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2011/11/07

イザベラ・バード『日本奥地紀行』を読む(前編)

 過日、イザベラ・バード著の『日本奥地紀行 』(高梨 健吉 訳 東洋文庫)を読了した。
 読了に相前後して、テレビで、著者の名をNHKテレビで見聞きし、その偶然にちょっと嬉しい驚きを覚えた。

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← イザベラ・バード (Isabella L. Bird)著『日本奥地紀行 』(高梨 健吉 訳 平凡社ライブラリー 東洋文庫)(h画像は「Amazon.co.jp: 通販 」より) 翻訳された高梨健吉という名前。懐かしい。高校時代の英語の参考書だったかでこの名に出会っている。

 テレビでは、徳川将軍三代目の家光の苦悩の生涯を紹介するものだった。
 その中で、徳川家康を顕彰する日光東照宮が大きく採り上げられている。
「日光を見ずして結構と言うなかれ」の日光である。

 番組では、「日光を私は見たから結構という資格がある」といったイザベラ・バードの言葉がわざわざ紹介されていた。
 おやっ、イザベラ・バードって、そんなに有名人なの? という驚きと共に、たまたま読了した本の著者イザベラ・バードが登場したことに、ミーハー的な嬉しさもこみあげたり…。

 いや、これだけでは話は半分…以下になる。
 小生、「日光を私は見たから結構という資格がある」といった行(くだり)を、つい十日前後前に読んだばかりなのに、記憶を忘失していたのだ。
 小生は、慌てて本書をぺらぺら捲り、確かにそういった文言のあることを確認。
 と同時に、自分の記憶力の悪さに、改めて呆然(← もう、慣れっこだとはいえ、ショックはショックである)!

 さて本書を読んだ動機は、かねてより小生は(このブログ日記でも何度となく書いているけれど)、古き良き日本の姿を追い求めるのが好き(…、習い性になっているほど)なのである。
 夏目漱石や鴎外などの書を読む際も、我が父の父の祖父の時代を髣髴しつつ読んでいたりする。
 というのも、我が家は明治のある時期、本家から多少の土地(田圃など)を分けてもらって分家した。
 それが漱石らの現役の時代だった、はずだからである。
 我が家が今の地に定着した頃の日本の世相を追うことは、我が祖父の祖父の時代の、労苦を思い、且つ当時の空気をも嗅ぐ…嗅げるような気がするからでもある。
 
 著者の「イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird, 結婚後はIsabella Bird Bishop夫人, 1831年10月15日 - 1904年10月7日)」は、「イギリスの女性旅行家、紀行作家。明治時代の東北地方や北海道、関西などを旅行し、その旅行記"Unbeaten Tracks in Japan"(邦題『日本奥地紀行』『バード 日本紀行』)を書いた」といった人物。

「1878年(明治11)6月から9月にかけ『日本奥地紀行』は執筆され、1880年に "Unbeaten Tracks in Japan(直訳すると「日本における人跡未踏の道」)" として刊行された。冒頭の「はしがき」では「(私の)全行程を踏破したヨーロッパ人はこれまでに一人もいなかった」としるし、また「西洋人のよく出かけるところは、日光を例外として詳しくは述べなかった」と記し、この紀行が既存の日本旅行記とは性格を異にすることを明言している」。
 実際、当時として稀有な、そして貴重な書である。
 彼女は最愛の妹への手紙の形で、紀行文を書き綴ったのだった。

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→ 「陽明門」 本書の挿画。(画像は、「UNBEATEN TRACKS IN JAPAN」より) 本書中の挿絵は一枚を除き、バード自身のスケッチだったり、日本人のとった写真から版にしたもの。挿絵の数々も興味深い。ネットで大半(全て)を見ることが出来る。

 しかも、彼女は持病を抱えていて、健脚とは到底、言いがたい方。
 実際には、健康(転地療養)のため(それと文明化された国に馴染んで暮らすことができない性分のためもあって)、世界各地を旅した。

 従者(通訳を兼ねる)一人のみを伴って。
 このなかなか食えない従者を選ぶ、彼女の決断にも、彼女らしらが如実に現れている。
 紹介状も持たない若い、ハンサムでもない、やや怪しくもある男を選んだ彼女の観察眼は、独特のものなのだろう。

 旅には、馬を利用した。
 馬を借りるのに、相当苦労したことが、日記の、彼女の主要な関心事になっているほどである。
 面白いことに、当時は日本においては、馬は馬主であっても、(西欧的な意味での)調教はしない。
 それどころか、読めば即座にドストエフスキー(の『罪と罰』の一場面)を彷彿とさせるような、ひたすら腕力・虐待で無理やり言い聞かせるのが当たり前だったらしい。
 江戸時代において、武士の家であっても、馬の調教という発想のあまりなかったことは、他の本でも読んだことがある。
 武士が馬に乗って、颯爽と駆けていく、なんて場面は、実際のところ、どうったのか、知りたいものである。

 本書においては、日光などの紀行文が、印象的だし、しばしば日本において参照されるが、実際は、そうした当時としても有名な土地より、当時としては無名な土地の紀行こそが、貴重な資料となっているし、読み応えがある。
 大方の日本人の貧しさ、夏などほとんど裸同然の恰好になるが、ノミ・シラミ・アリなどの虫に対しては無防備で、虫刺されなどの傷跡が全身に見られて、「日本人の黄色い皮膚、馬のような固い髪、弱弱しい瞼、細長い眼、尻下がりの眉毛、平べったい鼻、凹んだ胸、蒙古系の頬が出た顔形、ちっぽけな体格、男たちのよろよろした歩きつき、女たちのよちよちした歩きぶりなど、一般に日本人の姿」を一層、見るに耐えないものにしている、という。
(ついでながら、馬も、裸なので、虫には苦しみ、人が乗っていようと、荷物を載せていようと、痒いとなると、いつ何時でも急にその場に倒れて転げまわる。そのとばっちりをバードも何度も食らっている。)

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