タクシーはプロパンガスで走ってます(前編)
日本においては後部左側(歩道側)のドアは自動ドアである(アメリカは客がドアを開ける)。
その自動ドア、研修生の頃、実際に運転席に座って、客席のドアの開閉の仕方を教えられたとき、それが、タクシードライバーによる手動で開閉すると知って、ちょっと驚いた。
ドライバーの右側(あるいは、右側のダッシュボード下)にレバーがあって、そのレバーを操作して、お客さん用のドアを開け閉めする。
← 鈴蘭の花は涸れ、葉っぱも萎れかけているけど、それでも、真っ赤な実が生る。
なんのことはない、運転手たる我々側からすると、手動であり、マニュアル操作での開閉を行っているのであって、それがお客さんの立場からすると、自動で開閉する方式に映っているだけなのである。
まあ、そんな簡単なメカニズムに今更のように驚くのも、小生のメカ音痴ぶりが露呈しようというものだが、しかし、舞台裏を知って、何かタクシーの神秘性(?)が薄れたような気がしたものだ。
このタクシーの<自動ドア>については、あれこれ書きたいことがいろいろある。エピソード(トラブル?)も一つならずあるのだ。
まあ、これは別の機会に。
→ 「トヨタ・コンフォート」 (画像は、「toyota.jp コンフォート」より)
さて、タクシードライバーとなって知ったタクシーを巡る秘密(←大げさ)の二つ目は、タクシーの燃料について、である。
タクシーは、プロパンガス(LPガス)を燃料にして走っている。
自らがタクシードライバーになるまでは、タクシーの燃料の如何など、考えたこともなかった。
他の多くの車と同じように走っているからには、ガソリンなんだろうなと、思い込んでいて、それ以上の関心を抱いたことなど皆無だったようだ。
では、一部の個人タクシーや、最近、(試験的に)使われるようになったハイブリッド車を除いて、街中を走行する法人タクシーの大半がプロパンガス(LPG:liquid petroleum gas)なのは、なぜなのか。
(結果的にタクシー用の車両として選択肢の中に入るのは、「トヨタ・コンフォート」か、「日産・クルー」のみであり、「ヒュンダイ・グレンジャー」などは東京での営業時代、たまに見かけただけ。近年、プリウスが目立ってきたが、まだ試験段階のようである。)
← 「LPG改造車に搭載される日本国内規格のLPGタンク」 タクシーを利用する際、大きな荷物があると、トランクを開ける。すると、この「LPGタンク」が見えるはずである。 (画像は、「LPG自動車 - Wikipedia」より)
その前に、そもそも、「LPG自動車は、LPG(液化石油ガス)を燃料とするオットーサイクルエンジンを主とした低公害車である。LPG車、プロパン車、LPガス自動車とも呼ばれる」ことを銘記しておかないといけないだろう。
さらに、「LPG自動車は燃料にLPGを利用する自動車で、エンジンの基本構造はガソリンエンジンと差異はなく、燃料タンクや燃料と空気を混合する装置に大きな違いが見られる」ということで、要は燃料の上でガソリン車と違うだけで、車としての機能(や構造)の点では、さほどの違いは見られないということだ。
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コメント
先月、披露宴に向かう際、タクシーに乗ったのですが、車道側のドアも自動で開くものと思いこんでいたら、運転手さんがドアを開けてくれました。
ちょっと間抜け……。
運転手さんの話では、運転席と後部座席の間のしきいは、気休め程度で、本気になれば、どうにでもなるとのことでした。
やいっちさん、危険を感じたことはありますか?
投稿: 瀧野信一 | 2011/11/06 05:28
瀧野信一さん
タクシーで自動で開くのは、後部歩道側のドアだけ。
他のドアまで自動にすると、レバーが複雑になるし、コストパフォーマンスが悪くなる。
運転席と後部座席の間のしきいは、東京だとかなり本格的で、運転手とお客さんとの会話が難しくなる。
富山など、多くの県では、簡単なもの。まさに気休め。
今のところ、危険を感じたことはないですが、客が泥酔して、前席を蹴る人はいましたね。
絡む客は多いです。
投稿: やいっち | 2011/11/06 22:05
可憐なノコンギクですね。
ところで相馬と南砺の話題、富山ではあまり話題になることはなかったのですが、相馬出身の児童文学の作家・新開ゆり子さんが、30年も前にすばらしい本を書いています。
投稿: かぐら川 | 2011/11/08 22:53
かぐら川さん
ノコンギク(野紺菊)なんですね:
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/no-kongiku.html
小生のあやふやな記憶ですが、我が家には、少なくとも父母は、この植物を植えてはいなかったし、小生も育てた記憶がありません。
自然に育った?
新開ゆり子さんは、小生は、全く、未知の作家です。
紹介された内容からして、どうやら、『虹のたつ峰をこえて』のようですね。
「この本は第22回青少年読書感想文全国コンクールの中学課題図書に選ばれた」とか。
「瑞雲山中原寺 ~農民の魂に宿っていたもの~(12月10日)」なる日記(講話)がとても参考になりました:
http://www.chugenji.jp/talk58.html
この講話の中で、「Nさんの本には次のようにしたためられています」として、以下の引用がされています:
「江戸時代中期の寛政のころ、真宗王国といわれる越中から数百キロ離れた関東、東北南部へおびただしい逃散人(走り百姓)が移住した。
加賀藩が支配する慶長の頃から、厳しい掟をつくり、極度に逃散人を警戒し厳重な取り締まりと、情け無用の刑罰によって、逃散人だけでなく、逃散人を事前に知っていた者まで死刑にするほどであった。
こんな手かせ、足かせの禁令を百も承知で、命がけの逃散であり、遠い他国の旅路は、早くて3ヵ月、時によっては、半年以上の過酷の道中であったのに、逃散者は後を絶たないほど、北陸の農民たちの生活は苦しく、絶望の日々を過ごしていたのだ。辛苦の旅を重ねて、関東に光明を求めた農民も、その多くはたくましく、根を張り、8代9代を数える程遠い昔の出来事となった。」
改めてこの話題に触れることが出来て、幸いです。
投稿: やいっち | 2011/11/10 21:15