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2011/09/29

死海文書と陰謀説と(2)

 さて、真打の待望の書が、田川建三氏著の『書物としての新約聖書』(けい草書房刊)である(けい草の「けい」が漢字表記できない、情ないパソコンじゃ。違うサイトからのコピーを試みると「勁草書房」となる。サーバーによっては文字化けするかもしれない...、そのときは御免なさい)。

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← 田川建三 著『書物としての新約聖書』(勁草書房 1997年1月刊) 「死海文書」を巡っての書籍については、97年当時は、本書がピカイチだった。小生は、『立ちつくす思想』(同社刊)以来の田川建三ファン(? !)

 但し、待望と書いたが、出版されることを知っていたわけではない。記憶では立ち寄った書店でたまたま見つけたと記憶する。ただ、時宜が叶っていた、つまり小生の中のモヤモヤを吹き払うに相応しい時期に現れてくれた、という意味である。その意味で、小生には待望の書だったし、そう見なすに値する本でもあった。

 田川建三氏というと、小生には懐かしい思想家である。本書の著者履歴によると、西洋思想史、女性史を研究されているらしい。

 が、小生が彼の名を最初に知ったのは、73年の9月に大学の生協内の書店で買った『立ちつくす思想』(勁草書房刊)を通じてだった:
 同じ日に、モーパッサンの『首飾り』(杉としお氏訳、角川文庫)やホイジンガの『ホモ・ルーデンス』(高橋英夫訳、中公文庫)を買っている。その一昨日にモーパッサンの『脂肪の塊』(水野亮訳、岩波文庫)を、翌月には『雨傘・他』(杉氏訳、岩波文庫)を買っているから、モーパッサンやチェーホフになり始めた夢中だった頃だ。

 『脂肪の塊』は岩波文庫だけで三度は読んでいる。その頃、カフカにも夢中で『変身』(新潮文庫)はその新潮文庫版だけで五度は読んでいる。回数からいくと、ドストエフスキーの『白夜』か川端康成の『雪国』などが一番多いだろうと思うけれど。
 さて、田川建三氏の本を買うに至ったのは、どういう経緯だったか。前年の四月、つまり大学入学当初からたまたま創刊された月刊誌『現代思想』を欠かさず講読した。その際、割と早い時期に『死海文書の謎』の訳者でもある高尾利数氏の論文か訳文を読んだ記憶がある。その流れで、あるいは下宿仲間にカトリック系プロテスタント系のクリスチャンがいて、キリスト教への関心が呼び覚まされていたこともあったのか。
 そういえば、別にクリスチャンになるつもりもなかったが、誘われるままにプロテスタント系の友人に連れられて教会へも通ったことがある。

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→ わが町で残っている、ほとんど唯一といっていい田圃。今週初め、ようやく稲刈りが終わったらしい。カラスたちが、田圃の虫を漁り啄ばむ姿が、どこか宴の後という感を強くさせる。
 

稲穂波消えしあとにはカラスかな   (や)

 当然、神父さんではなく牧師さんが毎週、お話をされる。牧師さんの名前も覚えている。昂じてか、ただ、素直だっただけなのか、その宗派の偉い方が説教にその教会に来られた際は、その話に感動して、「俺も信仰の道に入ろうか、入るまいか」と、多くの方が説教壇に上がられるのを尻目に、決心するかどうかのギリギリの瀬戸際まで行ったものだった。 
 そのどうしたらいいかの胸の動機の高まる中で、頭の中に友人の顔や親の顔が浮かんだのを覚えている。
 結局は、小生は思いとどまった。これでも哲学を志した者なのだ。宗教は信じることから始まるのだとしたら、哲学は懐疑から始まる。懐疑に踏みとどまるのだ、信仰がないが故に地獄に落ちることになっても哲学のためなら構わないなどと殊勝というのか、何処か悲壮な気持ちにまで思い詰めて、説教壇に並ぶ信仰を決心された人々、そして何処か悲しげな(しかし、俺の説教を受け入れないのか、という悔しげな)偉い方の顔を眺めていたものだった。
 その後は、田川建三氏の本を読んだかどうか覚えていない。『イエスという男』(三一書房刊)だけは面白く読んだと思うが、その後、田川氏の本を追跡した記憶はない。久々に氏の本を手に取るという意味でも小生には懐かしいのである。
 この<再会>は叱咤の時でもあった。トンデモ本につい引き込まれがちな小生を田川氏は、軽くいなすというより、この期に及んでなんでこんな本に魅入られるのか、と、叱られているように小生は感じたのである。


 さて、本書は、田川氏によれば、「「新約聖書概論」の序説にすぎない、ということです。つまり、序説だけでは仕方がないので、本論をもって完成するもの」だとのことだ。氏は、「今、本論部分の執筆で悪戦苦闘」とのこと。
 本書の「序」の一部を引用すると(帯にも使われている)、本書の意図するところとは:

...新約聖書とはいったいどういう書物なのか。そもそも最初から書物だったのか。新約聖書が一冊の本となったのは、いったいどういう現象なのか。今でこそあちこちの本屋のい店先に並んでいるとはいえ、もとは二千年前の文書である。それがどのような仕方で伝わったのか。我々が手にしているのは、どこまで二千年前の原文と同じなのか。いったい、どういう人たちがどういう仕方で書いたのか。誰でもが古代のギリシャ語で書かれた原文を読むことができるわけではない。とすれば、翻訳で読むしかないが、さまざまな翻訳が巷にあふれている。いったいどの翻訳があてになるのか。「教会」の御推薦の翻訳であっても、それは現代のその教会の立場を組み込んだ翻訳であるとするならば、これが原文に最も近いと安心して読むことのできる翻訳をどうやって見つけたらいいのか。
 ということになる。

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← 27日、夕刻、富山市の某所にて。仕事の手を休めて、ぼんやり。ムクドリたちだろうか、数多くの鳥たちが、塒を求めて宵闇の空を渡っていく。
 

秋の夜や渡りゆく鳥追うばかり   (や)

 さらに具体的には、「本書は四つの主題を扱っている。第一は新約聖書正典化の問題。すなわち、一世紀から二世紀初頭にかけて書かれた一定数の文書が後に集められて、どのようにして、どのような意図のもとに、「聖書」「正典」となり、「新しい契約(新約)」と名前をつけられるにいたったのか」
「第二は、新約聖書の言語の問題。新約聖書はどういう言語で書かれているかという問題は、それらの文書を書いた人々、読んだ人々、それを信じて大きな宗教運動を作っていった人々を知るために、またそういう宗教運動の成立を可能にした社会の特質を知るために、基本的に重要である。」
「第三は、新約聖書の写本について。」
「第四は、新約聖書の翻訳である。...翻訳でしか新約聖書に接することのできない人にとっては、実に大量に存在する聖書の翻訳のどれを読んだらいいのか、どれを、どういう水準で、信用したらいいのか、それぞれの訳の特徴はどこにあるのか、といった知識が重要になろう。」

 本書を読んで小生が驚いたことは数知れない。その中の一つに、あるいは常識に属することなのかもしれないが、あまり意識されないこととして、新約聖書の文書の中で、「使徒」の書いたものは一つもないことである。
「事実としては、新約聖書の文書の中で「使徒」の書いたものは一つもないし、「使徒的」な文書もおそらく一つもないからだ。もしも「使徒」をイエスの直弟子であって、最初のキリスト教会の指導者となった者(いわゆる「十二人」)と定義するならば。」(p.164)
 余談はさておき、いよいよ写本の話に移ろう。といっても、写本の話だけでも膨大なものがある。ここでは、前稿に関連して、死海写本に話を限定する。
                              (p.370以降)

 この傍注の中で、小生が前稿で採り上げた二冊についてはボロクソにけなされている。誤訳が多いが、そもそも内容が滅茶苦茶だから、誤訳も何もない、それよりこんな本を学問書めかして売ろうという姿勢が問題だ、と言い切っておられる。
 その上で、田川氏は、E・M・クック著の「『死海写本の謎を解く』(教文館刊)の訳者での土岐健治氏が「訳者あとがき」に記した次の文を引用しておけば十分であろうか」として、以下のように引用しておられる:
「ここ数年、欧米に始まり、我が国の読書界にもやや遅れて出現した『クムラン騒動』に対して、地道な研究を重ねている専門家たちは一様に眉をひそめてきた。学問とは無縁の『珍説』を振り回す書物が、面白おかしく『はやされ』、知識人・文化人の浅薄さと無責任さを思い知らされたが、...」もう、引用は止めておこう。
 田川氏によれば、死海写本を研究する国際チームが責められるべき点があるとすれば、テクストが発見されて四十年以上も発行されなかったという怠慢にあるのみだという。
 そもそも死海写本が発見された場所は、パレスチナ人の土地であり、現地に止まって研究した国際チームの方たちは、中東戦争を潜り抜け、さらにイスラエル国家による侵略があったりして、政治的な翻弄に苦しめられてきたのである。その中で一層、頑なな研究姿勢に凝り固まっていったのかもしれない、と田川氏は語る。
 また、死海文書の主な内容は、第一洞窟その他で発見されたもので、これら比較的「整った巻物はすでにいろいろな形で発行され、十分に読まれ、研究されてきている」
 第四洞窟で発見された文書類は多数の断片で(これが長く公表されずに来た問題の文書類なのである)、これらの文書の断片類で、「すでに大量に知られている第一洞窟等の写本から得られた知識を、根本的に修正するような場面はもはや出て来るわけもない」

 もう、これ以上、田川氏の怒りというか呆れた感情を披露するまでもないだろう。

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→ 松尾 剛次【著】『葬式仏教の誕生―中世の仏教革命』(平凡社新書) 「日本では中世まで、亡くなった人は、河原や浜、道路わきの溝などに捨てられていた。死は穢れとして、忌み避けられていたからだ。そんななか、人々が弔いを託したのが仏教である。葬式と、墓石を建てる習俗の起源を探りながら、日本人が仏教に求めたことと、仏教が果たした意義を探る」といった本。いまや、日本の(一部)の仏教をさげすむ(?)文句になっている「葬式仏教」だが、再認識し、その上で、その先を考えてみたい。明日から車中で本書を読む。

 さて、肝心の本書の中身についての感想には未だ至っていない。しかし、正直な話、要約など無意味だし、むしろ、田川氏の沈着な(時々熱くなる)論旨に従っていけばいいだろう。とにかく読むに値する本である。
 新約聖書の成り立ちや翻訳の経緯を辿る中で、宗教の歴史を振り返ることになる。例えば、「アジア」という地名というか地域の呼称にしても、なかなか単純にはいかないことが、本書には書かれている。本筋には関係ないようだが、しかし、そのアジア(アシア、小アジア)の中心地がエフェソスである以上、この呼称にしても拘らざるを得ないのだ。(p.286-7)

 『聖書』は聖書で、信仰の書だ。が、実際、我々一般人が目にしえるのは、どこかの宗派なり教義に依ったものでしかない。では、正しい翻訳の書というのはありえるのか。正しいとは、では、いったいどういう意味なのか。
 そもそも、先に触れたように、「新約聖書の文書の中で、「使徒」の書いたものは一つもないこと」の意味をどう考えるのか。キリストを実際に知る使徒が書いたわけではないのに、『新約聖書』はキリストを扱う本だという<誤解>がある。これは単純に誤解と言っていいのか。
 ま、日の長くなる季節である。春の日長な午後にでも、この浩瀚な書をじっくり読まれたら如何だろうか。繰り返すけれど、読んで後悔はしないと思うよ。

                           (略)

                                (03/03/03 原作

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