我が町・我が家のこと(2)
その住職さんとは、お勤めの後、お喋りに興じるのが常である。
それこそ、近所や近隣、親戚などの近況(情報)交換だったりは、当然として、政治から宗教、歴史、本などなど話題は多岐に渡る(要は、小生の雑談に応じてくださるわけである。一人暮らしの小生のことを気遣ってのことでもある)。
その中で、小生の問いに答えてくれる形で、いろんなことを知った。
→ 夏の間…どころか、十月の声を聞く頃まで実を恵んでくれていたゴーヤも、さすがに勢いをなくしつつある。長く花を楽しませてくれていたマンデビラも、気のせいか、花の生気にやや翳りが兆し始めたような気がする。
その全てを書くのは、箇条書きにするだけでも相当に長くなってしまう。
雑談は、一時間半ほどだったのだが、広く浅く、次から次へと話題が移っていったのだ(お坊さんは知恵者だし、物知りでもある。凄い読書家でもある)。
ここでは、話題の中のトピックのうち、ほんの一端、それも、我が町や我が家のことに関係する、そんな卑近な情報を幾つか、順不同で羅列風にメモだけしておきたい。
父母が健在だった頃、毎年正月二日には、年初の挨拶をを瞑目にごく身近な親戚の家に集まり、挨拶もそこそこに、花ガルタに興じるのが恒例となっていた。
ほんの小銭をかけて、ミカンを食べ、お茶を飲み、少々のお酒を飲み、お菓子を食べ、雑談をしながら、夜遅くまで花札をやったものである。
その家への送迎は、小生がする。
数年前のこと、車の中での雑談で、我が家に馬がいたという衝撃の事実を知ったものである。
我が家に馬!
表の庭の一角に、木造の出入り口の大きな小屋があることは覚えている。
その小屋の中には、藁が一杯、敷き詰めてあった。
その小屋の用途は何か、ガキのころはもちろん、つい数年前まで小生は知らなかった。
← 表の庭の片隅に勝手に育っている樹木。漆の木だろうか。早くも紅葉? それとも、涸れかけている?
その小屋が、実は馬小屋だったのだと、つい、6年ほど前に、初めて知ったのである(その際に、我が家では稲だけじゃなく、小麦も作っていたことも、初めて知らされた)。
馬を使って、農作業(特に田植えの季節)をやったし、馬に荷車を引かせて、富山市の我が家から親戚(母の実家)のある高岡へ、農作業の手伝いのため、往復した、なんてことも、小生は知らされて、遠い日の光景が、彷彿してしまい、見たわけではないのに、懐かしい気持ちで一杯になったものである。
さて、お坊さんに教えられたことは、その馬は、実は我が家の所有する馬じゃなく、借り物だったということである。
八尾(富山市の中心部から見ると、やや山間に近く、隣県の岐阜などへの通り道の街道沿いの町)か何処かに馬主が居て、田植えの季節(重い荷物を運ぶ仕事が増える時期)ともなると、馬を借りて、農作業をしたのだという。
我が町の近隣では、我が家も含め、馬を借りていた家は三軒(A・I・H)だけあった(つまり、その三軒の家には馬小屋があった)とか、馬は、交代で借りて、管理も交代していた。
農作業を終えるころには、馬にたっぷりエサをやって、肥え太らせて馬主さんに返した、なんてことも話してくれた。
さらにその日、教えられたことに、我が家の近くにあるの観音堂についての新事実がある。
→ 近所の地蔵尊堂…それとも、観音像堂のほぼ全体像。
そのお堂には、33体の観音様が並んでいる。
その観音様たちのことを、小生は、ちゃんと理解してなくて、観音様と呼んだり、お地蔵さんと呼称したりしていた。
というか、つい近年まで、お地蔵さんが30体以上も安置されているものと思っていた。
昔は、木造の地蔵堂があって、それは我が家のほうを向いて建てられていた。
それが、ある年、建て替えられて、コンクリートの立派な小屋になった、のはいいのだが、向きは、我が家からすると、そっぽを向くように変わってしまった(小生は、心中、穏やかではなかった。自分がそっぽを向かれたような気分になったのである)。
小生は、その地蔵堂(実は、観音堂)のお地蔵さんたちに勝手に思い入れし、勝手にストーリーめいたものを作り上げていた(根拠などないのに)。
つまり、これら数十体のお地蔵さんたちは、近隣の各所から集められたお地蔵さんなのだ。
洪水に見舞われたり、火事だったり、地震だったり、戦乱だったり、そのほかいろんな理由で見捨てられたお地蔵さんたちが、一つ、また一つと集められて、いつの間にか33体も集まってしまって、こうして地蔵堂(繰り返すが、実は観音堂なのである)が成ったのだ、と。
…誰にそう教えられたわけでもないのに。
← 御堂の格子の上には、額があって、「地蔵尊堂 観音像堂」と銘記してある。
しかし、いつだったか、地蔵堂(その実、観音堂)の中のお地蔵さんたち(その実、観音様たち)をつくづく眺めて、訝(いぶか)しく思った。
お地蔵(実は観音様)のそれぞれにお寺の名前などが付してある。しかも、観音様と銘記してある。
見かけは、お地蔵様なのだが、名目は観音様…。
小生の頭は混乱した。
地蔵堂であって、観音堂。
実際、堂の前には、看板が立てかけられてあって、そこには、「延命地蔵尊 観音像 御堂」と表記してある。
お堂の像が並べてある前の格子の脇にも、「地蔵尊堂 観音像堂」と併記してある。
どうも、ストーリーが見えない。
そこはしかし、小生の探究心のなさで、深く考えないまま、観音様もお地蔵さんもお仲間なのかな、なんて変な納得の仕方で済ませていた。
そんな自分の愚かで中途半端な理解が、根底から覆されたのである。
→ 御堂の傍には、「延命地蔵尊 観音像 御堂」といった看板も立てかけてある。
あの小屋は、あくまで観音堂なのであって、地蔵堂ではないのだ。
いや、でも、今日(十五日)も、改めてつくづく観察してみたが、やはり「地蔵尊堂 観音像堂」と併記してある!
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