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2011/04/23

田中好子さんの死と『黒い雨』と(前編)

 昨日(22日)の朝、仕事に出かける用意や食事の準備に取り掛かる前、ニュースを見ようとテレビのスイッチを入れたら、びっくりするニュースが飛び込んできた。
 キャンディーズのメンバーの一人として活躍し、アイドル歌手であり、女優として存在感を増していた、田中好子さんが亡くなった、というのである。

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→ 裏の畑の隅っこの花壇に育つチューリップも、いよいよ見ごろに。今日の寒さや雨に耐えて、明日には満開かも。

 田中さんの突然の逝去。
 愛称はスーちゃんで親しまれていた。

 驚き。
 55歳だった。もっと若いと思っていたけれど、それにしても、若すぎる死である。
 彼女のことは、テレビに限らず、あれこれ伝えられていて、小生などが何を言うこともないだろう。

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コロンブスの赤い月(後編)

 本書についての感想は今はしない。
 いきなり余談めいた話だが、ちょっと気になる話題があったので、その話をメモっておきたいだけである。
 
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← 桜の花びらが路上に散在。散るまでが桜の木の花びらの命なのか。命を軽視する(一般民衆は戦争の捨て駒なので、命に恋々としていてもらっては困る)明治維新の権力者がパッと咲いてパッと散る(潔い?)桜を推奨したのもむべなるかな、である。

 禅は万象が、意識するにせよ無意識にせよ、自己の真の本性、己れの仏の本性を求めていると教えている。仏とは本来の自己に目醒めた者のことである。彼は「家なき家にくつろぐ」。多くの仏の中で、太陽の顔の仏と月の顔の仏がいる。太陽の顔の仏は、自分自身に関する真理の光の中に長い間暮らすのに対して、月の顔の仏は、ほんのわずかしかそこにいない。
 わたしは慎重な夜の巡礼者であり、星の中をためらいがちに歩く放浪者である。宇宙のわが家に関する意識は、はかなく不完全である。太陽の顔の仏の家なき家へ、わたしはほんおわずかの間しか足を踏み入れていない。わが探求はその程度でしかないが、それでもほのかな光と痩せこけた鳴き声、そこここに点在する兆候、無限へのヒントと脊椎の疼きによって報われるのだ。「些細な細目」の中に進んでいこう。だからどうかわたしに月の顔を与えたまえ。わたしに血のように赤い月の顔を与えたまえ。 (p.225)

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2011/04/21

コロンブスの赤い月(前編)

 営業の車中での待機中、今は、チェット・レイモ著の『夜の魂』(山下知夫訳 工作舎)を読んでいる。 
「天文学逍遥」というサブタイトルに示されるように、専門的な事柄の啓蒙書というより、随筆の本、天文学を想像の種にしての、瞑想の書といった本。

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← 「月下独酌」劉旦宅(りゅう たんたく)・画 (画像は、「十年一たび覚む 揚州の夢」より)

 本書は、「1988年4月」の刊行。
 一応は天文学(サイエンス)の書なのに、今も絶版になっていない。

出版社からの内容紹介」では、「夜空を見つめながら<夜の形>に思いをはせ、星々の色彩の甘い囁きを聴く--サイエンス・コラムニストとしても評価の高い天文・物理学者が綴る薫り高い天文随想録」となっている。それだけ、単なる専門書(の普及書)じゃなく、文章(随筆)として読ませる本だということなのだろう。

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2011/04/20

チェルノブイリの赤い森

 つい先日、営業所の休憩所で、福島原発のことが話題になった。
 原発のことが話題に上るのは日常茶飯事だが、その日は、ちょっと違う話題に話がチラッと及んだ。

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→ 表の庭の隅っこの葉群も開花。

 それは、チェルノブイリの魔の館、あるいは魔の森といった話だった(正確には、どんな言葉(表現)が使われたか、小生の記憶が曖昧)。
 生憎、すぐに仕事が入ったので、その話題を持ち出した人に詳しく話を伺うことはできなかった。

 放射能の漏出を抑えようする石棺ならぬコンクリートの<館>の中で、放射能に汚染された動植物たちが、奇異な姿に変貌を遂げ、既存の耐性を超えた体を持ち、やがて彼らが棺という縛りを解いて、世界へ広がっていく…。

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2011/04/19

起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる(後編)

 それでも、過日は、新入荷本のコーナーに面白そうな本を見つけた。
 それは、ジェイムズ・D・スタイン著の 『不可能、不確定、不完全 』(熊谷 玲美/田沢 恭子/松井 信彦(訳) 早川書房) である。

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← 表の庭の松の木の根元に、謎の植物。「ほうき草」だろうか。

 著者のジェイムズ・D・スタインは、本書によると、「カリフォルニア州立大学ロングビーチ校の数学教授を長年務める」という方。それ以上の情報は分からない。

 
「本書は、「整備工場に預けた車はなぜ決して約束の期日に戻ってこないのか」、という問題を数学的に検討することからスタートし」ていて、読み始めからびっくりの話題。
 でも、実際、読んでみて、修理の過程(ステップや段取り)を考えると、なるほどと思わせられる。

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2011/04/18

起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる(前編)

 最近は仕事もだが、家での畑や庭の草むしり作業で忙しく、一月ごろまでのように、週に一度、図書館へ足を運び、本を二冊ほど、CDを3枚、返却し、新たに借りるということができなくなった。
 せいぜい、二週間に一度、図書館へ行ければいいほう。

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→ 春の暖かな雨が降って、表の謎の葉群が開花。名前は分からないけど、とにかく雑草じゃなかった。

 特にCDの返却に窮している。
 本は、夜間でも返却ポストに投じればいい。
 困るのはCD。

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2011/04/17

日の下の花の時(後編)

 さて、緑の葉っぱは、まさに陽光を浴びるべく進化を遂げた。紫外線に耐性を持ち、あるいは万が一、紫外線により遺伝子が損傷を受けても、修復する遺伝子も備わっていたりもするという。

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← せっかくなので、ナナカマドに咲き始めた小花を接写してみた。やはり、アセビっぽい小花だ。今朝の雨に濡れて、愛おしさの念が高まってしまう。

 それは、葉っぱだけではなく、花びらだって、そうした耐性などのメカニズムを備えているのだろうという。
 そうでなかったら、そもそも咲きはしないのだろうし。

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