「流し」から「無線」、そしてGPSへ(前編)
小生は、東京在住時代の後半の12年余りをタクシードライバーとして暮らしていた。
97年の夏からは、消費税のアップなど税制上の締め付けが厳しくなったこともあって(財政再建路線至上主義の極み)、一気に不況に落ち込んでいったが、それまでは、景気は持ち直しつつあった。
→ 4年前、つまり東京在住最後の年、3月15日の夜半過ぎ。都内某運河沿いの公園脇にて仮眠。その日、目覚めて間もない午前4時頃、都内に初雪が降ったとか…。(画像などは、「バロックの音の魅力に身を任し」参照)
小生は、95年の9月にタクシードライバーとしての営業を始めた。
日本が一気に不況に陥る97年の8月までは、タクシー稼業も繁忙を極めたものである。
東京での小生のタクシー業は、基本的に「流し」と呼ばれるスタイル。
街中を流しつつ、街角で手を上げてくれるお客さんを探し、乗ってもらい、目的地へ向かう。
無線(つまりは、迎車)でタクシーを電話で呼んだお客さんの元へ向かう、という営業スタイルは一切、とらなかった。
というより、無線の仕事はなかった。
会社が大きかった(一社単独では東京で一番大きなタクシー会社だった)ので、無線はあっても、一部の連中が奪い合うように取ってしまう。
小生は、無線など全く期待せず、ひたすら「流し」営業に専念した。
また、この流しの営業スタイルは、ある意味、絶好の釣りのスポット(穴場)を探し出すゲームのようでもあり、街を自由に流せる(ドライバーの裁量に流すエリアは任されている)ことに、楽しみも見出していた。
← タクシードライバー役を演じる小生の好きな女優の余貴美子さん (画像は、テレビドラマ「女タクシードライバーの事件日誌」の一場面。タクシーものでは、このドラマが一番、タクシー業界の細部に忠実(あくまで東京のタクシー事情に限るが)。 詳しくは、「我がタクシードライバー時代の事件簿(序)」参照。)
一方、この富山では、「流し」営業は通用しない。
夜、繁華街などで多少は流しも有効だが、少なくとも日中は、富山市の中心街でも、街角でお客さんが手を上げてくれる、なんて光景にはまず、遭遇しない。
タクシードライバーも期待しない(内心は、待ち望んでいるのだが)し、地元の人も、タクシーは電話で呼ぶものと心得ている。
小生は、この無線配車、つまりは迎車(げいしゃ)の営業スタイルに馴染むのに、随分と苦労したものである。
東京で長年タクシー業に携わって、タクシーは流しで営業するものという発想が、骨の髄までしみこんでいる。
なので、日中でも、この富山で(今思えば無謀にも)流しを試み、一時間どころか二時間、三時間を全く、お客さんに恵まれることなく、無為な時を過ごしたものだった。
→ 昨年の五月、新聞配達の途中に見かけたキジ。(画像は、「キジは国鳥、でも狩猟鳥」より)
流しでは(少なくとも日中は)営業が成り立たないという、(富山など地方ならではの)厳しい現実をとことん自分の骨身に沁み込ませるのに、どれほど無為な時間を費やしたことだろう(無論、売り上げも、同期の同僚の中でも最低の部類だった)。
さて、迎車(無線)営業という方式を取るには、前提がある。
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