自分にとって田植えをするとは(後編)
そんな自分の中途半端な姿勢というものは、隠しようのないもので、真面目にはやるが、何か創意工夫で自発的に何か仕事を探したりすることははく、まして、一番苦手なのは、人の上に立つということだった。自分の勝手な世界に篭っている人間に人望など、あるはずがなかった。その自分に、ところてん式に、やがて課長という立場を背負うことになった。部下はいる建前だったが、実際的には、誰一人部下として働いてくれる人間などいなかった。
→ イルミネーション越しの、ライトアップされた富山城。発光ダイオードの発色(光)は綺麗。だけど、煌く青は、冬には寒々しいといいう意見も少なからず。(28日撮影)
小生が課長になった頃には、会社が傾き始めていたこともあり、しかも、自分のマネジメント能力の無さ、そして皆無である人望ということもあり、仕事がその日のうちに終わらなくても、部下に仕事を分担させることも出来ず、毎日、夜遅くまで残業する日々が続いた。
同時に友達の仕事の手伝いをも抱えることになり、睡眠時間が二、三時間という日が続くようになった。会社で眩暈を起こしたことも何度もあった。寝るだけのために自宅に帰っても、ベッドに入ると胸がドキドキ高鳴って、苦しいほどに切なかったりした。それでも、不器用な自分には、誰にも助けを求めることができないのだった。
やがて、自分の障害の治療の名目で入院することになった。それは一度ならず二度迄も重なった(実際には、あと数度は入院加療が必要だが、放っておいたままである)。会社が、まさに赤字で苦しんでいる時でもあり、二度目の入院を終えて出社したその日、その日はまさに我が誕生日の次の日だったが、会社の幹部に別室に呼び込まれ、首を言い渡された。これ以上ない誕生日のプレゼントだ。
目の前が真っ暗になるほど、ショックだった。自分が要らない人間だと言い渡されるというのは、やはり辛いものである。
しかし、内心はホッとしていた。やっと解放されると思った。誰一人仲間のいない会社と、縁を切ることができるのだ…。
← 街中のアップダウンに連れ、立山連峰が見え隠れする。時には、三千メートル級の山々が突如、競り上がってきたかのように映ったりする。(28日撮影)
首を言い渡されるまでの最後の数年は、自分にとって改めて自分を見直す数年でもあった。いつかインスピレーションの来臨を待ち望むような甘さを徹底的に殺ぎ落とす日々だった。会社の仕事で残業し、友人の手伝いで夜の睡眠時間を削る中、更に夜中に起き出して、何も書く着想もアイデアもなくても、とにかくワープロに向かい、無理矢理にでも何かを自分の中から抉り出すようにして、何かを書く日々を続けた。この頃こそ、まさに睡眠時間の最低を記録する時期だったのである。
それは自分を鍛えなおす日々だった。やがて会社をリストラされて、失業保険で食いつなぐ中、体のリハビリを行い、三百冊近い本を一年余りのうちに読み、毎日、原稿用紙で10枚以上のノルマを自分に課した。三百枚程度の作品を五つ(すべて未発表)完成させ、首になる最後の数年の間に書き溜めた作品を編んで退職金をつぎ込んで自費出版をし、エッセイを書き、高校時代以来続けてやや惰性になりかけていた日記も、その失業期間には改めて熱心に書き綴っていた。さらに次の長編にも挑戦を続けた。
その最後の自分を見詰めなおす中で、長年、怠慢を決め込んできた我が家の田植えなどの手伝いを心がけるようになったのである。すでに、田圃は残り少なくなっていた。それこそ、猫の額ほどもあったかどうか。
それでも、最初の頃は、耕運機などなかったし、苗を手ずから水田に植え込んでいく作業は、慣れない自分には結構、きついものがあった。でも、自分の愚かさに鞭打つつもりと、父たちが先祖代代の土地と農業を守ってきた、その心を味わうつもりとで、頑張ったのである。
田圃を裸足で一歩一歩進みながら、土の感触、土と水のグジャグジャした不思議な感触を味わっていた。生命感溢れる泥田。土から生まれ土に還る命。文章を桝目に一文字一文字埋めていく作業は、このようにしてなされるべきだと思ったりした。
さて、不甲斐ないことだが、数年前に最後に残った乏しい田圃もとうとう人手に渡ってしまうのを、自分は為す術もなく見守るばかりだった。小生は、東京で自分の暮らしを成り立たせるのに懸命で、しかも、夢だけは追っているもので、入る当てもないのに無謀にもまたも自費出版をしてしまい、借金を重ねることになってしまっていたのだ。
だから、父の痛恨の行為を手を拱いて見守るしかなかったのだ。何処までも親不孝で、解消の無い息子なのである。
→ 幸いなことに、富山市の郊外へ向かう仕事に恵まれた。お客さんのもとへ馳せ参じる途中、信号待ちの最中に連峰を撮る。やはり、素晴らしい光景だ。盆地ではなく、普通の扇状地である富山市の、その中心部からこういった風景が随所で眺められるということがポイントなのである。富山人の原風景の一つだろう。(28日撮影)
今年も田植えしている狭い田圃というのは、だから既に人手に渡ってしまった田圃、他人の土地なのである。ただ、その土地が飛び地になっているため、当面の利用予定が無いため、七十の大台にとっくの昔に入っている父母が、二人で管理する形で田植えなどをしているのである。
今、自分はそんな他人の土地となってしまった水田で田植えをしている。気が付き、心を入れ替えるのが、遅すぎたのだ。というより、未だに書くことに執着しているのだから、実はまだ、完全に心を入れ替えたというわけではないのだ。
先述したように、とうとう小生の代に引き継がれることなく、我が家の田圃は消え去ってしまった。家の居間から、今日、耕運機を使って植えたり、機械では植えきれずに残った隅っこの部分は手植えしたりして、なんとか格好の付いた田圃を前にしながらも、仕事を終えたという心からの満足感など、到底味わえるはずも無く、ただ、呆然と眺めているだけだった。
その田圃も、もう、数年もしないうちに、所有者の手によって潰されて住宅地に変わるのか、駐車場に変わるのか、いずれにしても、今、眺めている青田は田圃としては、風前の灯状態にあるのだ。
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