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2011/12/28

本の洗礼は貸本屋さんにて ! ? (後編)

 我が家には、主に父の蔵書として、書棚にびっしりの文庫本があった。
 印象の中では、ほとんどが岩波文庫だった。
 当然のように、文学全集も各種あった。

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← 「週刊少年マガジン 10号(昭和34年)」 「少年マガジン」だけは、三十歳近くまで、欠かさず読んできていた。(画像は、「週刊少年マガジン 10号 昭和のマガジン写真集|OCNブリエ」より)

 活字を追うのが嫌いなくせに、仏間にあった磨りガラス戸の書棚をこっそり覗くのがたまらない悦びだった。
 当時の文学全集などは、全ての漢字にルビを振るのが当たり前だったようで、難しい漢字も苦労の種にはならない。
 むしろ、旧漢字の画数の多い漢字を読むこと(観ること)に蠱惑的な悦びを覚えるのだった。

 中にはルビの振ってない本もあった。
 そんな難しい漢字を文章の前後の脈絡で読み解いていく愉しみも、父の書棚を盗み見る密かな愉しみだった。
 石坂洋次郎の各種の小説は、まともに全文を読んだかどうかは別にして、男女の妖しい場面の記述は胸を高鳴らせて読み浸った(妄想に浸った)。

 後に、我が家に大部な百科事典がやってきた。
 全巻で20冊。それぞれが分厚い。
 百科事典で覗き読みするのは、医学的な記述(項目)と決まっていた。
 あとは、言うまでもなく、Hな写真の載っている頁をひたすら探す。
 それでも、本好きにはならなかった(なれなかった)。
 本とは違う、現実の世界が厳然とある、そちらが本来は大事だ、という感覚が強烈だったのである。

 小学生の四年生だった頃、クリスマスのプレゼントに、分厚い本(確か、アンデルセン童話)を父母らから手渡されたときには、当惑したものだった(手術のため、一ヶ月ほど入院していた。プレゼントは、その退院祝い(辛抱したご褒美の意味)もあったのか)。

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→ 「別冊少年サンデー 春季号(昭和37年)」 (画像は、「別冊少年サンデー 春季号 昭和のマガジン写真集|OCNブリエ」より)

 父母はボクを本好きに思っている? あるいは勉強をしないボクを少しでも活字の世界に近づけたいと思っている?
 もらった手前、無理にも笑顔を作って見せたことを今も覚えている。

 貸本屋さんで借りたのは、漫画の本がメインだが、(子供向けの)冒険小説や探偵小説、SF(空想科学小説)系の本を読み漁った。
 というより、貸本屋さんで借りるのは、小説の本に限られていくようになった。
 本格的な文学系の小説は、借りて読んだ記憶がまるでない。
 あくまで、ワクワクドキドキの時代活劇、そしてやはり空想科学小説である。

 中学生になっても、依然としてそういった類いの本ばかりを借りて読む。
 たまに、もう中学生なんだからと、殊勝な気持ちになって、文学臭の漂う本(といっても、現代国語などの教科書に載っている小説を中心に、だったが)を買って読んだりするが、どれほど夢中になれたものか。
 ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」や「戦争と平和」といった本も多分、ダイジェスト版で読んだが、どうにも面白いとは思えない。
 やはり、探偵小説や空想科学系の小説の愉しみには敵わない。

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← 石坂 洋次郎 (著)『陽のあたる坂道』 (角川文庫)  日本文学全集の中の「石坂 洋次郎」の巻は、父の書棚から引っ張り出して、こっそり齧り読みした。できるだけ、ドキドキする場面を探して。昭和四十年年代前半は、石坂 洋次郎原作のテレビドラマや映画が全盛だったような。好日的な世界が描かれていたから? (画像は、「Amazon.co.jp」より)

 つい先日の日記で書いたように、高校一年になって、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』を読んで初めて、本物の文学の凄みに気づくようになったのである
 と同時に(といった印象がある)、貸本屋さんからは足が遠ざかった。
 そういった類いの本は、置いてなかったからである。

 もう、それまでのような本は卒業する年代に至っていたのだろう。
(但し、少年マガジンだけは、学生になっても、社会人になってさえも、ずっと読み続けた。買って、じゃなく、少年マガジンを店内に買い置きしてある店を選んで、外食に行ったものである。)

 高校を卒業する前後には、気がついたら、田原書店(貸本屋)さんは閉店となり、やがて学生時代のあるとき、帰省の折、貸本屋さんの前を通りかかった時、建物自体がなくなってしまっていることに気づいたのだった。
 ちょっと寂しい気がしたものである。

 もう廃業されて久しい田原の貸本屋さんだが(ご主人も、存命なら九十代を超えているか)、ちょっとだけ惜しいことがある。

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→ 『アンデルセン童話集』(荒俣 宏 (著), ハリー・クラーク (イラスト) 新書館) (画像は、「魅惑的ヴィジュアルアート本の世界 アンデルセン童話集」より。左記のサイトはとても参考になる。) ガキの頃の小生には、アンデルセン童話の世界の蠱惑的な世界の面白みなど、想像だにできなかった。ある意味、こういった本がプレゼントされたことは、天与の恵みだったのかもしれない。

 本を借りるたび、大学ノートらしい帳面に、ご主人は、借りた記録をつけていた。
 借りた日、借りた本の名、返却の日、借りた人の名前などなど。
 そういった記録が残っていたら、自分が借りた記録を読み返してみたいのである。
 あの田原の店があった辺りを通りかかるたび、どんな本や漫画の本に夢中になったのか、知りたい気がふと、湧いてしまうのだ。

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