「同時多発テロ事件」から十年目に際して(後編)
アメリカにとって、白人の勢力圏外の地は、全て、開拓すべき<フロンディア>に過ぎないのではないか、そんな疑念も、小生の中では拭い去れない。
北米のみならず、あわよくば、宇宙を含めた全世界が、「約束の地(Promised Land)」だと思っているのではないか。
← 「シッティング・ブル」 詳しくは、後段など参照。(画像は、「西部開拓時代 - Wikipedia」より)
正義を振りかざす人は、しかも、誰よりも頑固に(頑迷なほどに)標榜する人ほど、心の中に何かとてつもないコンプレックスを抱いているに違いない、などと小生のような平凡な、ほどほどに正義は大事と思うが、大義と思えるほど骨身に沁みて、行動するわけではない人間には思えてしまう。
アメリカという国家が、正義を標榜する国家なのも、世界の何処よりも正義と民主主義を愛するのも、過去において、とてつもなく横暴で不遜な、目を覆いたくなるような、どうやっても、弁解の余地を見出せないような、インディアンに対する虐殺の<歴史>、書かれざる、語られざる過去があるからなのではないかと小生は憶測している。
どす黒い、後ろめたい過去があるからこそ、誰よりも、世界のどの国より民主と正義を愛し、正義が破られることに敏感な国となってしまった。
トラウマとなるほどに正義に真摯で過敏な国家・国民性。
正義の戦争、大義のある戦争と喧伝されると、もう、狂熱してしまう国民性(キリスト教徒の白人を中心に、だが)。
何よりも自由を尊ぶアメリカ。
その自由は、白人(アングロサクソン)の自由。
インディアンには、自由の欠片も認めない。
「祖国での弾圧を逃れ、1620年、メイフラワー号に乗りアメリカに移住した」ピューリタン(Puritan ピルグリム・ファーザーズ)たち。
ピューリタン(Puritan)の「Purity」は、「清潔、潔白」のはずだが、インディアンに対しては、民族浄化(ethnic cleansing)の口実であった。
インディアンを虐殺しても、自分たちピューリタン(Puritan)は、あくまで清廉・潔白で、良心の呵責を覚えないための、魂の防波堤。
→ 朝顔も、ゴーヤに負けず、ツルを伸ばし、日々、花を咲かせている。早朝などに見たら、壮観…だろうが、未だに朝に見ることが叶わない。
「西部のインディアン戦争」は、悲惨な戦争だった(インディアンにとっては無論だが、ボディブローのように、アメリカにとっても、悲惨な過去として、蘇り続けるに違いない)。
「アンドリュー・ジャクソン大統領の「インディアン強制移住法」によって、「開拓者」の邪魔になるインディアンたちは、政府の指定する「すべての権利が保留された土地」である保留地 (Reservation) へ、強制移住させられることとなった。これを拒否するインディアン部族は絶滅させる、という民族浄化政策だった」のである。
「西部開拓時代 - Wikipedia」なる頁は、ぜひ、一度は覘いてみて欲しい。
アメリカを筆頭とする欧米国家にとって、アジアもアラブも、イラクもアフガニスタンも、民族浄化すべき野蛮の地に過ぎないのでは、と思えてならない(アメリカ人も良識ある人も即座に否定するだろうが)。
小生が、ルーシー・マドックス著の『リムーヴァルズ 先住民と十九世紀アメリカ作家たち』(丹羽 隆昭 (監訳) 開文社出版)を再読し始めたのも、9・11を意識してのことである。
どうにも、対イスラムとの軋轢が、アメリカにおける過去の恥部たる、語られざる<歴史>と重なってならないのだ。
同時に、今更と大方の人は考えるだろうが、アメリカは、インディアン虐殺の果てに国家が成立した過去と真摯に向き合うところから、反省を始めないと、アメリカの(アメリカにとっての)異物を排除・圧殺せんとする衝動から逃れられないのではないかと、小生は考える。
疲弊した国家とはいえ、今もって、世界最大の強国であることに変わりはない。
世界の警察官たろうとし続けるかどうかは分からないが、自分たちを民主主義国家のドンであり、何より正義を愛する国民だとは思い続けるだろう。
国民とは、今更、(キリスト教の)白人のみとは、限定しないだろうが、いざ危機となると、そんな本音が透けて見えてしまう。
← ルーシー・マドックス (著)『リムーヴァルズ 先住民と十九世紀アメリカ作家たち』(丹羽 隆昭 (監訳) 開文社出版) (画像情報などは、「『リムーヴァルズ 先住民と十九世紀アメリカ作家たち』を読む(前編)」を参照のこと)
イスラム教圏の脅威は、実際、現実のものである。
白人が減っていくか、いずれにしても、急激に増える見込みはない一方、イスラム教徒(圏)の人口は急増している。
世界の人口が70億になろうとし、世界が狭くなりつつあるなか、今まではキリスト教圏とイスラム教圏とは、幾かの緩衝地帯もあって、共存できたが、ユーロ圏内、アメリカ国内に増殖しつつあるイスラム教徒らと、踵を接して、共存が困難になっている。
しかし、共存・共生しない限り、アメリカの疲弊は、経済的のみならず日々の生活の中から、もっと顕著な兆候(症状)を呈するような気がしてならない。
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