梅原猛著『葬られた王朝』を読んで(後編)
それはそれとして、本書において、梅原猛は、過去の自説を間違いだったと率直に書かれている。
→ 梅原 猛著『神々の流竄』(集英社文庫) 「大和から出雲へ神々は流され、幽閉された!“出雲・神々の故郷説”に疑問の矢を投じ、その裏に秘められた古代の権力と宗教との壮絶な争いをとらえ、鋭い推理で歴史の真理に迫る」といった本。後に、本書での主張の一部を撤回・訂正することになる。
梅原猛は、同氏著の『神々の流竄』において、「出雲神話は大和神話を出雲に仮託したもの」と主張していたのである。
「「出雲」という国や勢力が実在したわけではない」とも。
まあ、出雲王朝(政権・勢力)の存在を裏書するような考古学的裏づけがなかったからとはいえ、「出雲神話」については、記紀の記述(神話)を否定していたのだ。
出雲を地元とする人々の気持ちは如何ばかりだったか。
なにしろ、「出雲には「私はスサノオの末裔だ」「私は大国主神の……」「私は天穂日命だが……」と、大真面目に神々の末裔であることを誇りにする人々が存在する」のである。
それを高名な学者が真っ向から否定していたのだ。
しかし事情は一変する。
「一九八四年と八五年には、斐川町荒神谷遺跡から銅剣三百五十八本、銅鐸六個、銅矛十六本が見つかった。銅剣の本数は当時の国内出土総数を上回る数である。一九九六年には、雲南市加茂岩倉遺跡から三十九個もの銅鐸が発見された。これまた日本最大の銅鐸出土数であった」。
← 「出雲大社」 (画像は、「出雲大社 - Wikipedia」より)
さすがに、梅原も、本書において(も)、「自説の誤りを素直に認め、謝罪の行脚をくり広げているためだ。また、スサノオに始まる「出雲王朝」は、偉大な王・大国主神が発展させたもので、出雲は実在したと、旧説を塗り替えられた」わけである。
「梅原猛『葬られた王朝―古代出雲の謎を解く―』|書評/対談|新潮社」が非常に参考になる。
長くはない記述なので、読でみても、大した手間にはならないはずである。
考古学・古代史関連拙稿:
「梅原猛著『日本の深層』」
「縄文遺跡の紅白な話」
「大山誠一『天孫降臨の夢』をめぐって」
「一重瞼が二重に」
「武光 誠著『邪馬台国と大和朝廷』の周辺」
「「卑弥呼の居館跡」発見 ? !」
その他、古代史関連では、多数の記事がある:
「壺中山紫庵 古代史・考古学」の目次を参照のこと。
(例によって、畏敬の念を篭め、敬称は略させていただいた。)
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