、格好の癒しのスポット。その先の多摩川の土手沿いの道は、これまた絶好のツーリングコースでもあった。

 そうでなくても、人気が消え去って久しい民家の残骸に、遠い人の温もりや悲しみや喜びや退屈を思うのである。どんな家にも歴史がある。仮に歴史ということで、何かの記録か記憶に残ることを意味するなら、ただの経緯(いきさつ)、それともしがらみであってもいい。どんな山奥に住もうと、人はしがらみから逃れることはできない。

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2011/01/10

古代の東海道沿いに住んでいた

(前略)この辻邦生が高輪に一時期住んでいたということを『海峡の霧』で、改めて認識した。年譜の類いはみたことがあるから知っていたはずなのに、何故か、脳裏を掠めるだけに終わっていたようだ。武蔵野に居住していたというイメージが先行していたのだろう。

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← 土屋 光逸 作『高輪 泉岳寺』(木版) 土屋 光逸(つちや こういつ 明治3年<1870> - 昭和24年<1949>)は、「川瀬巴水らと並んで新版画を代表する風景版画家」。

 実は、小生も高輪に10年ほど、住んでいたことがあるのだ。だから、本書の末尾の幾つかのエッセイで彼の高輪暮らしが長いことを知り、びっくりしたのだ。長いって、三十年なのである。
 高輪は、今は当然の如く、マンションやらビルなどが建っているし、片方は第一京浜、片方は第二京浜が走っている。その国道に面してはビルの立ち並ぶ一角という印象しか持てないだろう。

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2011/01/09

音が奇跡だった頃

 音楽が好きなのかどうかを自分を振り返って考えても、結論めいたものは出てこない。そりゃそうだ、音楽一般では、あまりに漠然としている。それが、<音>ということに広げていいのなら、それがたとえ音楽よりもさらに茫漠としているという憾みはあるとしても、好き、というより、音に依存しているとも言える。

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 音にはいろいろある。
 音楽と呼称されるもので、楽器に関連するもの、唄を中心としたもの、ハミングや口笛…。
 誰にも音楽とは呼ばれないだろう、部屋の中の冷蔵庫のモーターの音、水道の蛇口の栓が緩いのか、流し台にポタッ、ポタッと落ちる水滴の爆ぜる音。同居する人がいれば、別の部屋で動くスリッパの音、ドアのノブの音、テレビ、ラジオ、ステレオ、携帯、窓の外からの遠い歓声、喋り声、下手なピアノの練習の音、秋ならば虫の鳴き声、時折鳴る救急車のサイレン、そして風の鳴る音。

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