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2011/12/29

自分にとって田植えをするとは(前編)

 つい先日、(多分、生まれて初めて)スーパーで米を買った。
 富山のコシヒカリである。
 我が家はずっと農家だった。

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→ 12月中に降る雪としては、例年になく積雪量が多かった。お陰で我が家の庭木などに随分と傷みを被った。隣家との境にある杉の木の大きな枝が撓み、隣家の壁面に擦れていた。抗議が来た。なので、枝を伐採。(12月29日撮影)

 我が家にとって、米は野菜も含め、作るものであり、家にあるものだった。それをとうとう買う嵌めになった。父の代の途中になって兼業農家となったが、畑はもちろん、稲作も続けてきていた。
 それも、数年前に止めた。父が体力的な限界を感じたからである。
 田圃は人の手に渡った。残るのは少々の畑のみ。

 我が家の蔵には多少の米の備蓄があったが、それも数日前、ついに尽きた。
 自前の米が得られなくなったことを記念して(?)、9年ほど前に書いた、我が家の米作りに関連する雑文をアップする。
 今現在の自分が書いたら、随分、違う内容になる気がするが、こういった日記も書いたのは厳然たる事実なのである。


自分にとって田植えをするとは」 

 怠け者で、高校を卒業するまでは、ほとんど家の手伝いなどせずに来た。我が侭放題に育ってしまったのだ。
 兼業農家とはいえ、我が家にも田圃は少々はあったのである。父の祖父の代に、T町にある本家から少々の田圃を貰って分家し、今日まで細々ながら、農家の体を守ってきた。それも、小生の代に引き継がれることなく、とうとう数年前に完全に人手に渡ってしまった。

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← 母の月命日だったので、我が家の庭から寒菊や山茶花などを生けて仏壇へ。すると、近所の母の友人がわざわざ訪ねてきて、立派な仏花の束を贈ってくれた。せっかくなので、自前の仏花は奥へ、頂いた仏花は手前に供え、月命日の準備。(12月25日撮影)

 小生が、高校を出て姉達の結婚とか、父母等の度重なる病気とか、あれこれ経費の嵩むこともあり、方々に分散して所有していた田圃が、徐々に人手に渡っていった。
 それは、しかし、おカネのためだけでなく、姉達の結婚で我が家に人手がなくなり、父母の二人で、しかも兼業農家ということで、父は仕事を別に抱える身でもあり、とても手が回りそうもなくなった。恐らくは父祖の代からあった田圃を自分たちの代で他人の手に渡すなど忍びなかっただろうに、手足をもぎ取られる思いの中、次々に消えていったのである。
 小生は、よく言っても昼行灯で、田圃にしろ、畑にしろ、庭の草むしりにしろ、とにかく全くといっていいほど、我が家の手伝いを一切しない人間だった。父母が敢えて小生に意見しないことをいいことに、自分でも手伝わないことにあまり後ろめたい気分も味わうことはなかった。
 ガキの頃は、ただ、ボンヤリと過ごし、少年の頃になって、もう、出来の悪い息子ぶりが根性に染み込んでいて、思いついたように勉強の真似事くらいは高校生の頃にはするようにはなったが、相変わらず、家の手伝いには思いが至らないのであった。

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→ 12月中に積雪が40センチを超えるなんて、ここ数年、なかった。画像は、やや溶け始めた屋根の雪。(27日撮影)

 どうして、ここまで鈍感でいられたのか、自分でも分からないくらいなのである。そう、中学生となった自分には、あまりの成績のひどさに、両親としては、ともかく、せめて学校の勉強くらいは、姉達に負けない程度にやってほしいと願うばかりだったようだ。試験で零点を取ることも珍しくはなく、よくて50点を取れたら御の字だったのである。
 それでも、中学の二年になった時、あまりの出来の悪さに、いきなり塾へ通わせられて、やっと勉強の真似事くらいはするようになったのだ。もう、親にしたら、それで十分だという感じがあったのかもしれない。
 それに少々の障害も抱えている自分だったので、親も姉も、小生の我が侭を黙認していたのかもしれない。それだから家の手伝いなど期待しないとして、せめて、人並みの成績をというわけであろうか。その放任振りが、また、自分を依怙地にもさせた。どうして誰も正面切って俺に意見しないのか…。
これも、また、所詮は甘えに過ぎないのだろうけれど。
 そう、短気な自分は気に食わないことがあると、すぐにカッと来てしまう。そんな自分の性分を知っているから、腫れ物に触るように、そして触らぬ神に祟りなしということで、放っておかれたのである。自業自得なのだ。
 そんな自分は、いつしか哲学に凝ってしまって、ますます自分の世界に深く沈み込んでいってしまった。何か、宗教や人生や存在などの謎に囚われてしまったと言えば、体裁はいいが、実際には、心の薄明の境を彷徨っていただけであったのだ。無論、自分としては、真理の一端くらいには触れたか、せめていつかは触れえるだろうという、当てのない思い込みを、自分に許された、自分だけに感じられる特権のように思っていた。生の断崖に直面しているというほどの心意気もあったのである。

 そんな自分の井の中の蛙にも似た情熱は、社会人になって数年もしないうちに雲散霧消した。ある事故を契機に、臆病風に吹かれ、自信喪失状態に陥り、呆気なくサラリーマン生活に逃げ込んでしまったのである。
 自分には逃避なのだった。定時に出社し、決められたことを真面目に遺漏なくやり遂げ、あとは、家でテレビを見るか、学生時代に乗り始めたオートバイに、改めて凝り始め、毎週末には、快晴の日は勿論、雨の日も合羽を着込んで、ツーリングに向かった。それは、ツーリングという名で連想されるような心のゆとりや遊びの雰囲気はまるでなかった。ひたすら走るだけのハードな、時間を走ることで蕩尽すればそれでいいという、素っ気無いというのか、単調極まるランなのだった。

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← 雪の重みで倒れた樹木の一本。雪吊りを怠ったばっかりに!(29日撮影)

 自分でも、何故、こんな味気ない走りをひたすら続けるのか、まるで理解できないでいる。それでいて、どうしてもやめられなかったのである。
 あと、サラリーマン時代に覚えたことは、テニスにスキーにゴルフ、夜はほんの気まぐれな読書とテレビに費やされた。高校時代に密かに抱いた、いつかは文筆で立つんだという野心は、何処吹く風と掻き消えていた。ほんの時たま、熱に浮かされたように何かノートに書きなぐるのだったが、それが纏まった形に結晶することはなかった。
 それどころか、まさに自分という人間の甘さなのだが、いつか何かインスピレーションのようなものがある時、自分に訪れる。そしたらその閃きを書き留めればいいのだ…、と雲を掴むような、夢のようなことを思うばかりなのだった。まるで白馬の王子様の到来を待つお姫様状態である。

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コメント

こんにちは。
やはり人生は色々なことが起きますね。私の場合は根が正直ですが、負けず嫌いなのでしょうか頑張り通してきました。やはり目的がないと生きるのが難しい時代なのでしょうか。昔から人間はそうして生きてきたのでしょう。人生の目的は大きなこともあるしょうし、本当に小さなこともあるでしょう。人それぞれです。私の知人で早期退職で目的を失い毎日不貞寝をしていた男がいました。仕事は出来たのですが、仕事が趣味だったのです。数年前に突然一人で田舎に引っこんで犬と猫を飼いながら畑を耕して自活を始めました。いまは見違えるように元気になったようです。

投稿: シゲ | 2011/12/30 15:35

シゲさん

小生、シゲさんには頭の上がらないような情けない人間ですね。
シゲさんのコメント、痛み入ります。

いろんなことに挑戦しては、挫折や頓挫を繰り返してきました。
そんな中、ブログだけは意地でも続けるつもりです。

何かしら目的、あるいはこれは自分が遣らなければという責任感といったものがないと、揺れるばかりなのでしょう。

投稿: やいっち | 2011/12/31 21:07

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