夏と言えば幽霊(ゾク編)
この頃は、あまり流行らないというのか、耳にしなくなった事象に人魂がある。噂によると、夜、人魂を見ると、人妻に会うというのだが、これはどうやら、夜陰に紛れた人妻を人魂と勘違いしたものと推測される。言うまでもないが、人魂と人妻は歴然と違う事象なのである。
→ 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「人魂」 (画像は、「人魂 - Wikipedia」より)
さて、最近はあまり人魂を巡る話題は耳にしなくなったような気がする。というより、そもそも怪談話自体が人気がない。あっても学校のトイレの怪談など、何か乾いていて、江戸時代以来の幽霊モノと比べると味わいも人情も薄れている。
教養もなくて、牡丹灯篭という言葉を聞いても、ボタンとオノ? と聞き返すのがせいぜいなのである。
都会の風景も、何処か他人行儀な光景を映し出しやすいのかもしれない。情緒という言葉が死語になりつつあるのも、むべなるかな、である。
この人魂だが、これが飛び交うのは、なんと言っても似合うのは墓地である。墓場である。といっても、リストラされたサラリーマンの行き場所という人生の墓場という含蓄ある意味合いで使っているのではなく、文字通りの墓場に人魂がユーラユラ飛び舞うのである。
人魂は、小生は残念ながら見たことがないのだが、どうやら必ずしも強烈な光を発して燃えているわけではないようである。
仄聞するところによると、弱々しい、絶え入るような青白い光を放っているという。
蝋燭の焔が、なぜか蝋から浮き離れてしまって、ほんの少し崩しつつも、基本的には形を保ちながら中空に漂ったなら、色合い的には、若干違うとしても、人魂のイメージに近付くのだろうか。
幽霊も、掘割と柳の木の下がお似合いなのだが、墓地で現れたりしたら、怖い。小生は、繊細の神経も幾何学の精神も持ち合わせていない、至って平穏無事・人畜無害な人間であり、そもそも幽霊の存在を否定はしないまでも、信じてはいない(怖くて信じられない)。
しかし、夜中に街灯もないような墓地に一人で行く勇気はない。なんとなく怖い。強盗が現れるやも知れず、自転車か原付に乗った兄さんが引っ手繰りせんとばかりに背後から静かに走り寄ってくるやも知れないのだし。
そんな墓地に、真夜中過ぎに出向くなど、とんでもないことである。それこそ自己責任の世界だ。小生の辞書に実験精神の文字はマジックで塗り潰されているのだ。
が、世の中には勇気のある、それとも無謀な、率直に言って無神経な人がいて、わざわざ真っ暗な墓地に肝試しとばかりに踏み込んでいく奴もいる。
← 「狐の嫁入り」 by kei (短編「狐の嫁入り」参照)
そうはいっても、最近のお寺は夕方ともなると、門を固く閉めてしまうので、墓地が青空というのか、お寺の外にあるのでないと、実験は難しい。肝試しとか、人魂に纏わる話題が、近年少ないのは、お寺が閉鎖的になってしまったからなのだろうか。
しかし、お寺のせいばかりとは言えないようだ。そもそも、これまた俗説であって、確かめたことがあるわけではないのだが、人魂=隣説がある。そもそもこの頃は珍しくなってしまった、土葬という風習が前提でないと、この説に絡む話自体が始まらないのだが。
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