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2011/08/21

祈りの果てにあるものは…

 祈る心がある。
 が、闇の世界に踏み惑った人間には、祈りを捧げる場がない。
 あるいは、方向感を失った人間には、祈りを闇の何処へ向けて捧げればいいのか分からないのである。

 ただ、祈る心が宙に揺れている。

 祈りは、ただ、祈りであればいい。ただ、闇に向かって祈りの思いを発すればいい。
 それは、業に溺れきった人間の救いを求める唯の叫びあるかもしれない。声なき声に過ぎないかもしれない。
 その溺れるものが藁をも掴む思いで「助けて!」と叫ぶのであっても、それはきっと祈りなのだと思う。それでいいはずなのだ。

 何をも信じていない私には(それとも誰からも信じられない私には)、祈りは祈りに終わるべきものに過ぎない。闇の果て、闇の奥には、沈黙よりも遥かに凄まじい空白があるだけ。
 私は神も仏も、その存在を否定しない。また、多くの人が神か仏かの存在を信じていることも知らないわけではない。
 けれど、私は、人には神も仏も決して見えないものであることを思うのみである。

 私の肉眼に見えるほどのものなら、それは仏でも神でもない、それは何かの幻像、何かの狂気、心の空漠の底知れぬ深さに怯えるが故の、めくらましなのだと見なす。
 私は仏像を全く認めない。そんなものは、どんなに美しいとしても、仏への心からの希求の念を眩しさと神々しさで、心の目を逸らしているに過ぎないと思う。
 神も仏も人間からは遥かに遠い存在なのだ。

 過日、何処かの町を歩いていたら、都会では珍しく蟻たちの蜿蜒と続く群れを見た。
 蟻たちは何処から来て、何処へ向かっていくのだろう。無論、蟻の巣穴から、何処かで見つけた餌の山へ向けて、往復の列を為している。
 が、しかし、黙々と、淡々と、あるいは忙しく、ひたすら餌を求め歩くその様は、たまさかの巣穴という名のこの世の踊り場から、この世に何故かしら現出した蟻たちをその先の知れない遠い世界へ、ともかくも歩くことを選ぶしかない空しさのようなものを私に覚えさせた。

 私はここにいる。孤立しているとはいえ、ともかく、この世のここにいる。私は何かを欲している。それは救いなのか、愉しみなのか、悲しみなのか、悦びなのか、自分でも分からない。が、そのどれもが結局は、当座の踊り場の数々に過ぎないことを嫌というほど、知っている。
 つまり、やはり私は何処とも知れない闇の果てからここに至りついているように、何処とも知れない闇の彼方へ、例え目には足を留めていてでさえも、歩き去ってしまう。

 人からすると、蟻は、ただの虫けらに過ぎない。健気な虫けらと思うか、ちっぽけな虫けらと思うかは人それぞれだとしても。
 そう、人と虫けらとの間には、きっと無限に近い隔絶がある。その両者の間に会話の成り立つ余地などない。時に勝手に人間様が蟻たちに語りかけることがあっても、それは人間の独善、人間の幻想、自慰めいた自己満足の世界があるだけなのだ。

 けれど、さて、その人間と蟻たちとの隔絶も、神や仏から見たら、無きにも等しいのだろう。神や仏が何ものか、私には分からないのだとしても。

 それは、あるとしたら、遥か高みに、あるいは遥か地の底深くにあり、その目から見たら、蟻と人との区別など空しいものに過ぎないだろうとは思う。
 人間が仮に蟻を見て、この虫けらどもめと、尊大ぶってみても、そうした人間を神や仏が見たら、目くそ鼻くそを笑うの喩えより、もっと滑稽に映るに違いない。

 きっと、神や仏は、この世の外にいるに違いない。この世の中にいるはずもない。
 人間は逆立ちしてもこの世にあるしかない。その人間の叫び、祈りは、それがどれほど真率なもの、心の底から発せられたものだとしても、それはこの世の声でしかない。
 沈黙の声は空漠たる闇の中で、木霊さえ聞こえない。

 私は何ものかに触れえるかもしれない。木々の幹に、家の壁に、柱に、誰彼の衣服の裾に、あるいは肌に。
 そう、風にさえ吹かれてみることができる。その歩みを緩めることはあっても、やむことのない風という名の、目に見えない息に。

 私は水の滴る音が好きだ。その光景も好きだ。一滴の水に、私は大袈裟ではなく、無限を感じることがある。
 そう、私は清冽なる水に触れることさえ、できる。

 そうした現象の一切は、この世のものである。そうした現象の数々を、その相貌の数々を味わい楽しむことができるだけでも、それは、きっと凄いことなのではなかろうか。

 けれど、祈りは祈りであり、この世の外に届くことはないのだろう。
 この世の中にさえ、届かないのだし。

 そうだ。私は祈りが届くから、届くことを期待して祈っているわけではなかったのだった。祈るしかないから祈っているのだ。それが悲鳴に他ならないとしても、他にどうすることが私にできようか。
 祈る営為の果てにあるものは…、闇、なのだとしても。

                                  (01/09/14 原作

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