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2011/10/07

「葬式仏教の誕生」をめぐって(前編)

 帰郷して、自身の生活で変化したことは多々ある。
 父母が亡くなったことで、家の当主(世帯主)になったこと、当然ながら、家の内外のことに自ら関わる必要に迫られている。
 葬儀も喪主としての役目を果たすことになったことは昨年の日記にも書いた。

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← 松尾 剛次【著】『葬式仏教の誕生』(副題:「中世の仏教革命」 平凡社新書) 日本では中世まで、亡くなった人は、河原や浜、道路わきの溝などに捨てられていた。死は穢れとして、忌み避けられていたからだ。そんななか、人々が弔いを託したのが仏教である。葬式と、墓石を建てる習俗の起源を探りながら、日本人が仏教に求めたことと、仏教が果たした意義を探る」といった本。

 極力、最小限の関わりに止めているが、町内会のことにも、多少なりとも関心を抱かざるを得ない。

 そうした変化の中で、際立つものの一つが、お寺さんとの付き合いだろう。

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→ 『九相詩絵巻 (くそうしえまき)』 「鎌倉時代に描かれた、死体が腐っていく様子を克明に描いた絵巻」。

 東京在住時代は、アパート暮らしで、地域とのつながりは皆無だった。
 ほんの一時期、理事長として、あれこれ折衝の類いを経験したが、ほんの二年ほどで役目を交代してもらった。
 
 それが、帰郷して、町内のことはもとよりだが、神社やお寺さんとの付き合いが生じた。
 従来は父母らが果たしてきたもので、特に父は、神社やお寺さんとの関わりを大事にしてきて、年末年始、神社で徹夜で接待役を務めたし、行事の際には、枢要な役目を果たすのを義務…以上に生きがいと感じていたようだ(父が果たした数々の役割については、後日、書くことがあるかもしれない)。

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← 「九相図」とは、「屋外にうち捨てられた死体が朽ちていく経過を九段階にわけて描いた仏教絵画である」。以下、掲げる画像は、「九相図」の中でも有名な『小野小町九相図』の数々。

 お寺との付き合いも、父母共に積極的だった(その内容についても、機会を設けて書き連ねてみたい)。
 さて、代が変わって小生ともなると、まあ、独り身(一人暮らし)ということ、自らの性格もあって、関わりは最小限に留まっている(でも、自分では限界だと感じているのだが)。
 むしろ、お寺の住職さんが、引きこもりがちな小生を気遣って、折を見て訪ねてきてくれたりする。

 父や母の月命日には、その日が仕事で留守でない限り、住職に来て貰って、お勤めを果たしてもらう。
 その後、雑談の時間が待っている(住職が時間が許す限り)。
 父などは、母の持て成しもあったし、住職と酒を飲み交わし、長々と語り合ったようである。
「お経の会」を地元の有志で作って、月に一度の割で集まって勉強…というか、お酒を酌み交わしたようだ。
 しかしながら、小生は下戸なので、仏壇に向かっての読経の後、お茶など飲みながら(住職はタバコを燻らしながら)、しばしの雑談の座を持つ。
 話題は、近所の事情や、我が親族のこと、健康のこと、政治から宗教、などなど多岐に渡る(要するに雑談である)。

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→ モデルは、小野小町とも檀林皇后とも。「我死なば焼くな埋むな野に捨てて 痩せたる(飢ゑたる)犬の腹を肥やせ(よ)」の歌の作者とされたという。檀林皇后については、後述する。

 仏教界の在り方やら浄土真宗のこと、まあ、住職の素養の豊かさもあって、話題は尽きない(住職の蔵書(書庫)は、多分、近在でも群を抜いているだろう。本を巡っての語らいもしばしば)。
 そんな中、葬式仏教と揶揄される浄土真宗の在り方が話題になったことがある(小生が持ち出したのかもしれない)。
 小生の教養のなさ、不勉強ぶりもあって、浄土真宗(など)を時に葬式仏教よばわりするのを、座視するような趣が自分になかったとは言えない。
 というか、そのように見做していたのではなかったか。
 世間の<常識>も似たり寄ったり?

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→ 日本においては、中世までは、このような光景が河原など、市中で普通に見られたという。

葬式仏教」とは、「本来の仏教の在り方から大きく隔たった、葬式の際にしか必要とされない現在の日本の形骸化した仏教の姿を揶揄して表現したもの」のこと。
 その揶揄(批判)が正しいのかどうか、きちんと検証することもなく、(少なくとも小生は)印象(偏見?)のままに過ごしてきた。
 でも、一度は、大よそのことでも勉強しておきたい。
 そこへ、本書・松尾 剛次著の『葬式仏教の誕生』(平凡社新書)の登場である。
 新聞の書評欄で本書の存在を知り、早速、購入し、仕事の車中で読んでみた。

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 そもそも、本書にもあるように、「本来の仏教は、葬送儀礼を重視する宗教ではなかった」。
「釈迦は弟子に死後の遺骸の処置を問われた際に、僧侶は遺骸の供養等考えず真理の追求に専念すべきだ、供養は在家の信者がしてくれる、と答えたとされる」とされる。
「現在も僧侶が、遺体・遺骨・墓石等にタッチしないのは此の為」とか。

 尤も、近年では、檀家制度の崩壊で、「葬式仏教」すら成り立たなくなり、廃業するお寺も多いという。

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