「日本画壇の風雲児 中村正義 新たなる全貌」展!(後編)
今日、29日、とうとう今冬最初の灯油買い。
今日は暖かだけど、近々、寒波が来るって言うし。
買い置きが80リットルあると、何となく安心する。
→ 中村正義《ピエロ》(1975年 神奈川県立近代美術館蔵) ピエロというと、ビュッフェかジョルジュ・ルオーか。日本にも、こんなピエロを描ける画家がいたとは! (画像は、「日本画壇の風雲児 中村正義 新たなる全貌 展示作品紹介|名古屋市美術館」より)
さて、中村正義ワールド再見だ。
「丸木美術館-企画-09中村正義」なる頁によると、「丸木位里・丸木俊夫妻とは生前親しく交流し、“反権力”を掲げた人人展や東京展で行動をともにし」たとか。
← 中村正義《うしろの人》(1972‐77年 豊橋市美術博物館蔵) (画像は、「日本画壇の風雲児 中村正義 新たなる全貌 展示作品紹介|名古屋市美術館」より)
中村正義は、1924年、愛知県豊橋市に生まれ、1946年に中村岳陵に師事し、日展初入選など、順風満帆とも思える経歴を記していた。
が、若くして罹患した肺結核、そして長い療養生活もあって、彼の生き方は大きく変わる。
画風自体、ドンドン変化していった。
→ 中村正義《花》(1962年 豊田市蔵) (画像は、「日本画壇の風雲児 中村正義 新たなる全貌 展示作品紹介|名古屋市美術館」より)
1961年に日展を脱会して以降にこそ、彼の本領が発揮される:
画風を一転させ、絵具に蛍光塗料を混ぜて描いた《男と女》や《舞妓》のシリーズや映画『怪談』のための大作《源平海戦絵巻》などの前衛的な作品を制作して、無所属の日本画家として活動を開始しました。1974年には、社会的な意識の高い前衛画家によるグループ「从会」を結成して、現代社会に生きる人間の《顔》に現われた心の闇を描いた作品群を発表しました。また一方で、鮮やかな静けさを湛えた風景画《太陽と月》シリーズや磨崖仏を思わせる仏画などの伝統的な画題でも独自の画風を探究しました。しかし、1977年には肺癌のために52歳で夭逝しました。

← 中村正義 著『創造は醜なり』(美術出版社) (画像は、「Japanese Art Space 画家”中村正義”」より)
以下は、中村正義 著『創造は醜なり』(美術出版社)の中の、中村正義自身の言葉だという:
新しい思想のもとに生まれた絵は誰の目にもみにくいもの
創造するということは、善と秩序を形成することを妨害する行為の所産
芸術とは殺人犯になることのような気がする
→ 中村正義「裸と私」(1974年 中村正義の美術館蔵) (画像は、「丸木美術館-企画-09中村正義」より。この頁では、中村正義の有名な<顔>シリーズの絵の数々が見られる。)
ネットで中村作品の数々を垣間見ただけだが、かなり毒もあって、見応えのある画家のようだ。
ますます、「日本画壇の風雲児 中村正義 新たなる全貌」(名古屋市美術館 2011年11月1日(火)~2011年12月25日(日))で実物を見たくなる。
参考サイト:
「中村正義ドキュメンタリー映画『父をめぐる旅 -異才の日本画家・中村正義の生涯-』公式サイト」
「Japanese Art Space 画家”中村正義”」
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