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2011/09/05

『リムーヴァルズ 先住民と十九世紀アメリカ作家たち』を読む(前編)

 ルーシー・マドックス著の『リムーヴァルズ 先住民と十九世紀アメリカ作家たち』(丹羽 隆昭 (監訳) 開文社出版)を昨日から読み始めた。
 畏怖すべき作家・メルヴィルが大きく採り上げられていることもあり、インディアンの問題にも関心があって、再読を決めた。

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← ルーシー・マドックス (著)『リムーヴァルズ 先住民と十九世紀アメリカ作家たち』(丹羽 隆昭 (監訳) 開文社出版) 「19世紀前半の連邦政府による先住民族の「強制移住政策(リムーヴァルズ)」は、当時のアメリカ作家たちに深く影を落とした。ホーソーン、ソローらのテキストを論争当時のコンテクストに据えて再読する」といった本。 (画像は、「アメリカ・インディアン」については、ネット上で一番詳しいサイト「神を待ちのぞむ」、その中の「 「リムーヴァルズ 先住民と十九世紀アメリカ作家たち」ルーシー・マドックス著 丹波隆昭 監訳 開文社出版」より)

 1998年に刊行、入手し読んだ本。帰郷して、ようやく再読の機会に恵まれた。アメリカという国の成り立ちの恥部。
 アメリカの<民主主義>の成り立ちにインディアンの入る余地はなかった。
<リムーヴァルズ>とは、アメリカにおけるインディアン強制移住政策のこと。

 小生の邪推だろうが、結果的に、南北戦争は、インディアン殲滅というアメリカの恥部を一気に覆い隠す一面もあったように思えてならない。
 黒人問題がクローズアップされることで、インディアン問題など、脳裏から追いやられたのだ。

 意図的かどうかは別にして。

 読み始めるに際し、インディアンの歴史などを若干、見ておきたい。

インディアン
インディアン (Indian) は、アメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)の大半を占める主要グループの一般的な呼称。スペイン語・ポルトガル語ではインディオ (Indio)。多くの国では、インディアンとインディオの違いは翻訳に過ぎないとみなされているが、日本では、北米(アメリカ合衆国、カナダ)の諸民族をインディアン、中南米の諸民族をインディオと呼び分けることが多い」。

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→ 数日前、家の裏庭を歩いてびっくり。こんなところに花が咲いている! 過日、雑草に違いないと、せっせと毟り取っていた草に! たまたま毟る手を逃れた草が開花したのである。


ネイティブ・アメリカン
近年アメリカ合衆国で「インディアン」という呼称を「ネイティブ・アメリカン」(Native American)と呼び替える動きが進んでいるが、この単語はアメリカ合衆国内の先住民全般、つまり「インディアン」、「サモア人」、「ミクロネシア人」、「アレウト」、「ハワイ人」、「エスキモー」全てを表す「総称」であり、固有の民族名ではない」。

「ネイティブ・アメリカン」という呼称は、BIAの意向を受けて「インド人(Indian)」を祖先に持つ「インド系アメリカ人(Indian American)」と区別するために、人類学者が作った造語である。一方、歴史的呼称としての「インディアン」に誇りをもつインディアン達はこれをあくまで自称とし、またその名称を替えること自体が差別的であるとしている」。

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← ブドウ? 違う。裏庭に育ってしまった、正体不明の雑草に生った実。大きく育ちすぎて、始末に困っている。

この問題にはそもそも「アメリカ」という地名そのものが後付けであり、白人が過去の不正行為から目を背けて「インディアン」という言葉を削除し、「先住民」という中立的または大雑把なくくりの中に埋没させ、問題を隠ぺいしようとしているとする見解もある」。

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