野口久光の世界(その1)
12日、土曜日、仕事の明けの日で、遅い昼食をとった。
何かテレビを見ようと、チャンネルをひねったら、「なんでも鑑定団」をやっていた。
すると、いきなり、何やら素敵な絵が目に飛び込んできた。
→ 「『ブリジット・バルドー生誕祭』期間限定 名画ポスター展」に出品された野口久光の手になるポスター。 (画像は、「7月 « 2010 « ミニパラ 映画ニュース」より)
急いで、名前だけは確認。
「野口久光」!
その名前だけ、とりあえず記憶。
← 富山駅北口方面では、十一月から早くもイルミネーションが始まっている。夕方五時過ぎの光景。クリスマス、冬、そして雪…。
「なんでも鑑定団」は、担当するタレントが例の事件で変更になってからは、まるで見なくなった。
前のタレント、話術の才能だけは豊かだったのに。惜しいね。
あれだけ毒のある話術となると、危ない世界と背中合わせの危険性が常にあるということか。
北野武はどうなんだろう?
「野口久光 - Wikipedia」によると、「野口 久光(1909年8月9日 - 1994年6月13日)は、日本の映画、ジャズ、ミュージカル評論家。画家、グラフィックデザイナー。翻訳家。生涯に1000点を超える映画ポスターを描いたと言われる」とか。
正直、彼の映画ポスターは、しばしば目にしていたのに、ポスターの絵の作者は誰かなど、敢えて確かめようとはしなかった。
絵に魅力は感じていたのに、芸術性がないからとか思ったのか、それとも、あまりに当たり前に目にして、ただ流していただけなのか。
彼が「欧州映画の輸入配給会社の東和商事合資会社映画部・図案部に入社」した1930年代は、「欧州映画、時にフランス映画の黄金時代にあたり、4大巨匠と呼ばれるルネ・クレール、ジャック・フェーデ、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ジャン・ルノワールを中心に矢継ぎ早に名作、傑作を送り出していた」時代でもあった。
「脚本、作品重視のフランス映画はその作品にあったデザイン、レイアウトが求められ、特に東和商事は広告宣伝にもお金は掛けるがデザイナーに任せるという社風だったので、その意味でも久光にとっては幸運であった」とか。
「1951年、新たに発足した東和映画株式会社宣伝部に入社。『天井桟敷の人々』『第三の男』『禁じられた遊び』『大人は判ってくれない』など戦後の欧州映画の傑作映画ポスターを数多く描」き、「特に1960年の日本公開の際描かれた『大人は判ってくれない』のポスターは監督のフランソワ・トリュフォーが絶賛し、久光に「素晴しいポスターを描いてくれてありがとう!」とお礼を寄せ、感謝の意を伝えた」という。
その際のエピソードも、「野口久光 - Wikipedia」には書いてある。
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