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2011/10/23

我が家の庭はススキの野に…(前編)

 9月の季語例の中に、まさに表題にある如く、「すすき」がある。ということで、今日は「すすき」に触れてみる。

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→ 今秋になって、なぜか我が家の庭にススキが…。しかも、数箇所に。我が家の行く先を占うがごとく…? それとも、ススキじゃない?

花の句と写真」によると、「芒(すすき)は薄とも書き、花芒・尾花・鬼芒・糸芒とも呼ばれています」とあって、「すすき」の画像も見ることが出来る。

 以前、特集した「エノコロ」は、何処か愛らしさが感じられたが、「すすき」となると、ひたすらに侘しさ、寂しさの感が漂ってくる。

 それは、まさか、「貧しさに負けた いえ 世間に負けた この街も追われた いっそきれいに死のうか 力の限り 生きたから 未練などないわ 花さえも咲かぬ 二人は枯れすすき」と歌われる「昭和枯れすすき」(山田孝雄作詞・むつひろし作曲)といった、一昔前に流行った歌のせいばかりではないだろう。

 人によっては、ススキというと、森繁久弥の唄った「船頭小唄」(野口雨情作詞・中山晋平作曲)などをつい口ずさんでしまう人もいるに違いない。独特の森繁節で「己(おれ)は河原の 枯れ芒(すすき) 同じお前も かれ芒 どうせ二人は この世では 花の咲かない 枯れ芒」と唄われると、もう、その世界から抜け出せない。(念のために断っておくが、「枯れススキ」は冬の季語である。)

 ネット検索すると、「散るすすき寒くなるのが目に見ゆる」(「散る芒寒く成つたが目にみゆる 」とも)という一茶の句が上位に出てくる。但し、この句の場合、「すすき散る」が季語のようで、「秋が深まり、日に日に散っていくすすきの穂。それを見ると、日ごとに寒くなってくるのが目に見えるようだ」と評釈されている。


おりとりてはらりとおもきすすきかな」という飯田蛇笏は、「すすき」の句というと必ず例に挙げられる句のようだ。「ススキの穂は、見た目には軽そうだが、折り取って手に持つと、思いがけない重さだ。見た目には感じない、生命の重さに感動している」などと解されている(「覚えておきたい有名な俳句・短歌」より)。

 このサイトには、「君が手もまじるなるべし花すすき」という向井去来の句も載っている。やはり、ススキではなく、「花すすき」が季語で、「白い穂が出たすすき」のことだとか。「秋の野は、一面にすすきが風にゆれている。友人が別れを惜しんで手をふっているが、その手がすすきの穂にまじって、いつまでも見送ってくれているようだ」といった評釈が加えられている。

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← 庭の隅っこに、ドコモダケが! しかも、多分、鳥が啄ばんだような…。庭の荒れようが察せられる?

すすき」といっても、侘しいものばかりではない。「萩すすき紅さすための薬指」などという、黛まどかさんの句などがあったりする(「黛まどか「17文字の詩」99年11月の句」より)。
 思えば、彼女の句を引かせてもらうのも久しぶりのようだ。

「出かけてゆく時の女性の支度には華やぎがあるもの。これからどこへ、だれと会いにゆくのか、それは別れの装いなのか、新しい何かが始まる装いなのか……。ともあれ、この後のさまざまなドラマの始まりを予感させるプロローグの紅をさしている女性。紅をさそうとのぞき込んだ鏡台の中に、あるいは窓の向こうに、庭に咲いた萩の花やすすきが揺れています」。
 以下、自身による評釈が加えられているが、若い女性ならではの観察があって、この句を詠むこちらが訳もなく妙に浮き立つようでもある。

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