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2011/09/06

『リムーヴァルズ 先住民と十九世紀アメリカ作家たち』を読む(後編)

移民との衝突
インディアンはヨーロッパの風土病に対する免疫を持たなかったため、ヨーロッパ人と初めて接触したインディアンはしばしば容易にヨーロッパからの伝染病に感染し、斃(たお)れた。インディアンの人口は激減し、インディアン社会は深刻な打撃を被った。また、初めて見る馬や兵器によって、インディアンはパニックに陥り、たった十数人のスペイン騎士に対して何千人ものインディアンが敗走するという事態も招き、こうした闘争によって土地を奪われていった。17世紀の前半から18世紀末までの長い闘争の歴史を一括りにして、インディアン戦争と呼ぶ

Elvis_presley

→ 「エルヴィス・アーロン・プレスリー (Elvis Aron Presley)」 (画像は、「エルヴィス・プレスリー - Wikipedia」より) エルヴィス・プレスリーは、「チェロキー、ウェールズ、イングランド、スコットランド、オランダ、フランス、アイルランド、ドイツ、ユダヤなどの混血」。歌う魂の奥の深さ、広さ。

レナペ族とフィラデルフィア、ワンパノアグ族とプリマス植民地、コンコードのように、入植者とインディアンが和平を結んで短期間共存した例もあるが、入植者の人数が増え、新たな入植地の需要が増すと共に破綻している

入植初期には、拉致したインディアンや裁判で有罪とされたインディアン、戦争で捕虜となったインディアンを奴隷として売買することは合法とされた

フレンチ・インディアン戦争やアメリカ独立戦争など、ヨーロッパ諸国がインディアンの諸部族を戦力とみなして同盟を結んだために植民地をめぐる争いに巻き込まれた例も多い(インディアン戦争)。部族の利害を十分考慮した上で参戦したとしても、結果として敗者の側につくことになった部族の運命は過酷であった

白人社会の大規模農園開拓で土地や水源を奪われたり、バッファローなどの自然資源を巡って度々対立した記録が残されている。インディアンを殲滅する目的で、白人が病原菌の付着した毛布などを贈って故意に伝染病に感染させようとした事実が歴史に記録されている

ヨーロッパ人がアメリカ大陸にやってくるようになった頃、1890年12月ウンデッド・ニーの虐殺により、白人によるインディアン戦争は終結した。最終的には推定1000万人いたインディアンは白人の直接・間接虐殺により実に95%が死に絶えた

しかしそれ以前からはスペインはサント・ドミンゴ、プエルトリコ、ジャマイカ、キューバなどを征服し、そこの先住民ほぼ100万人を殺すか病死させるか奴隷にした結果ほとんどが絶滅してしまい、純血は確実に絶滅した。さらにインカ帝国、マヤ帝国、アステカ帝国のような文明大国はスペイン人の暴虐な植民地政策による虐殺またはヨーロッパからの疫病により人口が激減し、例えばインカ帝国の人口が最大で1600万人存在していたが108万人まで激減し、アステカ帝国の領域に限って言えば、征服前の人口はおよそ1100万人であったと推測されるが、1600年の人口調査では先住民の人口は100万程度に激減した

スペインは植民地政策でアメリカ合衆国・カナダよりも多く先住民を一掃してしまい、その数は2000万人~3000万人である、スペインの植民地政策の凄まじさが理解できる」。

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← 「ウンデット・ニーの虐殺の犠牲者の埋葬」 (画像は、「インディアン - Wikipedia」より)

インディアン絶滅政策
19世紀になると、「インディアン強制移住法」を制定したアンドリュー・ジャクソン大統領によって、「保留地制度に基づく強制移住に従わないインディアン部族は絶滅させる」とする「インディアン絶滅政策」が推し進められた。これはユリシーズ・グラント大統領や、ウィリアム・シャーマン将軍らによって更に強化され、民族虐殺の戦火はさらに西部へと拡大した。南東部での「セミノール戦争」は、白人とインディアンの国家間戦争としては最大級のもので、ジャクソンはこの戦いに焦土作戦による徹底殲滅を図った。「セミノール戦争」は現在、「インディアンのベトナム戦争」と呼ばれている」。

ゴーストダンス教と1890年のウンデッド・ニーの虐殺
1868年にスー族と米国政府はララミー条約によって、サウスダコタ州にあるスー族の聖地ブラックヒルズは永久にスー族のものであると確約したが、ジョージ・アームストロング・カスターがブラックヒルズに金鉱を見つけると、開拓者が金を求めてブラック・ヒルズに侵入し、条約は破られた

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→ ツル性の植物・マンデビラは、今もって元気に日々、花が咲いてくれる。

絶望的な状況に置かれた西部のインディアンの部族には、ゴーストダンスを踊ることで平和なインディアンの国が還ってくるという新興宗教ゴーストダンス教が大流行した。信じるものは銃弾も効かないとされるこの宗教を恐れた白人は、ゴーストダンスを禁じ、スー族のゴーストダンス指導者キッキング・ベア(Kicking Bear)を含むビッグ・フット酋長(Big Foot)の一団をサウスダコタ州のウンデット・ニーに連行した。白人の話では一人が銃で抵抗したということになっているが、インディアンの話では、一人がナイフを持って手放さなかっただけで200人以上が虐殺された(ウンデット・ニーの虐殺)。ここに連邦政府とインディアンの戦いは終わる。1890年12月29日のことである

アメリカ人の歴史では1890年はフロンティアが消滅し、西部が勝ち取られた輝かしい年とされているが、インディアンにしてみれば1890年は、アメリカインディアンがひとまず征服された年なのである」。

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