我が家の庭はススキの野に…(前編)
それは、まさか、「貧しさに負けた いえ 世間に負けた この街も追われた いっそきれいに死のうか 力の限り 生きたから 未練などないわ 花さえも咲かぬ 二人は枯れすすき」と歌われる「昭和枯れすすき」(山田孝雄作詞・むつひろし作曲)といった、一昔前に流行った歌のせいばかりではないだろう。
人によっては、ススキというと、森繁久弥の唄った「船頭小唄」(野口雨情作詞・中山晋平作曲)などをつい口ずさんでしまう人もいるに違いない。独特の森繁節で「己(おれ)は河原の 枯れ芒(すすき) 同じお前も かれ芒 どうせ二人は この世では 花の咲かない 枯れ芒」と唄われると、もう、その世界から抜け出せない。(念のために断っておくが、「枯れススキ」は冬の季語である。)
ネット検索すると、「散るすすき寒くなるのが目に見ゆる」(「散る芒寒く成つたが目にみゆる 」とも)という一茶の句が上位に出てくる。但し、この句の場合、「すすき散る」が季語のようで、「秋が深まり、日に日に散っていくすすきの穂。それを見ると、日ごとに寒くなってくるのが目に見えるようだ」と評釈されている。
「おりとりてはらりとおもきすすきかな」という飯田蛇笏は、「すすき」の句というと必ず例に挙げられる句のようだ。「ススキの穂は、見た目には軽そうだが、折り取って手に持つと、思いがけない重さだ。見た目には感じない、生命の重さに感動している」などと解されている(「覚えておきたい有名な俳句・短歌」より)。
このサイトには、「君が手もまじるなるべし花すすき」という向井去来の句も載っている。やはり、ススキではなく、「花すすき」が季語で、「白い穂が出たすすき」のことだとか。「秋の野は、一面にすすきが風にゆれている。友人が別れを惜しんで手をふっているが、その手がすすきの穂にまじって、いつまでも見送ってくれているようだ」といった評釈が加えられている。
← 庭の隅っこに、ドコモダケが! しかも、多分、鳥が啄ばんだような…。庭の荒れようが察せられる?
「すすき」といっても、侘しいものばかりではない。「萩すすき紅さすための薬指」などという、黛まどかさんの句などがあったりする(「黛まどか「17文字の詩」99年11月の句」より)。
思えば、彼女の句を引かせてもらうのも久しぶりのようだ。
「出かけてゆく時の女性の支度には華やぎがあるもの。これからどこへ、だれと会いにゆくのか、それは別れの装いなのか、新しい何かが始まる装いなのか……。ともあれ、この後のさまざまなドラマの始まりを予感させるプロローグの紅をさしている女性。紅をさそうとのぞき込んだ鏡台の中に、あるいは窓の向こうに、庭に咲いた萩の花やすすきが揺れています」。
以下、自身による評釈が加えられているが、若い女性ならではの観察があって、この句を詠むこちらが訳もなく妙に浮き立つようでもある。
| 固定リンク
「季語随筆」カテゴリの記事
- 陽に耐えてじっと雨待つホタルブクロ(2015.06.13)
- 夏の雨(2014.08.19)
- 苧環や風に清楚の花紡ぐ(2014.04.29)
- 鈴虫の終の宿(2012.09.27)
- 我が家の庭も秋模様(2012.09.25)
「駄洒落・戯文・駄文」カテゴリの記事
- 沈湎する日常(2023.02.23)
- ボールペン2本 謎の行方不明事件(2022.10.16)
- 真相は藪……納屋の中(2022.07.30)
- 芽吹きの庭や畑で庭仕事(2022.04.21)
- 灯油ストーブを25度に設定したら…(2021.07.23)
「旧稿を温めます」カテゴリの記事
- 沈湎する日常(2023.02.23)
- 無生物か非生物か(2020.05.20)
- 吉川訳「失われた時を求めて」読了(2019.12.14)
- フォートリエとヴォルスに魅入られて(2018.08.21)
- 不毛なる吐露(2018.06.27)
「写真日記」カテゴリの記事
- 十数年ぶりに眼鏡店で眼鏡買った(2023.06.04)
- 大山鳴動して元の木阿弥(2023.05.31)
- 庭木の剪定に汗を流した(2023.05.30)
- 雨の休日らしく過ごす(2023.05.29)
- ナイチンゲールのローズ・ダイアグラム(2023.05.26)
コメント