照葉(てりは)! あるいは常緑樹の堤防(前編)
富山(北陸など日本海側)と東京(関東など太平洋側)とは、アルプスなどの山々を挟んで、随分と、違う世界が現れている。
← 昨年の晩秋、寒菊を一束、入手し、車道沿いの花壇に植えた。さすが寒菊だけあって、名前どおり、一冬、花を咲かせていた。
それなりに、花の種を蒔いたり、苗を植えたりしているが、それでも、気まぐれ、思いつきの感は否めず、近隣の家々に比して、花は途切れ途切れとなってしまう。
近所の家々は大違いである。
常にいろんな花(の種や苗)を植えておいて、どれかの花が開花の時期を終えても、その時にはちゃんと別の花が育って、庭を彩る、そんな工夫と知恵が庭に詰まっている。
→ 当然ながら、今春、花は涸れてしまった。一年草と思い込んでいたので、花が咲かないなら、用はないと、毟ってしまう、つもりでいた。でも、雑草が生い茂る頃になっても、茎や葉っぱは萎れてはいない。
今は、我が家の庭に咲く花は、ほとんどない。
山茶花などの花が僅かに目立つだけ。
その山茶花にしても、垣根沿いに植えられていて、玄関から庭を見渡す限り、花の色も香も皆無である。
晴れていたなら、紅葉(黄葉)した樹木や、常緑樹の緑が、陽光に映えて目に鮮やか、という光景も現出するわけだが、何しろ、富山である。北陸である。
曇天の日が多い。
すると、我が家の庭は、玄関を開けて見渡した瞬間、水墨画の世界が現前しているかのようである。
← 昨秋より一回り、大きくなっている。葉群もやや増殖したような。これでも、枯れたものは、随時、引っこ抜いたのだ。間引きって奴? まわりは笹に囲まれ、雑草も容赦なく生えていた。雑草だけは、せっせと毟っていた。そして、先月末には、蕾を多数、生らせ、先週末、開花の予感を漂わせ、とうとう花を咲かせてくれた。一年草じゃなく、多年草だったのね。
無論、水墨画の世界だなんて、綺麗に(見栄を張って)表現しているわけで、要するに地味で寂しい世界が広がっているわけである。
カエデなどの紅葉も、常緑の葉っぱも、泰山木の大きくて立派な葉っぱも、棕櫚の木の葉っぱも、チラッと見える山茶花の赤やピンクの花々さえも、日中でさえも、薄闇に沈んで、悲しそうである。
陰気なのだ。
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コメント
月命日をきちんとやっておられる、歓心です。
うちの親戚でも月命日に必ずお墓参りする人がいます。
僕はダメだ。一周忌もやらないことに決めました。三周忌はやるつもりですがー。
1人でやってるから体がもちません、で入院したりー。
思うにグリーフ、悲嘆といいますが、人には悲しむべき時があるように思います。悲しむべき時を経て人は一段あがるのではないでしょうか。今の僕は親戚付き合いわずらしい。
弥一さんはいかがでしたか?
大震災の被災者もグリーフを周りがどう受けとめるか、心理サポートは大丈夫か、これからなのです。
投稿: oki | 2011/12/08 23:11
okiさん
まあ、小生が出来ることは、月命日のお勤めくらいのもの。
父が精魂篭めていた篆刻も、恐らくは誰も気にしていないし、忘れられている。
せめて、自分だけでも、ですね。
おカネがあったら、神社に寄付(寄進)して、父の名を何処かしらに刻んでもらうのですが、なかなか。
一周忌はやりました。三回忌は、できるかどうか、先のことは分からないし。
親戚づきあいは、しんどいですね。
ほとんど敬遠気味です。
でも、親戚だからこそと、気にかけてくれる人もいる。
自分のような人間は、親戚以外に付き合いはうまれそうにない。
いずれにしても、一人では、何処かしら、手を抜かないと、持続可能じゃないです。
投稿: やいっち | 2011/12/10 21:37