本の洗礼は貸本屋さんにて ! ? (前編)
今日、初めて米(富山のコシヒカリ)を買った。
我が家は農家だったので、米や野菜は買うものじゃなく、作るもの、家にあるものだった。
でも、もう、米の備蓄もなくなり…。
10キロ入りの米袋を買ったのだが、その重いこと。
さて、本題に入ろう。
← 久しぶりに我が母校の近くを通りかかった。校庭の裏辺り。高校一年のとき、半年だけサッカー部だった。このグラウンドを走り回ったのだった。昼休みには、ソフトボールに興じた。
小生は今でこそ、本は少々は読むほうだが、以前、何かの日記の中で、もともとは本が嫌いだったなどと書いたことがあった。
嫌いといっても、活字の(みの)本で、漫画の本は大好きだった。
何故、本が好きじゃなかったのか。
まあ、勉強も嫌いだが、脳みそが活字を追うのに適していなかったせいもあろう。
同時に、むしろ、本を嫌いというより、本を読むことに後ろめたさ、罪の意識めいたものを感じていたというほうが近いかもしれない。
さて、小生がガキのころ、本は漫画の本も含め、高嶺の花だった。
個別の雑誌や書籍は、それほど割高ではなかったはずだが、何しろ、漫画好きとなると、当時、売れていた少年サンデーやマガジン、キングの類いは、毎週、読まないと収まらない。
月刊の漫画雑誌も出回っているものは、欠かさず読む。
となると、それらを全部、買って読む、というわけにはいかないわけである。
実際、小学生の高学年の頃には、週刊の少年マガジンは毎号、買っていた。
月刊だと「冒険王」を毎月。
で、ほかの週刊誌や「少年」など月刊詩は、友人が買い、読み終えたら、交換して読んだものだった。
しかし、あらゆる漫画誌をそういった形で網羅できるはずもない。
そこに、貸本屋さんが登場するわけである。
→ せっかくなので、正門の前へ。高校を卒業して以来、校門の中へは一度も入ったことがない。卒業した翌年、校舎が全て新築となり、校門など一部の施設を除き、馴染みの校舎がなくなったからである。…というより、高校三年の五月、校舎が全焼したのだった。
「貸本 - Wikipedia」によると、「貸本(かしほん)は、貸本屋(貸本店・レンタルブック店など)が貸し出す書籍および雑誌の総称」で、「レンタルビデオ店の先駆的な存在といえなくも無い」。
「江戸時代の社会においては紙や製本した和本は高価だったため、草双紙、読本、洒落本などを貸し出す生業が生まれ、貸本屋と呼ばれた。庶民の手軽な娯楽として親しまれた」という。
「戦後貸本の店が多かった理由としては、人々が当時まだまだ高価だった書籍を「買う」よりも「借りる」事を望んだ事が大きい」らしい(著作権や貸与権なども今ほど、厳しくはなかったという事情もあったようだ)。
いずれにしても、「著作権者に許可を取らず自由に本を顧客に有料で貸す商売が個人レベルでも比較的簡単に起業できたという事もあったよう」だとか。
そういった貸本屋さんにある本は、いわゆる古書店にあるような本とは趣が違う。
「娯楽系のものが主だった為、古書店のように書籍全般の知識に詳しい必要は余り無かった」ので、起業するのに、それほどの専門的知識がなくても、少々の資本を用意することができれば、開業できたわけである。
「貸本の店は大衆娯楽小説や少年漫画などの単行本、成年・少年・婦人雑誌などを提供する場として1960年代初頭まで日本全国にあふれていた」とかで、実際、小生の家から歩いて一分ほどの近所に「田原」という名の貸本屋さんがあった。
記憶の中では、その店へ日参していたという印象が強い。
別に毎日、借り出していた、というわけもなかろう。
そんなに毎日、借りられるほど、お小遣いがあったはずもない。
一冊、何か月刊詩を借りたとしたら、翌日には返却する。
← 「別冊冒険王 秋期号(昭和41年)」 (画像は、「別冊冒険王 秋期号 昭和のマガジン写真集|OCNブリエ」より)
返却の際にまた、ほかのを借りると、毎日借りるということになるが、週に三回、借り、三回、返却したら、結果的に日参となるわけである。
貸本屋さんには、小生が読みたい、読みえる本が棚に溢れ、店の主人が座るレジの周りにも、新しい雑誌類が平積みされていた。
(店の主人といって、昭和三十年代後半当時、既に(当時の小生の目には)かなり年配の小母さんだった。)
毎日は借りられなくても、毎日、それら漫画や冒険小説などのワンダーランドで夢見ていたわけである。
小生は、本は、少なくとも高校までは嫌いだった。
あるいは大学生になってさえも、やや読むことに罪の意識があった。
嫌いというより、何かいけないことをしているという感覚だったろうか。
世の中には、もっと大事なことがある…、なのに自分ときたら、家に引きこもって本を読んで、一体、何をやってんだか、といったような。
でも、漫画の本を読む楽しみには勝てるはずもない。
幼少の頃から、腫れ物に障るような扱いをされていた小生だった。
家の手伝いも碌にしない、碌でもないガキだった。
外で遊ぶのは誘われたら大いに楽しんだが、あとは家で漫画の本を読んで過ごす(やがて十歳前後の頃から、そこにテレビが加わった)。
→ 「少年 12月号(昭和36年)」 (画像は、「少年 12月号 昭和のマガジン写真集|OCNブリエ」より)
絵本が好きだったという記憶は余りない。
むしろ、絵がメインとはいえ、絵本は、夢中になって読んだという思い出が皆無に近いのである。
絵本と漫画の本との違いは、何処にあるのか。
昔からの名作(昔話)に比して、子供を魅了する物語に満ちた目新しさの漫画本という対比か。
あるいは、絵のカット割りが新鮮だった?
友達との話題でも、漫画を全て読んでいることは常識の範疇だったこともあろう。
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