早百合(姫)観音祠堂
幸いというか、中を見学するのは無理としても、予約の時間までには、ちら観ほどなら、間がある。
せっかくなので、「早百合観音祠堂」を表側からだけだが、撮影させてもらった。
佐々成政に絡んでは、「黒百合…悲劇の花」などの記事を綴ったことがある。
この殿様には、「佐々成政とクロユリ伝説」などに見られるように、何かと悲劇の伝説や逸話がつき物:
早百合伝説
埋蔵金伝説
一夜泊稲荷神社伝説
織田信長に諫言
成政と学問
黒百合伝説
それぞれに興味深いが、今日は、「早百合観音祠堂」に遭遇しただけに、「早百合伝説」を少々メモしておきたい(ネット検索したが、この祠堂に関するホームページの類いは見つからなかった。あるのだろうか?)。
→ 入り口の趣が実に味わい深い。観ると、「早百合観音祠堂」とあるではないか。佐々成政関連の史跡なのか。
立て看板は、以下の文で始まっている:
この祠堂は、早百合伝説の一本榎のそばに作家でジャーナリストであった翁久允(一八八八 ~ 一九七三)の手による昭和二十九年(一九五四)建立されたものである。
早百合は五福村の農家の娘で、織田信長の武将佐々成政が富山に入城した折、召し出された娘のひとりという。成政は心根の優しい早百合をことのほか寵愛したのでほかの娘たちから嫉視されていた。
← 中を覗いてみたい。でも、時間がなかったこともあるが、重々しい雰囲気に、安易には入れないような。
全文は、掲載した画像で見てもらうとして、「早百合伝説」の概要は、以下の通りである:
成政の寵愛をうけていた早百合姫は、他の側室のねたみをかい、家臣と密通したと告げ口をされます。成政は激怒してその家臣を斬殺しました。ついで、早百合姫を捕らえ、神通川の一本榎に吊るし、めった斬りの斬殺に処しました。また早百合姫の一族すべてを皆殺しにしたのです。
死ぬ間際に早百合姫は、「己成政此の身は此処に斬罪せらるるとも、怨恨は悪鬼と成り数年ならずして、汝が子孫を殺し尽し家名断絶せしむべし」と叫んだそうです。天正16年に成政が切腹に追い込まれたのも、この早百合姫の怨恨のためであると「絵本太閤記」では語られています。
より詳しくは、「佐々成政資料館 佐々成政に関する逸話」や「佐々成政とクロユリ伝説」なる頁を覗かれたい。
→ この画像も観ても分かるように、植木などはきちんと雪吊りなどが施されている。成政の子孫らで作る会の方々が、ちゃんと手入れしているのだろう。
ちなみに、「早百合観音祠堂」の建立は、「早百合の成仏を願い、また昭和二十年(一九四五)八月の富山大空襲の際に、神通川原で無残な死を遂げた多くの人々の霊を供養するため発願されたものである」という。
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