石倉町延命地蔵尊(後編)
富山には(富山に限らないのだろうが)、お地蔵さんが実に多い:
「お地蔵さん……ん?」
道を注意深く歩いていると(走っていると)、随所にお地蔵さんが置かれているし、地蔵堂があることに気づく。
お地蔵さんは、過去、何かしら悲しい出来事があった際に、供養などのために安置されることが多い。
← 神通川沿いの桜並木。壮観! 2010年4月12日、撮影。
我が家の近所にも、地蔵堂(観音堂)があって、そのお堂には33体のお地蔵さん(観音様)が安置されていて、近所の篤志家の方が仏花をかれることのないよう、備えているし、掃除もしている。
この観音堂を参っていかれる方は、小生が思っていた以上に多いことに気づかされる。
これらのお地蔵さんは、近隣の町(村々)から掘り起こされたり、安置されていたものを、一箇所に集めたものだという。
いずれのお地蔵さんにも、きっと水害などの逸話や思い入れがあるに違いない。
富山県は、戦(いくさ)もだが、水害に悩まされてきた土地柄なのである(今も、江戸時代の地震対策として、砂防ダムが作られ続けている)!
とにかく、富山はお地蔵さんの町でもある(と、小生は勝手に思っている)。
「旧立山街道を歩き、石仏と語ろう!」によると:
泉橋には延命地蔵二体があり、東側は泉町・西側は石倉町の奉賛会によって安置されています。
安政5年(1858年)に大鳶・小鳶を崩した大地震でいたち川一帯も泥に埋まり多くの被害者が出たので、その供養がきっかけと言われています。
また昭和二十年の富山大空襲で富山市が焼け野原になった時、不思議なことにお堂が焼けても地蔵には傷ひとつ出来ませんでした。
さて、「石倉町延命地蔵尊」については、下記が詳しい:
「石倉町延命地蔵尊の歴史」
→ 「石倉町延命地蔵尊」 名水(霊水)を汲みに来る人の足は絶えない。(画像は、「石倉町の延命地蔵 富山市街の観光スポット:るるぶ.com」より)
この中でも、地蔵さんの来歴についての記述が興味深い。
多少、繰り返しになるが、敢えて一部、転記する:
イタチ川沿いに幾多の地蔵尊、水神社、不動尊が祭られていますがそれらの多くは、安政5年(1858年)大鷹山・小鷹山の崩壊により、当時進行の山として崇められていた立山に奉納されていた地蔵尊が翌年の大洪水によってイタチ川にもたらしたものとされていますがこれらの多くの地蔵さんは、大田校下の石屋(現在の富山市石屋)から流れ着いたものがほとんどです。当時この地には石を加工することを生業とする多くの人が住み、石仏、墓石等を作って生計を立てていましたが大洪水によってイタチ川に流されてしまい、石屋と言う地名もそこから生まれたものだろうです。
大洪水につきもの病気・疫病の平癒を願って建立され、それぞれの(各町内をさす)信仰あつき人々に奉賛されつつこんにちに至ったと伝え聞いています。
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