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2011/12/11

「アラヤ」という地名のこと

 仕事柄、富山市内(外)を車で動き回っている。
 すると、富山の風景などで感じることがあれこれある。
 地名についても、以前から不思議に思えることがあった。

Yukei_021

→ 富山市某所の夕景。昨日のような、こんな空だったら、満月に恵まれ、月食の観測も叶ったかもしれない。それにしても、金曜日の夜は、さすがに忘年会などで街が賑わっていた。いつもこうだったら、富山の夜も元気が漲るのだが。

 というのは、富山市には、「アラヤ」という地名の付くところが方々にある。
 何も、北アラヤとかアラヤ東とかアラヤ新町、ではなく、「山室荒屋」、「四方荒屋」、「三室荒屋」などなどである。

 他にも、地名ではなく、交差点名だが、「飯野新屋」もある。

 それぞれ、富山市内のあちこちにあって、場所的は散在しているといっていい。

 なるほど、「アラヤ」なる地名は、富山(市)に限らない。隣県にもある。
 なので、たまたま富山にも「アラヤ」があっても、一向に不思議ではない。
 
 しかし、やはり、結構、離れた地に、表記は多少は違うとはいえ、同じ「アラヤ」なる地名があるというのは、気になるのである。

Yukei_008

← 市内某所の通り。とても洒落た散歩ロードになっている。もう一度、訪ねたい。

 随所に「アラヤ」がある…。
 どうみても、「アラヤ」という地名に何か秘密があると思わざるを得ない。
 まあ、表記から、ある程度は、想像が付くのだが。
 つまり、昔は、荒地だった、そこを開墾したり、水害対策などの土木工事をして、人が住める場所に変わったのであり、地名の「アラヤ」には、そうした過去の名残が刻まれている…という想像(推測)である。

 まさか、「阿頼耶識」云々じゃないだろうし。

アラヤ」という地名(地区名)は、小生が知る限り、富山市では、「新屋」乃至「荒屋」だけで、「新谷」とか「新家」あるいは「荒谷」という地名は見当たらない(丁寧に探せばあるかもしれない)。

「アラヤ」という地名(地区名)が富山市に多いのは、たまたまのことなのだろうか。

 ネット検索したら、「やまがた橋物語-金山川編【荒屋橋(金山)】|山形新聞」なる頁が見つかった。

 この頁の冒頭に以下の記述がある:

 荒屋は新田、興屋、新屋などと同じ意味の地名と言われる。「荒屋は新田を開く新屋であるとともに、水魔によって荒廃を重ねる荒れ野(や)でもあった」(金山町史)。金山川の扇状地に開かれた荒屋地区の美田は、堤防が整備されるまでは大雨が降ると水害を被った。

Yukei_003

→ 車道から垣根越しに我が家の玄関を望む。樹木の葉っぱで老朽化した家屋を隠している?

 これは山形の話であって、富山とは直接関係ないのかもしれない。
 しかし、土地の地名は、過去の歴史や伝統、土地柄を表している可能性は高い。
 富山市の「アラヤ」も、富山という暴れ川を何本も抱える土地柄を示しているのかもしれない。

 ただ、表記の上で、「新屋」や「荒屋」など「屋」であって、「新家」や「新谷」ではないことに、何か意味があるのかどうか、今のところ、謎のままである。

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コメント

「あら」地名について。
語源学的にどうかということになると門外漢ですが、地名としては「荒」と「新」の字の混用・混同(意図的ないし自然発生的な交替や変遷)は、よくあります(これは富山に限らない話しです)。
「荒」や「悪」の語感は決して現在のように悪いものではなく、「悪」は「強」「勇」に通じる佳字でさえあります。生成(新生)にともなう荒々しさは、“忌避するもの”ではなく“迎祝するもの”という受け止め方があったからです。一方、生まれたての弱々しさを、「荒」のイメージで庇護するという発想もあったようです。そうしたことを背景に、開墾村を荒屋、荒屋敷と名付けることや、逆に御しがたい暴れ川=荒川を、新川とやさしく字付けしたり「あら川」と書いたりすることとかがおこなわれたようです。身近でそういう実例をいくつか知っていますし、『角川地名大辞典16/富山県』からもそうした例を拾うことができます。「荒=新」とまで言い切ってしまうことはできませんが、「あら」に「新・荒
」の両者に通い合う語感があったと言っていいのではないかと思います。

日本酒の「あら走り(新走り/荒走り)」もそのように考えればよいと思います。

投稿: かぐら川 | 2011/12/15 21:52

かぐら川さん

地名の話題は興味深いです。

「荒屋とは新屋とも書き、新しい家つまり分家、世帯出のことを指す」といった説(地域)もあったりして。
荒れた地を開墾して、そこに新たに家が一戸、一戸、増えていった、そんな歴史が彷彿とするようです。

豪雨(台風)などで川が決壊して、川の泥や岩が地面を埋め、そのたびに、開梱し直していく。
富山の風土との闘いの歴史。

「荒」と「新」の異同は、あれこれありそうです。
同時に、荒れた地を開墾して新たに土地となる。
そんな歴史を含めた関わりもあることでしょう。


知名については、ほかにも興味の湧いている対象があるので、後日、扱いたいと思っています。

投稿: やいっち | 2011/12/16 13:09

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