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2011/01/08

沈黙の音に聞き入る

 音楽を音を楽しむと敷衍して考えていいのなら(あるいはそれならもう音楽ではないよというのなら、別に音楽に拘るつもりもないのだが)、音の不可思議を思わずにはいられない。小生などメカ音痴なので、携帯電話どころかラジオでさえ驚異の存在である。理屈は一応は分かっても不思議なのは不思議なのである。
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 ラジオを通じて周波数さえ合えば一定の音(番組)が聴こえる。
 だとしたら、人の耳に自然や宇宙や、海の底や地の底、遠い遥かな森の中の木の枝を伝い落ちる雫の気配、冬眠する熊の寝息、際限もなく存在しているのだろう微生物の生命活動する蠢きとざわめきの反響を聴くような、そういった未知の周波数に合うような聴覚があってもいいような気がする。

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2011/01/07

バタイユという名の祝祭

 エロティシズムへの欲望は、死をも渇望するほどに、それとも絶望をこそ焦がれるほどに人間の度量を圧倒する凄まじさを持つ。快楽を追っているはずなのに、また、快楽の園は目の前にある、それどころか己は既に悦楽の園にドップリと浸っているはずなのに、禁断の木の実ははるかに遠いことを思い知らされる。

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← J・M・G・ル・クレジオLe Clezio,Jean Marie Gustave 著『物質的恍惚』(豊崎 光一 (翻訳)  岩波文庫)

 快楽を切望し、性に、水に餓えている。すると、目の前の太平洋より巨大な悦楽の園という海の水が打ち寄せている。手を伸ばせば届く、足を一歩、踏み出せば波打ち際くらいには辿り着ける。

 が、いざ、その寄せ来る波の傍に来ると、波は砂に吸い込まれていく。

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2011/01/06

サイモン・シャーマ 著『レンブラントの目』の周辺(後編)

 余談に満ちている(かのようでいて、実は本流に深く関わるエピソードたっぷりの)大河小説のような本書は(妻たち…ヌードのモデルでもあった…との愛憎や死別、背負った莫大な借金、溺愛した息子の死…息子ティトゥスの死後一年ほどでレンブラントは亡くなる)、最初はルーベンス(ら)の記述が続く。

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← レンブラント・ファン・レイン Rembrandt Harmensz, van Rijn 「放蕩息子の酒宴(レンブラントとサスキア)」(1635年頃 161×131cm | 油彩・画布) 「新約聖書ルカ福音書に記されるたとえ話≪放蕩息子≫から放蕩息子が娼婦と酒宴を催し豪遊する場面」 (画像そのほかは、「レンブラント-主要作品の解説と画像・壁紙-」より)

 あれれ、本書はレンブラントの本じゃないの? と二度三度と表紙や目次を確認したものだった。
 百頁以上もルーベンスに費やされているし、最後までルーベンスの亡霊(?)がレンブラントに付きまとって離れない(無論、当時の偉大な画家たちが入れ替わり登場する)。

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2011/01/05

サイモン・シャーマ 著『レンブラントの目』の周辺(承前)

 レンブラントというと、「ニコラース・テュルプ博士の解剖学講義」や「夜警」、「悲嘆にくれる預言者エレミヤ」など、有名な作品は数々あるが、ある意味、それ以上に自画像をこれでもかというくらいに描いた画家ということでも知られているかもしれない。

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→ レンブラント・ファン・レイン Rembrandt Harmensz, van Rijn 「アトリエの画家」(1628年頃 25×32cm | 油彩・板) 「17世紀当時のネーデルランド(オランダ)でしばしば描かれていた画題≪アトリエとその中の画家≫を描いた典型的な作品」なのだが、描かれている画家がレンブラント本人なのか弟子の一人なのか定かではない。(画像そのほかは、「レンブラント-主要作品の解説と画像・壁紙-」より)

 実際、本書の表紙にも自画像が使われている。

 特に、後で紹介する「笑う自画像」の謎めいた笑いの表情などは、傑作の域を超えてニヒリズムの極でもある。

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2011/01/04

サイモン・シャーマ 著『レンブラントの目』の周辺(前編)

 サイモン・シャーマ 著の『レンブラントの目』 (高山 宏 訳 河出書房新社)を数日前、読了した。
 読み通すのに一ヶ月以上を費やした(というか、楽しませてもらった)。

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← サイモン・シャーマ 著『レンブラントの目』 (高山 宏 訳 河出書房新社)

17世紀オランダ、宗教戦争の渦中で育った神童は、どのようにしてルーベンスを越えて超絶芸の画家となったのか。その生涯と時代の全てにせまるレンブラント伝にして絵画論最高の超絶作」というから、まさに、この間、レンブラント(とルーベンスら)の世界にどっぷり浸っていたわけである。

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2011/01/03

(クックの)暗い物語は人生に光を投じる?

 久々にトマス・H・クックの小説を読んだ。10年近く前の『心の砕ける音』(村松潔訳 文春文庫)や『夜の記憶』以来。
 しかも、買って。

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← トマス・H・クック著『沼地の記憶』(村松潔訳 文春文庫)

 年末年始は図書館が休館なので、自宅にある本を読み返すか、何か新規に買うか。
 しかし、小生が行きたいと思っている大手の書店はデパートの中にあり、駐車場に難がある。
 普段でも順番待ちの車列を目にする。
 まして、年末年始である。

 仕方なく、幸い、雪どころか雨も降らない年末、大晦日だったので、自転車を駆って近所の書店へ。

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2011/01/02

「根岸さん 人工光合成に挑戦へ」にちなんで

 人間にとって多くの花が魅惑的であるように、あるいはそれ以上に昆虫にとっては、花(の蜜)はなくてはならないものだろう。昆虫が花に誘われるのは、両者の長い関わりがあるのだろう。
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 花は人間に好まれるように進化したのか。そういった花もあるのだろう。そうでなく、勝手に人間の生活圏に侵犯する植物は、たとえ可憐な花が咲くものであっても、雑草とされてしまう。
 同時に昆虫に受粉させるべく進化した花もあるのだろう。
 人目の届くところで見受けられ愛でられる花の多くが綺麗なものなのは、分かるとして、人里離れた場所にある花であっても、美しく感じるのは何故なのだろう。単に花だから? それとも、昆虫などを魅するように進化したことが、たまたま人間の審美眼にも適ったということ?


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