篁牛人のこと
[9年前に書いた拙稿があった。父が元気だった頃で、帰省の折の父と遣り取りも記されていて、懐かしいので、ブログに載せる。]
篁牛人(1901~84年)を知る人は、少ないのではなかろうか。恥ずかしながら小生も過日、初めて知った。正確に言うと、名前くらいは聞いたことはあったが、作品と名前とが一致したのは、過日のテレビ番組で彼が扱われたことで初めてだったのである。
← 萌ゆる秋!
その番組というのは、「開運! なんでも鑑定団」で、たまたまお盆で帰省していたら、再放送が昼間、放映されていたのである(父がその番組を選択した)。
恥ずかしながらを繰り返すと、篁牛人という名前、どう読むのか分からなかった。たかむらぎゅうじんと読む。知る人は、渇筆画の篁牛人と呼ぶだろう。
いきなり余談になるが、篁(たかむら)というと、小生などは、歴史の知識としては、小野篁(802‐852)を思い浮かべてしまう:
「やまとうた 千人万首 小野篁」
「三十三歳で遣唐副使に任命された。二度出帆して難破したのち、承和五年、大使藤原常嗣と軋轢を起こし、病と称して進発せず、しかも大宰府で嵯峨上皇を諷する詩を作ったため、上皇の怒りに触れて隠岐に流された」とあるように、かなり奇矯な方だったようである。が、「二年後、その文才を惜しまれて帰京を許され」とあるように、才能豊かな人でもあった。
「小野篁遺趾の碑と流謫地付近の風景」などを見てみるもいいかも。
せっかくなので、一首だけ掲げておきたい:
花の色は雪にまじりてみえずとも
香をだににほへ人のしるべく(小野篁 古今335)
まあ、少々、無理を承知で、小野篁の名を出したのは、「篁」つながりもあるが、盂蘭盆会の季節でもあるからだ:
「地獄を旅する」
話を戻す。
渇筆画、及び、篁牛人をお馴染みの「笑説 越中語大辞典」というサイトの当該の項で説明しておこう。
「本画壇の中でもひときわ異色の存在として注目される画家(1901~84年)。東洋の故事・伝説を主題とし、渇筆技法(岩や崖などを立体的に描くのに、墨の使用を抑え、半乾きの筆を紙に擦りつけるように描くこと⇔潤筆技法)を駆使して独自の水墨画世界を構築した」
さらに同じ項に続いて紹介されているように、「ドイツ文学者の池内紀の『二列目の人生 隠れた異才たち』(晶文社)は人を押しのけるのが苦手で、記念写真でも二列目に並ぶような人々を描いた本で、あとがきには「世評といったことへのこだわりから遠い人たちである。ほかに心を満たすことがあって、世才にまでまわらない」と書かれている」とある。
→ 4年前(平成19年)、「いのくち椿館」にて開催された篁牛人展のポスター
上掲書には、「市井の植物学者、大上宇市。美人画家の島成園。ハーンの同時代人モラエス。湯布院の生みの親、中谷巳次郎。大正天皇の侍医、西川義方。日本山岳会の創設者、高頭式(たかとうしょく)。独文学とエロティシズム文学の紹介者にして演劇人、秦豊吉。画家青木繁の息子で「笛吹童子」のテーマ音楽の作曲者、福田蘭堂(その息子がクレージー・キャッツの石橋エータローだ)。数冊の卓越した料理本を残して出家した魚谷常吉、渇筆画の篁牛人(たかむらぎゅうじん)」らが扱われている。
ちなみに、富山で一列目にいたとされるのは、棟方志功だが、彼は富山に疎開していたという縁があるのだが…。
[富山と棟方志功との関わりについて、下記を参照:
「善知鳥と立山と」(この頁のその2を御覧下さい)]
上掲のサイトにも紹介されているが、「安養坊の旧居跡に篁牛人記念美術館」がある。
この「篁牛人記念美術館」は、富山市民俗民芸村にある。
その民俗民芸村の中に、「平成元年10月、市制100周年を記念し篁牛人記念美術館を開設」したとのこと。
さて、ネットで篁牛人の作品を探したが、なかなか見つからない。そもそも篁牛人が本名なのかどうかも分からないでいる…。
テレビで見た印象では、水墨画ということで思い浮かぶ枯淡とか風雅といったイメージとは程遠い。豪快で放胆。酒が好きで、終日、酒を飲んで仕事していたとか。
早くから才能を見出され、郷土では、不遇な彼を支援するための会が結成されたとか。小生の父もその会に関わりを持ち、自作の俳句を幾つか持参し、彼がそのうちの一句に興味を持って、作品を描いたことがあると、父が冒頭で紹介したテレビを見ながら語っていた。
が、それこそ二列目の人であり、世俗的な成功を一切、顧みなかった人のようである。突き抜けたような作品を見ると、さもありなんと思ってしまう。
「篁牛人」をキーワードにあれこれネット検索していたら、25番目くらいでやっと下記サイトを見つけた:
「篁牛人記念美術館」
「こころに抱いたあこがれをもとに、モダンで精妙な作品を残した画家」とか、「地方や、時代のワクを軽々と突き抜けた画家」とか、「水墨画でありながら、明るく、斬新でモダン。雄大な構図でありながら軽妙、洒脱」と紹介されている。
これらの印象は、小生がテレビで受けた印象に近いような気がする。
このサイトでは、「篁牛人は、三つの点から魅力があります」として、さらに詳しく篁牛人世界の美の魅力を説明してくれている。
一つ目は「空間の大きさ」だとして、「墨を乾かした筆による、グラデーションの美しさと線描の鮮やかさがつくる空間の大きさです。伸びやかに描かれた線は、一本としてゆらぐことがありません。」という。
二つ目は、「題材が呼ぶ共感」であり、「中国の故事や日本の昔話に多くを求めて」おり、「日本人の魂に根を下ろした物語を題材としてい」るという。「南方戦線に従軍した体験をもとに描かれた色彩画には、大陸のおおらかな暮らしへの共感をみてとれ」るとも。
三つ目は、「不遇からの飛翔」だとして、「先端を走るがゆえに長らく認められなかったこと」を指摘している。「戦後間もなく開いた個展がほとんど評価されなかったため、十数年間、意にまかせない日々を送ったと伝えられています。その期間を経て、線はますます研ぎ澄まされ、空間の美がより豊かになったように感じます」という。
← 冒頭の植物の全体像。きっと、萌えるだろう!
しかし、やはり篁牛人の作品画像を見出すことはできなかった(← 「篁牛人記念美術館」の中のギャラリーにて、幾つか見ることが出来る(111202 注))。
小生の父も、篁牛人のエピソードを語ってくれたが、詳細を忘れてしまったのが情ない。
「1974年に、東京池袋西部で大規模な作品展が開かれるなど、全国的にも著名です。1989年には、富山県近代美術館が、初の富山の作家展として取り上げました」というが、もっと知られてもいい作家だと感じ、敢えて簡単な紹介を試みた。
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コメント
たかむらぎゅうじん、と読むのですね。
富山というのは妙な人がいろいろいますね、って冗談。
弥一さんは神奈川県立近代美術館もお好きだって。
鎌倉と葉山とどちらがお好きですか?
明日から葉山、ベンシャーン。
投稿: okh | 2011/12/02 22:08
「篁牛人」に「渇筆技法」ですか。
その水墨画にはカルチャー・ショックを受けました。
わたしの地元の画家・グラフィックデザイナーというと、北九州市在住の黒田征太郎が思い浮かびます。
彼も大胆な筆遣いと、ライブ・ペインティングで熱い人という感じです。
Wikiで調べたら、《クレヨンしんちゃんの作者・臼井儀人が死去した際、海外メディアに誤って黒田の写真が掲載されてしまったことがあった。》とのこと。
黒田征太郎がいうに、「たとえば、赤という色は、三歳児でも、六十の男にとっても、赤は赤だと同じことを感じられる、それすごいよね」と言っていて、なるほどな、と感心させられました。
投稿: 瀧野信一 | 2011/12/03 02:06
okiさん
富山ゆかり(出身)の個性ある人、残念ながら、かならずしも多いとは言えないですね。
(あるいはいるけど、発見されていない人もいるのでしょうが。)
神奈川県立近代美術は、鎌倉です。
というか、鎌倉しか行ったことがない。
ベンシャーン展があるんですね。
ベンシャーンというと、十数年前、伊勢丹だったかでの展覧会で観たのが最初。
それにしても、okiさん、いろいろ観ておられますね。
さすがというか、羨ましい。
投稿: やいっち | 2011/12/04 21:54
瀧野信一さん
篁牛人は、放胆で軽妙洒脱、且つ繊細な描法だからこその世界。
こういう画家がいたってこと自体が凄いですね。
黒田征太郎の、「たとえば、赤という色は、三歳児でも、六十の男にとっても、赤は赤だと同じことを感じられる、それすごいよね」って、言葉は印象的です。
投稿: やいっち | 2011/12/04 22:00