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2011/10/24

我が家の庭はススキの野に…(後編)

 こうした自身による評釈を読むたび思うのだが、句を嗜まれる方は、人の句であれ自分の句に対してであれ、短文での解説の如何が非常に重要のようだ。
 簡潔な解説の中に凝縮された情報が篭められ、同時に独自な視点と観察に裏打ちされ、且つ、読むに味わい深くないといけないのである。

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→ こんなに地味な外観の植物もあまりないだろう。だけど、なぜか惹かれてならない風情がある。

 句だけをポンと出されるのも小気味いいが、句と短文のコラボも楽しいものだ。そこに俳画のような絵などが水彩か墨でサッと描かれて添えられていたら、もう、成功は間違いない。
 成功とは何かが問題かもしれないが、とりあえずの注目は期待できる。小生にとっても句を詠んでもらうためにも、練れた文章表現は課題の一つである。

すすきを撮る」の項を見ると、「すすきの花穂は尾花と呼ばれ秋の季語でもあり、菊と共に秋の代表的な花の一つです」とある。そういえば、昨年は「菊」の花も、幾度か写真に収め、この季語随筆にも添えた。が、「菊」に焦点を合わせてあれこれ書き綴った記憶はない。あるいは、あまりに当たり前に目にするから、もう、分かったかのような錯覚があるのだろうか。

 さて、「すすきの花は光の当たりや時間帯でみえ方が変わります。これは光の強さと光の質(色温度)の違いによるものです」とあるが、さすがに写真家の観察眼というべきか。

 思えば、ススキの野にあって終日、眺めたことがあるわけでもない。大概、その脇を行過ぎるついでに、サッと眺めるに過ぎない。気を惹くようでいて、やはり地味。それとも、地味なのに、妙に郷愁を掻き立てる奴だというべきか。
 
 ネット検索していたら、夏目漱石に「ゆけどはぎゆけどすすきのはらひろし」なる句のあることを知った(「文学研究への誘い」というサイトの「『漱石俳句かるた』解説」にて)。

明治32年作。「阿蘇の山中にて道を失ひ終日あらぬ方にさまよふ」という前書がある句。このときの体験が「地にあるものは青い薄と、女郎花と、所々にわびしく交る桔梗のみ」という『二百十日』の作品に生かされている。萩と薄だけが生い茂っている草原のひろがりと次々にわき起こる不安とが「行けど」のくり返しで表現されている。季語「萩・薄」=秋」といった評釈が添えられてある。

 書き忘れていたが、黛まどかさんの句「萩すすき紅さすための薬指」も、季語「萩・薄」(=秋)である。
 芭蕉の句に「しをらしき名や小松吹く萩すすき」があることを知る人も多いだろう。

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← ホトトギス。我が家の庭に育ち咲く花は、地味なものばかり。

 赤トンボススキに舞って茜空
 ススキの穂眺める我もホッとする
 実らずも頭(こうべ)の垂れるススキかな

                          (2005/09/01 原作


関連拙稿:
幽霊の正体見たり枯れ尾花
枯尾花
悪足掻きする末黒の芒(すぐろのすすき)
すすきの穂にホッ

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