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2011/09/30

またもや奇妙な夢を見た(前編)

 過日、また奇妙な夢を見た。

 先日も、「三匹の仔トラ」が登場する、変てこな夢を見た。そのことは、本ブログ日記にも書いた
 何が変って、登場するのは三匹の仔トラばかりで、人間は、小生を含め、誰も現れない。

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→ 富山市某所の交差点で、今まさに太陽が沈まんとする光景に遭遇。

 人間不在の夢ってのは、小生の心の殺伐さを物語っているのか、それとも、三匹の仔トラという、動物ではあっても、生き物が主役として現れていることで、命や生き物の端くれに、辛うじて引っ掛かっていると思っていいのか。
 
 先日、見た夢は、ロマンの欠片もない、むしろ、自分の体の異変を告げ知らせるかのようなもの。

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2011/09/29

死海文書と陰謀説と(2)

 さて、真打の待望の書が、田川建三氏著の『書物としての新約聖書』(けい草書房刊)である(けい草の「けい」が漢字表記できない、情ないパソコンじゃ。違うサイトからのコピーを試みると「勁草書房」となる。サーバーによっては文字化けするかもしれない...、そのときは御免なさい)。

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← 田川建三 著『書物としての新約聖書』(勁草書房 1997年1月刊) 「死海文書」を巡っての書籍については、97年当時は、本書がピカイチだった。小生は、『立ちつくす思想』(同社刊)以来の田川建三ファン(? !)

 但し、待望と書いたが、出版されることを知っていたわけではない。記憶では立ち寄った書店でたまたま見つけたと記憶する。ただ、時宜が叶っていた、つまり小生の中のモヤモヤを吹き払うに相応しい時期に現れてくれた、という意味である。その意味で、小生には待望の書だったし、そう見なすに値する本でもあった。

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2011/09/28

死海文書と陰謀説と(1)

 世の中に曰く、ユダヤ陰謀説、フリーメイソン、etc.と、陰謀説のタネは尽きないようである。なぜにそんな陰謀説の類いというのは人気があるのだろうか。また、隠然と語り継がれたりするのだろうか。

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← 「死海文書」画像。 「死海文書5巻をネットで公開 グーグルで検索・翻訳が可能に」といったニュースを今朝未明(28日未明)、知った。せっかくなので、関連の旧稿をブログにアップする。

 新しいところでは、かの9・11同時多発テロの際、世界貿易センタービルがテロリストに乗っ取られた旅客機の直撃を受けたとき、同センタービルで働いていたユダヤ人4,000人が、直前にいなくなっていた。もしかしたら、このテロは、ユダヤ人によってテロリストたるアラブ人に対する悪感情を掻き立てる為に仕組まれた陰謀なのではないか云々。
 無論、これは完全なデマで、実際にはユダヤ人の方も数百人という多くの方が犠牲になられている。

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2011/09/27

九月の雨のこと(後編)

 夏から冬の間に、秋がある、そんなことは分かりきっているが、秋の爽涼を楽しみつつも、またやってくる冬、冬の齎す難儀の数々が思いやられてしまう。
 寒気が極端に怖くてならないのだ。

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 まあ、とにかく九月の雨は、夏の雨とは、まるで降られる身にしてみると、それも、体力の衰えを痛感している身にしてみると、何か心を打つような、心を揺さぶるような、緩やかな斜面を容赦なく転げ落ちていくしかないことを宣告されているような、そんな印象を抱かせてしまうのだ。

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2011/09/26

九月の雨のこと(前編)

 九月になって、雨の日が増えてきた…気がする。
 気がするだけなのか、実際、八月までと比べて多いのか、分からない。

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 九月の雨というと、夏場の雨とは違うから、雨の印象が強くなり、実際に降った回数以上に、雨の日が多いなと感じる…のだろうか。
 九月の雨は、夏の真っ盛りの頃の雨とは随分と違う。
 夏の雨は切望の果ての雨である。

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2011/09/25

白いハトは何かの使者?(後編)

 花壇に異常のないことを確認して、西隣の家へ回覧板を持っていった。
 すると、その家の前に止めてある、隣家の白い車の上に、先ほどの白いハトが止まっているではないか。

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→ 回覧板を届けようと、隣家へ向かったら、白いハトが玄関前の白い車の屋根に止まっていた。ハト、先回りしていた?

 白いハトが二羽、逃げ出したとは思えないし、まず間違いなく、さっき、玄関隣りのトイレ(小)の窓辺に止まっていたハトに違いないだろう。

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2011/09/24

白いハトは何かの使者?(前編)

 ちょっと不思議な体験(?)をした。
 それは、白いハトに絡む体験。

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← 近所も含め、我が家の周辺で真っ白なハトを見たのは初めて。

 一昨日の朝、外に出たら、何か白っぽい影が目線を横切った。
 その影は、我が家の玄関脇にあるトイレの窓際に止まった。

 見るとそれは白いハト。

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2011/09/23

シルクの海

 誘われるがままに、部屋に行き、誘われるがままに絹の海を泳いでいたのだ。暖かな綿の海。柔らかな白いシーツの波間。滴る汗。歓喜の声。オレの目一杯の愛撫にもあまるあいつ。あいつの白い体が今も、鮮やか過ぎるほどに脳裏に浮かぶ。

 いや、確かにそこにあいつがいると思えてならない。そこで笑み、そこで怒り、そこで泣き、そこで快楽に身を持て余し、涎と愛の香りとがベットリと二人の宇宙を満たしている…。

 けれど、あいつは、オレ以外の数知れない男達とも愛を交歓していた。決してあばずれなんかじゃないのに、出会う男の全てに純粋な愛と肉体を捧げていた。愛とは、瞬間の煌き。絶えざる絶望。林立するポールの上の無数の海鼠。

 オレは、空白を埋めようとした。

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2011/09/22

ロスコの音

 オレは、薄明の夜空を眺めていた。
 月影の町が青い光の海に漂っている。

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→ マーク・ロスコ (画像は、「マーク・ロスコ - Wikipedia」より)

 夜空は磨り減った青く透明なタイルだ。空一面の巨大なタイル。その半面は限りなく透明な青。でも、残りの半面は、オレには見えない。
 もしかしたらオレンジ色、それとも真っ赤な血の色のレンガなのかもしれない。

 不意にいつか見た、マーク・ロスコの絵を思い出した。


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2011/09/21

三匹の仔トラの夢(後編)

 もう一度、夢のことを思い返してみた。
 何を意味した夢なのか。

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← 9月19日、仕事で蜃気楼で有名な魚津へ。久しぶりに海を見た。富山湾というと、雨晴海岸など氷見海岸一帯から海(富山湾)越しに「富山湾上に浮かぶようにそびえる立山連峰の景観」が有名。けれど、天気に恵まれれば、逆に東側の海岸から西の伏木や能登半島を望む光景も、絶品かもしれない…。19日は曇天で、空も海も鉛色だったけど、潮風が心地よかった。

 体の表面のヌルヌルボヨボヨした、ゼリー状の…。
 ちょっと見には、ソースが掛かったようでもある。

 ふと、眠りに着く前、テレビの動物特集番組で見た、ある動物の特徴のことを思い出した。
 寒い冬を生き延びるために適応した体毛の話だった。

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2011/09/20

三匹の仔トラの夢(前編)

 三匹の可愛い仔たちがいた。
 大人の猫よりやや大きいが、仕草や歩き方の覚束なさ、三匹の常に行動を共にし、戯れ合う様子かは、明らかに生まれて間もない、恐らくはトラの仔たちだった。

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→ 道路沿いの花壇の緑のカーテン。ゴーヤとマンデビラのツルや葉っぱ同士が絡み合って。ゴーヤに伍して咲くマンデビラの花。

 咬み合うような真似をしたり、追いかけっこをしたり、おい被さったり。
 かと思うと、何に惹かれたのか、三匹して、一斉に同じ方向へ掛けて行ったりした。

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2011/09/19

晴耕雨読もどき(後編)

 作業の前、畑のナス(の木)を引っこ抜いた。
 その前に、もう諦めていたのに、ナスの実が大きなのから小ぶりなものまで十個近くも生っていて、びっくりした。

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← ブライアン・グリーン著『隠れていた宇宙〈下〉』(竹内 薫【監修】 大田 直子【訳】 早川書房) 「先端物理を極める理論のなかにはなぜか必ず、「多宇宙」が現れる…科学研究の肝を巧みな比喩で余すところなく伝えるポピュラー・サイエンス」といった本。というか、「「十分に発達した物理学はもはやSFと区別がつかない」のだろうか」ってのが、著者の強調するところ。数日前、読了し、『コレラの時代の愛』を読み始めたってわけ。書物の世界の広さをとことん、感じている。それにしても、グリーンの『エレガントな宇宙』は、傑作である

 家の南側の道路に面する花壇に作っている、グリーンカーテン、つまりはゴーヤも、具合を覘いてみたら、ゴーヤの実が鈴なりに生っていた。

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2011/09/18

晴耕雨読もどき(前編)

 今日、午前は、草むしり作業に没頭した。
 大概は、草むしり作業と言うと、午後、それも一日で一番暑い時間帯にするのが慣わし。
 でも、今日は午前に決行した。

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← ガブリエル・ガルシア・マルケス著『コレラの時代の愛』(木村 榮一【訳】 新潮社) マルケスの本を読むのは、これで何冊目だろう。今年は、『百年の孤独』を購入して、三度となる読書体験をしたばかり。驚くほどのリアリズム表現で、『百年の孤独』との表現手法のあまりの違いにびっくり。読書する時間は、草むしり作業などに奪われ、日に一時間もあるかどうか。ま、読み始めたばかりだし、じっくり楽しもう。

 というのも、朝方の天気予報では、午後の何時からかは分からないが、雨の予報が出ていたからだ。
 今日、草むしり作業したのは、畑。

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2011/09/17

回り道

 東京在住の小生、サラリーマン時代などには、休日にしばしば砧に限らず、多摩川の周辺までバイクで向かい、土手のどこかに腰を下ろすにいいような場所を探し、日が暮れるまで、ぼんやり時を過ごしていたものだ。

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 ぼんやり…。そう、何をするでもない。必ず本は携えていたし、ちょっと日陰になるような静かな場所で読書するという目的もあったのだけれど(天気がいいのに、部屋で燻っているのもつらかったし)、パラパラ本を捲るだけで何となく安心し、まあ、ほとんどは多摩川の土手で遊びに興じる家族連れのようすを眺めたり、多摩川の対岸の見慣れてしまった風景を飽きることなく見呆けていたものだ。

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2011/09/16

月影を追い 地べたを這う(後編)

 最近、自宅(の庭)で、ちょっとした仕事をしている。
 無論、庭などの草むしり、庭木の世話などは通常どおり。
 それに、八月、お彼岸に向けて、懸命に徹底して草むしりした畑は、もう、草茫々という惨状。
 なので、今週末からは、畑の草むしり作業が待っている。

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← 庭の入り口附近には、可憐な花が咲いている。南面の花壇のゴーヤや朝顔、マンデビラ、畑の一角のコスモス以外では、我が家で咲く数少ない花である。

 で、ちょっとした仕事とは、駐車場…というか、駐車小屋作り作業である。
 毎年、多寡はあっても、富山は雪が積もる。

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2011/09/15

月影を追い 地べたを這う(前編)

 一昨日の日記に、以下のようなことを書いた
 その際に写した画像がアップ可能になったので、その日の日記と画像とをコラボしてみる:

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 昨日、久しぶりに長距離の仕事をする機会を得た。
 高速道路で二十分足らずの走行に過ぎないが、富山に帰郷して、車での高速走行で、これほど走ったのは、初めてである。
 それだけ、普段、市街地の中をぐるぐる駆け巡っているわけである。

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2011/09/14

シュピース本から幕末の光景を偲ぶ(後編)

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→ 絵の真ん中に鎮座するのは富士山? 何処の川に渡る橋なのだろう。

 ところが、である。
 本書の中を全頁に渡って閲覧(流し見ただけ)したのだが、小生が気に入った絵がどうやっても見つからないのである。
 不思議。

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2011/09/13

シュピース本から幕末の光景を偲ぶ(前編)

 昨日、久しぶりに長距離の仕事をこなした。
 高速道路で二十分足らずの走行に過ぎないが、富山に帰郷して、車での高速走行で、これほど走ったのは、初めてである。
 それだけ、普段、市街地の中をぐるぐる駆け巡っているわけである。

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← Gustav Spiess著『Die preussische Expedition nach Ostasien während der Jahre 1860-1862: Reise-skizzen aus Japan, China, Siam und der indischen Inselwelt』 本書について、詳しくは本文にて。

 高速道路を使ったりしてのロングの仕事で、快適なのは、帰りの道。
 営業のノルマの半ばを一気に達成したので、気分的に少し楽、ということもあるが、昨日はそれに増しての快適な走行となった。

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2011/09/12

「同時多発テロ事件」から十年目に際して(後編)

 アメリカにとって、白人の勢力圏外の地は、全て、開拓すべき<フロンディア>に過ぎないのではないか、そんな疑念も、小生の中では拭い去れない。
 北米のみならず、あわよくば、宇宙を含めた全世界が、「約束の地(Promised Land)」だと思っているのではないか。

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← 「シッティング・ブル」 詳しくは、後段など参照。(画像は、「西部開拓時代 - Wikipedia」より) 

 正義を振りかざす人は、しかも、誰よりも頑固に(頑迷なほどに)標榜する人ほど、心の中に何かとてつもないコンプレックスを抱いているに違いない、などと小生のような平凡な、ほどほどに正義は大事と思うが、大義と思えるほど骨身に沁みて、行動するわけではない人間には思えてしまう。

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2011/09/11

「同時多発テロ事件」から十年目に際して(前編)

 今日9月11日は、「アメリカ同時多発テロ事件」が発生した日から十年目に当たる。

 なので、今回は、関連する話題を採り上げる。

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→ 南側の道路に面する花壇では、ゴーヤや朝顔もだが、マンデビラも依然、勢いがある。ここまで花咲く月日が長いとは、思いもよらなかった。

 アメリカ(など)が引き起こした、対イラク戦争は、「2010年8月31日にオバマ米大統領によって正式にイラク戦争の終結が宣言された」。
 が、アメリカは、その後遺症に苦しんでいると聞く。

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2011/09/10

ソーラーえらいことをした(後編)

 あるいは、太陽熱温水器って手もある。
 太陽光(熱)で、浴槽の水を(あるいは貯水槽の水を)直接、温めるって方法を利用されている方も少なからずいるに違いない。

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← 「単結晶シリコン型太陽電池」 (画像は、「太陽電池 - Wikipedia」より) ソーラー発電などの情報をネットで物色していたら、「ついに始まった太陽光発電のテレビ通販!価格破壊の秘密はパッケージ化と大量生産」なんてニュースを発見。熱効率がドンドン高まり、且つ、値段もドンドン下がっていく。

 早い話が、地球は、地熱などを除くと、再生可能エネルギーの相当部分が太陽のエネルギーを淵源としているわけである。
 風力も水力も、海流(波力・潮汐)も、太陽の光りの恵みである。

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2011/09/09

ソーラーえらいことをした(前編)

 いつだったか、自宅でテレビを見ながら寛いでいたら、突然、電話がかかってきた。
 我が家の電話には、掛けてきた先方の番号を表示する機能がない(液晶画面がない)。
 なので、取ってみないと、相手が誰か、分からない。
 イタズラだったり、何かの営業の売り込みだったりすると、即、切る。

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← 「黒部ダム」 「ダムの高さ(堤高)は186mで日本一」。「黒四ダム」の愛称で親しまれているが、「工事期間中の転落やトラック・トロッコなどによる交通事故等による殉職者は171人」であることは、あまり知られていない。富山には北陸電力があるが、このダムは、関西電力が作った。送電先も、関西だとか。水力発電は、「実用化されている唯一の再生可能エネルギーとも言える」。日本では、巨大ダムの開発は限界に達し、小水力発電に脚光が当たっているようだが、「世界的に見ると、特に開発途上国において大量の未開発水力地点があるといわれ、この未開発水力の合計は年間発電量として17兆キロワット時であり、世界の全電力消費量が12兆キロワット時程度であることを考えると、莫大な資源量である」とか。 (画像は、「黒部ダム - Wikipedia」より) 

 そのときの電話は、「太陽光パネルのモニターが何とか」と言っていた(ような気がする)。
 売り込みの類は、即座に切るという習性が身についていて、話の中身を聞かないままに、「うちはそういうの、興味ありませんので」と、あっさり、切ってしまった。

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2011/09/08

古き良き…ワーグマンの絵(後編)

 昨年、父母が亡くなった際、大よそのことが片付いて一段落付いたとき、押入れなどを整理して、かなり古くからの品物が詰め込まれていることに気づいた。
 多少は使ったのだろうが、多くは、未使用(未開封)のまま、もらったその都度、押入れに詰め込んでいったのだろう。

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→ 八尾おわら風の盆の会場(舞台)となるメインの通りなどをドライブ。仕事で、八尾の土地勘を持つ必要があったから。今年もとうとう、この祭りを見逃してしまった。

 箱は古いが、中身は、未開封なので、綺麗。
 敷きタオルケットや毛布、タオルなどは重宝するので、一部は既に使い始めたが、他にも十箱ほど残っている。
 押入れの肥やしになっても仕方ないので、提供したほうが役に立つはず。


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2011/09/07

古き良き…ワーグマンの絵(前編)

 明後日は、父の月命日。
 なので、仏花を手向けたりして、明後日のための準備。

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← チャールズ・ワーグマン画「海岸風景」(栃木県立美術館蔵) (画像は、「特別展「チャールズ・ワーグマン来日150周年記念 ワーグマンが見た海-洋の東西を結んだ画家-」|神奈川観光情報サイト「観光かながわNow」」より) 展覧会は本年7月に終わっている。展覧会の内容については、「チャールズ・ワーグマン来日150周年記念 ワーグマンが見た海-洋の東西を結んだ画家-」を参照。

 花を買った帰り、総菜屋さんへ。
 オカズをあれこれ買い求める。
 明日は仕事なので、朝食のオカズを仕入れたわけである。

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2011/09/06

『リムーヴァルズ 先住民と十九世紀アメリカ作家たち』を読む(後編)

移民との衝突
インディアンはヨーロッパの風土病に対する免疫を持たなかったため、ヨーロッパ人と初めて接触したインディアンはしばしば容易にヨーロッパからの伝染病に感染し、斃(たお)れた。インディアンの人口は激減し、インディアン社会は深刻な打撃を被った。また、初めて見る馬や兵器によって、インディアンはパニックに陥り、たった十数人のスペイン騎士に対して何千人ものインディアンが敗走するという事態も招き、こうした闘争によって土地を奪われていった。17世紀の前半から18世紀末までの長い闘争の歴史を一括りにして、インディアン戦争と呼ぶ

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→ 「エルヴィス・アーロン・プレスリー (Elvis Aron Presley)」 (画像は、「エルヴィス・プレスリー - Wikipedia」より) エルヴィス・プレスリーは、「チェロキー、ウェールズ、イングランド、スコットランド、オランダ、フランス、アイルランド、ドイツ、ユダヤなどの混血」。歌う魂の奥の深さ、広さ。

レナペ族とフィラデルフィア、ワンパノアグ族とプリマス植民地、コンコードのように、入植者とインディアンが和平を結んで短期間共存した例もあるが、入植者の人数が増え、新たな入植地の需要が増すと共に破綻している

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2011/09/05

『リムーヴァルズ 先住民と十九世紀アメリカ作家たち』を読む(前編)

 ルーシー・マドックス著の『リムーヴァルズ 先住民と十九世紀アメリカ作家たち』(丹羽 隆昭 (監訳) 開文社出版)を昨日から読み始めた。
 畏怖すべき作家・メルヴィルが大きく採り上げられていることもあり、インディアンの問題にも関心があって、再読を決めた。

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← ルーシー・マドックス (著)『リムーヴァルズ 先住民と十九世紀アメリカ作家たち』(丹羽 隆昭 (監訳) 開文社出版) 「19世紀前半の連邦政府による先住民族の「強制移住政策(リムーヴァルズ)」は、当時のアメリカ作家たちに深く影を落とした。ホーソーン、ソローらのテキストを論争当時のコンテクストに据えて再読する」といった本。 (画像は、「アメリカ・インディアン」については、ネット上で一番詳しいサイト「神を待ちのぞむ」、その中の「 「リムーヴァルズ 先住民と十九世紀アメリカ作家たち」ルーシー・マドックス著 丹波隆昭 監訳 開文社出版」より)

 1998年に刊行、入手し読んだ本。帰郷して、ようやく再読の機会に恵まれた。アメリカという国の成り立ちの恥部。
 アメリカの<民主主義>の成り立ちにインディアンの入る余地はなかった。
<リムーヴァルズ>とは、アメリカにおけるインディアン強制移住政策のこと。

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2011/09/04

中島敦から土方久功へ(後編)

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→ 土方久功「クロトンの娘」1972年、世田谷美術館蔵 (画像は、「委任統治領ミクロネシアを訪れた美術家の作品展-国際版画美術館 - 町田経済新聞」より)

 中島敦との関係で、土方久功の来歴を見ると:

1929年(昭和4年)、パラオに渡り、公学校(現地住民の初等教育学校)の図工教員として彫刻を教える傍ら、パラオ諸島の各島、ヤップ島を詳細に調査する。1931年(昭和6年)、ヤップ諸島の最東端・サテワヌ島(現在のサタワル島)に渡り、7年間を同島で過ごす。1939年(昭和14年)、パラオに戻り、コロールにおかれた南洋庁に勤務する。トラック諸島(現在のチューク諸島)、ポナペ島(現在のポンペイ島)、クサイ島(現在のコスラエ島)、ヤルート(現在のジャルート環礁)、サイパン島、ロタ島を引き続き調査する。1942年(昭和17年)、小説家の中島敦とともに帰国した。同年、ボルネオ調査団に参加し、同年から日本が統治した北ボルネオを調査した。

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2011/09/03

中島敦から土方久功へ(前編)

 過日、川村湊著の『狼疾正伝 中島敦の文学と生涯』(河出書房新社)を読んだことは、既にこの日記でも書いている

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← 川村湊著『狼疾正伝 中島敦の文学と生涯』(河出書房新社) この本で、土方久功を再認識させてもらった。

 中島敦ファンを気取るほど、読み込んでいるわけではないが、高校時代だったかの教科書で彼の作品を読んで魅了されて以来、関心を持ち続けてきたのは確か。

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2011/09/02

始原への旅

 この十日ほど、再読となるのだが、カール セーガン (著)/アン ドルーヤン (著),『はるかな記憶―人間に刻まれた進化の歩み〈上〉』( 柏原 精一/三浦 賢一 /佐々木 敏裕 (翻訳) 朝日新聞)を読んでいる。

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→ 我が家の庭には、植えたり育てたりしたつもりのない、謎の植物が多数ある。これも、雑草なのか、何かの花なのか、分からないで処分できないでいる。

 本書は、「ヒトはなぜ存在するのか?ヒトはどこから来たのか?世界的ベストセラー『コスモス』で宇宙と人間の関わりを描いた著者が、ヒトがたどってきた道のりと進化の過程、地球上で共に暮らす全生物との深い絆について、その謎に迫る。進化論・動物行動学などの多様な知識と想像力を駆使した科学小説」といった趣の本。

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2011/09/01

石倉町延命地蔵尊(後編)

 富山には(富山に限らないのだろうが)、お地蔵さんが実に多い
お地蔵さん……ん?

 道を注意深く歩いていると(走っていると)、随所にお地蔵さんが置かれているし、地蔵堂があることに気づく。
 お地蔵さんは、過去、何かしら悲しい出来事があった際に、供養などのために安置されることが多い。
 
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← 神通川沿いの桜並木。壮観! 2010年4月12日、撮影

 我が家の近所にも、地蔵堂(観音堂)があって、そのお堂には33体のお地蔵さん(観音様)が安置されていて、近所の篤志家の方が仏花をかれることのないよう、備えているし、掃除もしている。
 この観音堂を参っていかれる方は、小生が思っていた以上に多いことに気づかされる。

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