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2011/11/25

「わらびしい」だって!

 過日、仕事(営業)の最中のことだが、「わらびしいっ」なんて、言われた。
 富山弁である。
 富山では(今は分からないが)、そんなに珍しくもない方言。
 でも、やはり、最近の若い人は使わない…ような気がする。


Tomb_003

→ 神通川に架かる橋の上から、青空の下の河原を撮った。

 以前、この言葉を聞いたのは、恐らくは、お袋のお喋りの中でのことだったと思う。
 お袋にとっての孫の仕草を評してだったか、それとも、テレビドラマの一場面を見て、ふと、「わらびしい」!と発したように記憶する。

 正確な意味合いはともかく、それなりに日常の中で使われることも、間々あったので、小生としては、自分は、当たらずとも遠からずの理解はしていると思う。
 幼い感じ、たどたどしい感じ、かわいらしい感じ、が、場合によっては、年相応には思えない幼稚な感じも嗅ぎ取れる。
 でも、決して悪い意味合いの言葉ではない(小生の記憶の中の印象では)。

 せっかくなので、実際にはどのような意味なのか、調べておくことにした。
「わらびしい」だけで、ネット検索。
 筆頭に、「words and slang 山中ことばを覚えよう To Learn the Keyword of Yamanaka」なる頁が出てきて、その中に説明が見出された。
「山中(やまなか)」は、どうやら隣県の石川県の地のようだ。
 意味も用法も、同じとまではいかなくとも、似ているに違いない。
 実際、「だら」(名・形動・間)なんて悪態の言葉としては、かなり汚いものもあって、意味も似ている。
「ダラッ!」(他人を罵倒するときには必須のキーワード)」なんて、思わず笑っちゃう。
「ねまる」なる方言も、隣県と共通なのだと、なんとなくほほえましく思えた。
 意味は、「床、地べた、特に畳などに直接座る」だってのも、全く富山と同じ。
 自宅などを来訪された方に、家の主人などが「そこにねまられ」なんて、ソフトに言ったりするが、何も、そこに寝そべられ、なんて言っているわけじゃない。いきなりそんなことを言われたら、来訪者もびっくり、目が点だろう。

 で、肝心の「わらびしい」の項を見てみると、驚いた。そしてショックだった:

【わらびし・わらびしい】 (形) 
狭量な。心の狭い。あるいは、考え方、行動が子どもじみているようす。

 ええっ、小生、お客さんに、心の狭い奴だって、言われた ? !
 そんな ! ! 

 慌てて、ネット検索の違う頁を開く。
福井弁 - Wikipedia」の中を覗いてみた。
 富山とは、石川県を挟んでだが、北陸三県の仲間。
 やや、おっかなびっくり、腰が引け気味に覗き見る。
 すると、以下のような説明:

わらびしい【形】 - 幼稚な。悪い意味で幼い。語源は「童しい(ワラベシイ)」。反対語は「大人しい」になるが、意味的には「大人びた」「成熟した」あたりになる。

 字面からだけで想像すると、一番、素直な説明に思えそうだが、しかし、小生は、あの日、幼稚な奴だと言われた気はしないのだ。

Tomb_009

← 神通川の河原は、ススキなどの雑草の原だったり、レンタルの野菜園だったり、運動場だったり、散歩コースだったり。土手に沿って、大きな工場が立ち並ぶ。

 さらに、ネット検索の三番目を開く。
 今度は、れっきとした富山弁の頁である:
富山弁ゼミナール

【わらび(べ)しい】
若々しい。年相応ではない。おとなげない。

 さらに、以下の説明が続く:
 
この語のもとをたずねると、「童(わらべ)し」という形容詞にたどりつく。したがって、「子供らしい。幼い」が原義ということになる。この語は富山ではどこでも聞かれる語であるが、どちらかと言えば呉東は「わらびしい」、呉西は「わらべしい」が多い。また、石川県、福井県や鹿児島県でも聞かれる語である。

(当該の頁には、さらに説明が続いているが、ここでは略す。不思議なのは、富山・石川・福井はともかく、鹿児島でも聞かれる語だという点。何故? あるいは富山と鹿児島との、売薬などを通じての交流のせいなのか。)

 くそ! 勘違いしていた。可愛いとかじゃなく、年甲斐もなく幼稚だと言われていたんだ。
 今頃、気づいて悔しがっても遅いが。
 

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コメント

「決して悪い意味合いの言葉ではない(小生の記憶の中の印象では)」 -

北陸の言葉としてまったく違和感なく分りますが、大人に向かって発せられる場合揶揄した感じは否めません。印象ではもっともよく使われるけなし言葉と思います。

今回の場合も年長者のお客さんからの言葉だったのでしょう。世界標準語で言えば「幼い」とか「子供っぽい」となりますね。

投稿: pfaelzerwein | 2011/11/25 19:30

pfaelzerwein さん

>今回の場合も年長者のお客さんからの言葉だったのでしょう。世界標準語で言えば「幼い」とか「子供っぽい」となりますね。

薄々は気づいていたのですが…、やっぱり、そうですよね。

ま、否定はできないし、仕方ないです。

投稿: やいっち | 2011/11/25 20:43

こんばんは。
山中か、温泉があるところかな?
わらびしい、ですか、はじめてききます。
まぁ良いじゃないですか、若々しいということで。
心はいつも青春。
東京も冷えてきましたが富山はいかがですか?
温泉にでも入りたい。

投稿: oki | 2011/11/25 22:51

《わらびしい(わらべしい)〔←童し〕》が、皮肉や揶揄として使われることが、web上の情報としてありますね。しかし、私は、ん十年の越の国の生活でそうした意味合いで使われた「わらびしい」を寡聞にして知りません。
私が知っているのは、何かとの比較で(多くは実年齢との比較で)その様子や装いが若々しいこと、や、(老齢の)見た眼よりもその人の感性が若いことに対するミニ驚きの表現です。そこに多少の羨望があるにしてもです。

なお、こうした古い言葉や雅び語が、方言に残っている例は多くあって、それが隔絶された地に共通の方言が使われていることの主な原因です。鹿児島の「わらびしい」も、「伝播」ではなく、おそらくそうした「残存」でしょう。

「ねまる」は、『おくのほそ道』に今北陸に残っている用法と同じ用い方があります。“涼しさを我宿にしてねまる也”。今も、この地(東北)の方言として使われているのではないでしょうか。「会食」という意味もあるようですね。なお、この居座りが、マイナスイメージで「腐る」の意の方言で残っているところもあるようです。

投稿: かぐら川 | 2011/11/27 12:50

だんだんと話が高度になってきました。方言の使われ方は恐らく土着の人間関係や社会構成や気候文化などに多くを依存していると思われます。結論からすると、北陸の言葉には独特の並行する意味が隠されていて、そこを的確に理解するかどうかでその社会の中での立ち位置が決まるような印象があります。京都まで来ると、言葉の完全な裏を読まなければ話になりません。大阪の河内などになると逆に反対言葉と言って良い悪いを反対に表現するようです。方言はその微妙な感覚と共に地域文化そのものですよね。

投稿: pfaelzerwein | 2011/11/27 21:33

okiさん

山中は、山中温泉のある地ですね。
名前だけで、行ったことはないけど。

「わらびしい」なんて方言に久しぶりに(母以外の発言として)聞いて、会話の流れは別にして、ちょっと懐かしく、嬉しかったものです。

東京じゃ、まず、聞けないですからね。

富山、昨日、今日はまずまずの陽気ですが、一昨日は、あられが降りましたよ。
雪の季節の到来の近さをひしひしと感じています。
東京は、今日は暖かだったようですね。羨ましいです。

投稿: やいっち | 2011/11/27 22:02

かぐら川さん

そう、小生自身、母の言動(感情表現)を通じての受け止めでは、<わらびしい>と母が評する際、皮肉の趣はまるでなくて、可愛い! という思いの率直端的な発露でした。

小生は、富山を18歳で離れ、東京などで30年以上を過ごしたので、富山弁についても、どこか自信がない。

以前、「ごぶる」についてエッセイを書いたことがありますが、その際も、自分の用法に自信が持てなかったものです:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2010/01/post-06b6.html

「ねまる」も、調べてみると、面白そうですね。
勉強になりました。

投稿: やいっち | 2011/11/27 22:18

pfaelzerwein さん

>方言の使われ方は恐らく土着の人間関係や社会構成や気候文化などに多くを依存していると思われます。結論からすると、北陸の言葉には独特の並行する意味が隠されていて、そこを的確に理解するかどうかでその社会の中での立ち位置が決まるような印象があります。京都まで来ると、言葉の完全な裏を読まなければ話になりません。大阪の河内などになると逆に反対言葉と言って良い悪いを反対に表現するようです。方言はその微妙な感覚と共に地域文化そのものですよね。

かぐら川さんの指摘ともども、ひたすら勉強になります。
小生、肝心の(我が地元であるはずの)富山弁すら、上記しているように、懐かしさと親しみの感を覚えつつも、よその言葉に感じられることがある。
同僚と富山弁でお喋りしてても、どこか、違和感を覚えているってのが、正直なところ。
困ったものです。

投稿: やいっち | 2011/11/27 22:28

方言とか差別用語とか。
わらべしい、が差別用語か知りませんが富山の土地の人にしか解らないニュアンスがあるのでしょう。
差別用語というか、障害者をわざわざ障がい者と平仮名にする人もいますがなんだかなあと。
障害は方言と同じく意識の深層に染み込んだ言葉。
がいと平仮名にしても作為ばかり目立つ。

投稿: oki | 2011/11/27 23:57

oki さん

富山弁、地元の人間のはずなのに、用法や意味合いに自信が持てない。

自分では(記憶の中や経験からすると)、「わらびしい」は、肯定的な表現のはず。
お袋も、褒める、乃至、いい意味での感激の意味で使っていた…と思う。


でも、一部では、やや皮肉の意味合いだと言う。
一方、かぐら川さんの仰られるように、どちらかというと、肯定的。


差別用語などについては、方言とはやや別儀の問題かなと思います。
方言をどう解釈し理解するか、の次元では問題となるのでしょうが。

投稿: やいっち | 2011/11/29 22:03

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