« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2011/12/31

「真言密宗大本山 大岩山 日石寺」へ(前編)

 昨日30日、仕事の絡みで「真言密宗大本山 大岩山 日石寺」へ行って来た。
日石寺(にっせきじ)は、富山県中新川郡上市町にある真言密宗大本山の寺院。山号は大岩山(おおいわさん)で、山号から「大岩不動」の通称で知られる。別名・金剛不壊寺」という。

Nissekiji_006

← やや急な石段を登っていく。この下が駐車場など。まだ明るい。

 また、「寺伝では神亀2年(725年)、行基(ぎょうき)の開基と伝える。本尊は大岩壁面に刻まれた、磨崖仏の不動明王像で国の重要文化財に指定されている」とも。

続きを読む "「真言密宗大本山 大岩山 日石寺」へ(前編)"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011/12/30

自分にとって田植えをするとは(後編)

 そんな自分の中途半端な姿勢というものは、隠しようのないもので、真面目にはやるが、何か創意工夫で自発的に何か仕事を探したりすることははく、まして、一番苦手なのは、人の上に立つということだった。自分の勝手な世界に篭っている人間に人望など、あるはずがなかった。その自分に、ところてん式に、やがて課長という立場を背負うことになった。部下はいる建前だったが、実際的には、誰一人部下として働いてくれる人間などいなかった。

Mountain_050

→ イルミネーション越しの、ライトアップされた富山城。発光ダイオードの発色(光)は綺麗。だけど、煌く青は、冬には寒々しいといいう意見も少なからず。(28日撮影)

 小生が課長になった頃には、会社が傾き始めていたこともあり、しかも、自分のマネジメント能力の無さ、そして皆無である人望ということもあり、仕事がその日のうちに終わらなくても、部下に仕事を分担させることも出来ず、毎日、夜遅くまで残業する日々が続いた。

続きを読む "自分にとって田植えをするとは(後編)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/29

自分にとって田植えをするとは(前編)

 つい先日、(多分、生まれて初めて)スーパーで米を買った。
 富山のコシヒカリである。
 我が家はずっと農家だった。

Mountain_002

→ 12月中に降る雪としては、例年になく積雪量が多かった。お陰で我が家の庭木などに随分と傷みを被った。隣家との境にある杉の木の大きな枝が撓み、隣家の壁面に擦れていた。抗議が来た。なので、枝を伐採。(12月29日撮影)

 我が家にとって、米は野菜も含め、作るものであり、家にあるものだった。それをとうとう買う嵌めになった。父の代の途中になって兼業農家となったが、畑はもちろん、稲作も続けてきていた。
 それも、数年前に止めた。父が体力的な限界を感じたからである。
 田圃は人の手に渡った。残るのは少々の畑のみ。

 我が家の蔵には多少の米の備蓄があったが、それも数日前、ついに尽きた。
 自前の米が得られなくなったことを記念して(?)、9年ほど前に書いた、我が家の米作りに関連する雑文をアップする。
 今現在の自分が書いたら、随分、違う内容になる気がするが、こういった日記も書いたのは厳然たる事実なのである。


続きを読む "自分にとって田植えをするとは(前編)"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011/12/28

本の洗礼は貸本屋さんにて ! ? (後編)

 我が家には、主に父の蔵書として、書棚にびっしりの文庫本があった。
 印象の中では、ほとんどが岩波文庫だった。
 当然のように、文学全集も各種あった。

40441

← 「週刊少年マガジン 10号(昭和34年)」 「少年マガジン」だけは、三十歳近くまで、欠かさず読んできていた。(画像は、「週刊少年マガジン 10号 昭和のマガジン写真集|OCNブリエ」より)

 活字を追うのが嫌いなくせに、仏間にあった磨りガラス戸の書棚をこっそり覗くのがたまらない悦びだった。
 当時の文学全集などは、全ての漢字にルビを振るのが当たり前だったようで、難しい漢字も苦労の種にはならない。
 むしろ、旧漢字の画数の多い漢字を読むこと(観ること)に蠱惑的な悦びを覚えるのだった。

続きを読む "本の洗礼は貸本屋さんにて ! ? (後編)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/27

本の洗礼は貸本屋さんにて ! ? (前編)

 今日、初めて米(富山のコシヒカリ)を買った。
 我が家は農家だったので、米や野菜は買うものじゃなく、作るもの、家にあるものだった。
 でも、もう、米の備蓄もなくなり…。
 10キロ入りの米袋を買ったのだが、その重いこと。

 さて、本題に入ろう。

Snow_035

← 久しぶりに我が母校の近くを通りかかった。校庭の裏辺り。高校一年のとき、半年だけサッカー部だった。このグラウンドを走り回ったのだった。昼休みには、ソフトボールに興じた。

 小生は今でこそ、本は少々は読むほうだが、以前、何かの日記の中で、もともとは本が嫌いだったなどと書いたことがあった。
 嫌いといっても、活字の(みの)本で、漫画の本は大好きだった。

 何故、本が好きじゃなかったのか。

続きを読む "本の洗礼は貸本屋さんにて ! ? (前編)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/26

フランジパニのこと

 タクシードライバーという仕事柄、富山市内を中心に、お客さんの求めに従い、いろんな場所へ向かう。
 日中だと、病院が実に多い(ことは、以前、本ブログに書いた)。
 ホテルやデパート、美術館などの催事場。会社関係。

Snow_049

→ 富山市の中心部を横切って流れる松川の各所にある彫刻群のひとつ。作者名などは、いつか調べたい。こんな格好だと、夏場はいいけど、冬は寒そう。24日、今冬、初めて雪が積もった日の昼下がり、撮影。

 あるいは、土日を中心に結婚式場、時には葬式の場へも。
 夕方になると、繁華街へ向かう、店の従業員(ママ)や、飲みに行くお客さんが増えてくる。
 富山市にも、多数の各種の店がある。
 割烹や寿司屋を中心とした酒場やスナック、カラオケなどなど。

 そんな中に変わった名前の店があって、気になっていた。

続きを読む "フランジパニのこと"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/25

「流し」から「無線」、そしてGPSへ(後編)

 さて、迎車(無線)営業という方式を取るには、前提がある。
 それは無線設備の完備…ではなく(それは当たり前)、GPS装置、あるいはGPS管理システムの完備である。
 タクシーは、GPS装置で、会社に位置が常時、把握されている。

Snow_051

← クリスマス寒波! イブの日の朝には、一気に雪景色に。朝方は、路面は雪も凍結していて、スノータイヤでも、滑る滑る。怖かった。

 会社の無線配車室には、何台もの大きな液晶画面のパソコンが設置されていて、街の街路や車の動きが、細かく表示される。
 無論、タクシーには、それぞれ号車番号が付されているが、その番号で画面に位置表示される。
 空車か実車かの区別はもちろんだが、迎車状態かどうかも表示される(会社側が把握できている)。

続きを読む "「流し」から「無線」、そしてGPSへ(後編)"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011/12/24

「流し」から「無線」、そしてGPSへ(前編)

 小生は、東京在住時代の後半の12年余りをタクシードライバーとして暮らしていた。
 97年の夏からは、消費税のアップなど税制上の締め付けが厳しくなったこともあって(財政再建路線至上主義の極み)、一気に不況に落ち込んでいったが、それまでは、景気は持ち直しつつあった。

07031616

→ 4年前、つまり東京在住最後の年、3月15日の夜半過ぎ。都内某運河沿いの公園脇にて仮眠。その日、目覚めて間もない午前4時頃、都内に初雪が降ったとか…。(画像などは、「バロックの音の魅力に身を任し」参照)

 小生は、95年の9月にタクシードライバーとしての営業を始めた。
 日本が一気に不況に陥る97年の8月までは、タクシー稼業も繁忙を極めたものである。

 東京での小生のタクシー業は、基本的に「流し」と呼ばれるスタイル。

続きを読む "「流し」から「無線」、そしてGPSへ(前編)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/23

『サルガッソーの広い海』あるいはジェイン・エア異聞(後編)

 金土日の三連休の前日となる木曜日は、不況の富山(市)も、さすがに忘年会などでだろう、夕方から混雑を極めた。
 冷たい雨、そして夜半からは雪模様をも予報されていることもあって、車を使う人も増えていたのだろう。

10011418

← 間もなく、こんな風景へと一変するのだろう。(画像は、昨年の一月半ば、新聞配達をしていた頃の一場面。新雪の原を踏み分けて、各家庭のポストへ向かう。「南天の実に血の雫かと訊ねけり」より)

 タクシードライバーたる小生、夜になって、無線でお客さんを迎えに行けという指示の連発で、いつ、トイレへ行こう、夜半にはお腹が空いたので、持参したバナナかチーカマを食べたかったのだが、そのゆとりもなかった。
 やや郊外のほうへ出たとき、隙を見て、某病院のトイレへ駆け込んだものである。

続きを読む "『サルガッソーの広い海』あるいはジェイン・エア異聞(後編)"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011/12/22

『サルガッソーの広い海』あるいはジェイン・エア異聞(前編)

 池澤夏樹編集の「世界文学全集」Ⅱ-01(河出書房新社)所収のヴァージニア・ウルフ 『灯台へ』 (鴻巣友季子翻訳)に引き続き、ジーン・リース作の『サルガッソーの広い海』(小沢 瑞穂訳)を読了した。

110226

→ 我が母校(高校)の正門。今年の二月末に撮影。校舎は、高校三年の5月に全焼し、門や校庭に僅かに昔を偲ぶだけ。入学した年の夏だったかに、C・ブロンテの『ジェイン・エア』を読んで感激。文学や哲学関連の本を読み漁るようになった。

 ヴァージニア・ウルフ 作の『灯台へ』を巡っては、周辺散策的に若干のことをメモしておいた
 ジーン・リース作の『サルガッソーの広い海』は、小生は、作家の名も含め、全く未知だった。
 このように、二人の作家の作品が収められている形でなければ、ずっと知らないままの作家(作品)だっただろう。

続きを読む "『サルガッソーの広い海』あるいはジェイン・エア異聞(前編)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/21

三文字熟語に寄せて

 昨日の日記で、「頓珍漢」なる言葉を鍵に、駄文を綴った
 すると、この面白い言葉、というより、どちらかといえば、(耳で聞いた際の)音的な読みが愉しくなるような言葉、特に三文字熟語の言葉に興味が湧いた。

Crythath_011

← 霙(みぞれ)や雪にも耐えて黄色が映えるばかり

 すぐに思いついたのは、「素っ頓狂」や「突拍子」である。
「すっとんきょう」に「とっぴょうし」!
突拍子(とっぴょうし)もない」という慣用的言葉があって、「とんでもなく調子はずれである。突飛である」といった意味。
 意味の成り立ちは、「拍子」を突き破っているってことから来ているのか、なんて勝手に想像する。

続きを読む "三文字熟語に寄せて"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/20

この唐変木!

 もう一昨日となるが、日曜日は営業の日だった。
 金曜・土曜と忘年会などで街は賑わい、仕事のほうもかなり忙しかったらしい。
 そんな肝心の日、小生は休みで、日曜日に仕事。

Crythath_021

→ 日中の冷たい雨に凍える南天の実。今夜、雨の雫が雪に変わりそう。

 それでも、金曜土曜ほどではないが、夕方くらいまでは、そこそこに忙しかった。
 無論、忘年会とかじゃなく、買い物やカラオケへ、食事に、というお客さんが多かった気がする。
 日曜日なので、日中から忘年会だというお客さんもいたが。
 

続きを読む "この唐変木!"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011/12/19

富山市豊田そして「豊(とよ)」のこと(後編)

 洗濯したり、お風呂の水を替えたり、あれこれ雑事を片付けて、さて、遅い朝食(でも、正午に近かったから、世間的には昼食かも)の準備をした。
 近頃、お気に入り(マイブーム)の「寿がきや食品」の「和風とんこつラーメン」!

Img_7503_l

← 「寿がきや食品」の「和風とんこつラーメン」! チャーシューにシナチクに刻みネギに乾燥ワカメにカマボコ、さらにモヤシを添えて。オカズは、から揚げやポテトサラダ、ツナ(缶)、デザートにミカン。クッキーも少々。週に二度は食べている。

 お気に入りラーメンで、買ったばかりのラーメンドンブリを使って、朝食(兼、昼食)を、さあ、食べようとしていたら、テレビで臨時ニュースが。

金正日死去」!

 急いでNHKに切り替える。
 死亡原因は、「心筋梗塞」だとか。
 医者が困ったときに使う病因である(最後は心臓が止まるんだから、心筋梗塞にしておけば、間違いはないのだが)。


続きを読む "富山市豊田そして「豊(とよ)」のこと(後編)"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011/12/18

富山市豊田そして「豊(とよ)」のこと(前編)

 過日、富山市内の地名に「アラ」が付いている事例が多く、ちょっと話題にしてみた
 ある程度は、想定内だった。
 間違っても、富山の地に「アラ」が多いわけじゃない。 

Bamboo_029

← 富山市某公園で見かけた石の庭。決して、我が家の庭じゃない。枯山水? 夏場など、雨の多いときは、渓流となる? 

 あくまで(県内を流れる常願寺川など、何本もの暴れ川の氾濫などによる)荒れた地が多かった、それを開墾して住地(畑や田圃など)として整えられていったということのようだ。

 富山市内で気になる地名は、ほかにもある。
 それは、「豊田町」である。

続きを読む "富山市豊田そして「豊(とよ)」のこと(前編)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/17

ウルフ『灯台へ』の周りをふらふらと(後編)

 以下、ネットで見つけた、この小説『灯台へ』からの引用文を幾つか、紹介する。
 小説は、こうした文章がどこまでも、終始、続いていると思っていいだろう。

Bamboo_003

→ 曇天。13日に撮影。11日、ほとんど幻のような初雪。16日に、雪。積もり始める。鉛色の空。これが北陸の、富山の人間の原風景。だからって、根暗ってわけじゃない!

[以下、全て、ネット上で見つけた、翻訳本からの引用です。]

そしてこれが――と、絵筆に緑の絵具をつけながらリリーは思う、こんなふうにいろんな場面を思い描くことこそが、誰かを「知る」こと、その人のことを「思いやる」こと、ひいては「好きになる」ことでさえあるはずだ。もちろん今の場面は現実ではなく、単に想像したものにすぎない。でもわたしにとって、人を理解するというのはこんな個人的な連想によるしかないように思う。彼女はまるでトンネルでも掘るようにして、さらに絵の中へ、過去に中へと踏み込んでいった。(p.334)

続きを読む "ウルフ『灯台へ』の周りをふらふらと(後編)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/16

ウルフ『灯台へ』の周りをふらふらと(前編)

 池澤夏樹編集の「世界文学全集」Ⅱ-01(河出書房新社)所収のヴァージニア・ウルフ 『灯台へ』 (鴻巣友季子翻訳)を読了した。
 ひたすら登場人物たちのモノローグが続くような小説。
 現実には、人は誰も他人のモノローグなど、聞けるはずもない。
 ツイッターなどで呟きを読むことができる世の中になったとしても。
 心の中など、覗けるはずもない。

519ujvlwvl

←  ヴァージニア・ウルフ 『灯台へ』 (鴻巣友季子翻訳 池澤夏樹編集「世界文学全集」Ⅱ-01 河出書房新社) (画像は、「Amazon.co.jp」より) 本書には、ジーン・リースの『サルガッソーの広い海』(小沢 瑞穂訳)も収められている。まだ読んでいない。

 もしかしたら、自分の心の中さえ、覗けるかどうか、あやうい。
 心は、常に時間と忘却の洪水の中を、喘ぎながら、ゆったりと、時に懸命に闇雲に泳いでいる。
 泳ぎ渡ろうとしているのか、ただ溺れないようにしているのか、小生には分からない。
 小説とは何か。

続きを読む "ウルフ『灯台へ』の周りをふらふらと(前編)"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011/12/15

家の中を風が吹き過ぎる

 オレは、オレに残された唯一の夢を追うことにした。
 その夢とは樹海に眠ることだ。

Bamboo_006

→ 我が家は風通しがいい。じゃなくて、隙間風が凄い。なので、まず、玄関ホールに襖(ふすま)を設置。玄関からの風をシャットアウト!

 十年来、寝付けない夜になると、必ずと言っていいほどに樹海で憩うオレの姿があった。そこは獣さえもが彷徨することのない樹海だった。獣どもまでもが方向感を失って、道に迷い、ついには屍となってしまう。そこにいる動物は、まさに微生物だけであって、あとは、僅かに生きることを許されているコケ類、目立つのはツガ・ヒノキなどの針葉樹くらいのものか。

続きを読む "家の中を風が吹き過ぎる"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/14

モニュメント風な雪吊り

 富山でタクシードライバーとなって、早、十ヶ月目となった。
 通勤時間も含めると、ほぼ終日の仕事を月に十二回余り。

 体は馴れた…とは言いづらい。
 実際には、東京在住時代でのタクシー稼業のほうが、仕事はきつかったし、長かった。
 通勤時間も含めると、ほぼ24時間だったから。

Bamboo_041

← お客様を乗せて富山市のやや海寄りの地区にある「富山県岩瀬スポーツ公園」の傍を通りかかったら、何やら奇妙というか面白いものが。少なくとも左側のは、どう見ても、魚である。海(浜)に近いから、魚のモニュメント? では、その右側のは、何?

 ただ、東京時代は、仕事の明けの日は、全てが自分の時間。
 親戚づきあい、近所づきあいがあるわけもなく、全てフリー。


続きを読む "モニュメント風な雪吊り"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/13

早百合(姫)観音祠堂

 過日、仕事の関係で、富山市の某地区へ。
 神通川に程近い、堤防沿いの住宅地。
 あるマンションの前でお客さんを待機するためである。

Yukei_012

← 車をUターンさせようとして、ふと、脇の看板に目が。

 そこは袋小路というわけではないが、一見すると行き止まりのような場所で、マンションの前に車を止めるためには、堤防の裏側のやや広くなっている場所でUターンする必要があった。
 すると、その一角に、「早百合観音祠堂」なる看板が立っているではないか。
 こんな目立たない場所に、佐々成政関連の施設があるなんて。

続きを読む "早百合(姫)観音祠堂"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/12

最低限の付き合い

 過日の日記で、「親戚づきあい、近所づきあい、町内会、会社の同僚との付き合い、などなど、最低限に抑えている。というより、現実的にできない」なんて、愚痴を呟いた。

 その流れの話である。

Yukei_023

→ 富山の某建物の夜景。なんて、実は富山市役所。実にユニークなデザインである。「公共建築賞、日本建築学会賞、電気設備学会賞、中部建築賞、とやま都市景観建築賞、NEG空間デザイン・コンペティション」などを受賞とか。「旧・富山市制100周年記念事業として、改築された」という。

 情けなくも、かくなる愚痴を吐いた日、衝撃の事実を知らされた。
 父の一番上の姉(小生にとっての伯母)が本年の一月に亡くなっていたと、近所の親戚の方に知らされたのだ。
 その方も、正月の年賀状は控えますという、その伯母の家の方からの葉書で知ったという。

続きを読む "最低限の付き合い"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011/12/11

「アラヤ」という地名のこと

 仕事柄、富山市内(外)を車で動き回っている。
 すると、富山の風景などで感じることがあれこれある。
 地名についても、以前から不思議に思えることがあった。

Yukei_021

→ 富山市某所の夕景。昨日のような、こんな空だったら、満月に恵まれ、月食の観測も叶ったかもしれない。それにしても、金曜日の夜は、さすがに忘年会などで街が賑わっていた。いつもこうだったら、富山の夜も元気が漲るのだが。

 というのは、富山市には、「アラヤ」という地名の付くところが方々にある。
 何も、北アラヤとかアラヤ東とかアラヤ新町、ではなく、「山室荒屋」、「四方荒屋」、「三室荒屋」などなどである。

 他にも、地名ではなく、交差点名だが、「飯野新屋」もある。

 それぞれ、富山市内のあちこちにあって、場所的は散在しているといっていい。

続きを読む "「アラヤ」という地名のこと"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011/12/10

報恩講の意味も知らず

 今日は満月、そして月食が全国的に観測できる(条件が整っている)日だそうな。
 でも、北陸など日本海側には、整っていない。
 曇天なのである。

Sazanka_020

← 準備万端。あとは仏飯を供えるだけ。

 さて、月つながり、というわけではないが、月命日のお勤めを果たして、ホッとしている。

 報恩講の件も、一月遅れで片が付いた。

長年、郷里にはいなかったので、お寺にとっても、我が家にとっても大事な節目の行事である、報恩講の意味もしらなかったし、何をどうすればいいのかも知らなかった。

続きを読む "報恩講の意味も知らず"

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011/12/09

命を懸けて路上へ!(後編)

「自転車は、車道が原則、歩道は例外」で、「車道は左側を通行」、且つ、「歩道は歩行者優先で、車道寄りを徐行」という原則が分かりやすいようで、理屈の上では筋がとおっているようではああるが、実際の道路(走行)状況においては、戸惑うことばかりである。

Sazanka_006

→ 山茶花の花が次々と咲き出している。前にも書いたけど、寒くなるほど、咲き誇るって、不思議な木だ。

「車道内で道路標識等により自転車の通行すべき部分が指定されているときの通行方法について一部変更がなされました。歩道内は徐行しながら通行しなければなりませんが、歩行者がいないときは、歩道の状況に応じた安全な速度と方法で通行することができます。 (道路交通法第63条の4第2項)」という。

続きを読む "命を懸けて路上へ!(後編)"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011/12/08

命を懸けて路上へ!(前編)

 明日(金曜日)は、富山にも雪マークが出ていた。
 車、タイヤを未だ替えていない。
 雪が積もったら、会社へどうやって行こうか…。

Sazanka_003

← 我が家の座敷。内庭には廊下…縁側で接する。ガキの頃、縁側に家族が集まって、花火などやったっけ。

 さて、表題を「命を懸けて路上へ!」なんて、勇ましいというか、大仰なものになっているが、内容は、他愛もないものであることを、予め、断っておく。
 道路交通法の改正(?)で、自転車の走行に関する法的規制がやや厳しくなったことは、過日、マスコミでも話題になった。


続きを読む "命を懸けて路上へ!(前編)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/07

照葉(てりは)! あるいは常緑樹の堤防(後編)

 ガブリエル・ガルシア=マルケスの『族長の秋 他6篇』に驚倒されたあとは、今、ヴァージニア・ウルフ著『灯台へ』(河出書房新社 池澤夏樹編「世界文学全集Ⅱ-01」には、『灯台へ/サルガッソーの広い海』が所収)を読み始めている。
 ヴァージニア・ウルフの地の文章の際立つ個性。
 マルケスも凄いが、ウルフも傑出している。

Nanakamado_001

→ 山茶花やナナカマドなどなど、車道沿いの垣根は秋色が賑やか。花が少ない我が家だけに、樹木たちには頑張ってもらいたい。

 学生時代だったか、初めてヴァージニア・ウルフの小説を読んだとき、退屈したのが嘘のようである。

 常緑の樹木は、寒さに耐えて生き抜く知恵の固まりのように感じてしまう。
 紅葉もせず、年中、緑の葉っぱを誇らしげに(?)繁らせている。

続きを読む "照葉(てりは)! あるいは常緑樹の堤防(後編)"

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011/12/06

照葉(てりは)! あるいは常緑樹の堤防(前編)

 このところ、雨模様の日が続いた。
 そうでなくても、曇天続きである。
 まさに冬の北陸特有の空。

Nanakamado_013

→ 寒菊…。多分。父母の月命日には、仏壇に花を供える。玄関などに生けるわけじゃないので、できれば、花屋さんで買った花じゃなく、自宅の庭で育った草花が望ましい。そのためもあって、昨秋、買ってきたのだ。

 東京在住時代、秋、そして冬ともなると、晴れの日が続く。
 今頃、郷里の富山は、雨か雪、いずれにしても、曇天なんだろうな、翻って東京の空は、晴れ。
 天気予報など気にかけずとも、外出などの予定を立てられる。

続きを読む "照葉(てりは)! あるいは常緑樹の堤防(前編)"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011/12/05

日曜美術館から(清川あさみ篇)

 同じく、日曜美術館なる番組の最後で、「清川あさみ」というアーティストを知る:
清川あさみ|ASAMI KIYOKAWA INC.
清川あさみ|ASAMI KIYOKAWA INC.|diary

06216633

← 清川あさみAKB48×美女採集』(講談社) 「AKB48が図鑑になった! 写真に刺しゅうをする独特の手法で注目されるアーティスト清川あさみが、AKB48のメンバー全員を変身させた。48人48通りの美女採集がここに!」だって。

 やはり、清川あさみの「美女採集」(水戸芸術館)展の紹介:
水戸芸術館|美術|清川あさみ|美女採集

続きを読む "日曜美術館から(清川あさみ篇)"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011/12/04

日曜美術館から(菊池俊吉篇)

 今日も日中、落ち葉掃除。クリーニングに洗濯に、銭湯に、そしてなんといっても、休息に過ごすべき、仕事の合間の慌しい生活。

Kareha_008

← 山茶花…なのだろうか。実に豪奢な花が咲き始めた。たっぷりした肉厚の花びらの幾重もの重なり。

 食事の最中、テレビで菊池俊吉という写真家のことを知った。
 といっても、日曜美術館という番組の最後をチラッと見ただけ。
 なので、特集とかじゃなく、今、「写真家 菊池俊吉が捉えた昭和」展をやっていますよ、という聞きかじりの情報に接しただけ。

続きを読む "日曜美術館から(菊池俊吉篇)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/03

落ち葉拾い…集めてます

 秋も深まり、雪の季節の足音が聞こえそうになると、落ち葉の季節となる。
 紅葉した枯葉の散る光景というのは、哀れでもあるが、観ている分にはひたすら美しい。
 何故に美しいのかは、分からない。
 雪の舞う光景を思わせる?
 秋版の桜吹雪?

Houki_001

→ 2日(金)、ホームセンターで買ってきた、落ち葉対策グッズ。小さめのスコップは、側溝の底などに溜まったヘドロを浚渫するため。今までは、園芸用の小さなシャベルで掬っていた。

 しかし、一旦、散ってしまった枯葉は、ひたすら邪魔っけな存在である。
 そこが公園だとか、古寺の広い境内の一角だとか、あるいは、広いお庭のある家だったりすれば別儀だろうが、大概の人には、せいぜい、落ち葉の散り敷く路に、晩秋の風情を感じるのがせいぜいだろう。

続きを読む "落ち葉拾い…集めてます"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/12/02

篁牛人のこと

[9年前に書いた拙稿があった。父が元気だった頃で、帰省の折の父と遣り取りも記されていて、懐かしいので、ブログに載せる。]

 篁牛人(1901~84年)を知る人は、少ないのではなかろうか。恥ずかしながら小生も過日、初めて知った。正確に言うと、名前くらいは聞いたことはあったが、作品と名前とが一致したのは、過日のテレビ番組で彼が扱われたことで初めてだったのである。

Winter_058

← 萌ゆる秋!

 その番組というのは、「開運! なんでも鑑定団」で、たまたまお盆で帰省していたら、再放送が昼間、放映されていたのである(父がその番組を選択した)。
 恥ずかしながらを繰り返すと、篁牛人という名前、どう読むのか分からなかった。たかむらぎゅうじんと読む。知る人は、渇筆画の篁牛人と呼ぶだろう。

続きを読む "篁牛人のこと"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011/12/01

落ち葉拾いの日々

 今日も昼間、二時間余りを費やして、落ち葉拾い。家の内外や近所の側溝の落ち葉などを浚って回った。結構、いい運動になる。
 最高気温が十度に届かない日だし、折々冷たい風が吹き抜ける中での作業だったのに、汗ばんでしまった。

Winter_042

→ 内庭のカエデ。カエデの枝葉の裏側から、寒気の募る白い光りを透かし見る。ひと気のない座敷を背景に。

 拾い集めた落ち葉。始末に困る。ビニールの袋に詰めて(ある程度、乾かして)、燃えるゴミの日に出すってのが、こちらでのルール。
 でも、(多分、焼却処分となるだろうし)捨てるのは勿体無いので、家の庭に散り敷いて、肥やしにする。

続きを読む "落ち葉拾いの日々"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »