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2011/08/23

診察の待ち時間(前編)

 仕事柄、お客さんと車中でお喋りする機会に恵まれることもある。
 最初から最後まで沈黙に終始することもあるが(どうぞ! とか、ありがとうございました! などの挨拶は別にして)、なぜか、初めての方なのに、短い車中での移動の間、ずっとお喋りが続くことがある。

 こちらから、天気のこと等、話の取っ掛かりで持ち出すこともあるが、基本的には、挨拶など必要最小限のこと以外は、余計なお喋りはしない(方針である)。

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← 渡辺 京二【著】『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー) 「近代に物された、異邦人によるあまたの文献を渉猟し、それからの日本が失ってきたものの意味を根底から問うた大冊」といった本。明治維新という大変革が、いかに多くのものを古き良き日本から奪ったか。江戸や明治前半の日本人像を一変させてくれる本。


 でも、お客さんから話しかけられたら、それはしっかり聞くし、受け答えもする。
 雰囲気として、お客さんのほうが話をしたいと感じたら、こちらは受け手というか、聞き手に回る。
 相槌を打ち、合いの手を入れ、お客さんが気の済むまでお喋りしてもらう。


 昨日は、どういうものか、病院への送り迎えの仕事が多かった。
 月曜日ということもあるのかもしれない。

 大概の病院は、土日は休診だから、診察は月曜から金曜の間。
 予約を入れている場合は別として、土日の間に迷った挙句(?)、思い切って休み明けに病院へ足を運ぶ方も多いのかもしれない。
 
 通院や診察のため病院へ向かわれる方で、タクシーを使われる方は、多くは年配の方が多い。
 無論、圧倒的大多数の方は、バスや電車などの公共輸送機関を利用されるし(タクシーだって、公共輸送機関なのだが)、事情が許されるなら、家族の方に送迎を頼まれることも多い。
 デイサービスなどの職員の運転する車で病院に向かわれる方も多い。

 だから、タクシーを病院への行き帰りに利用する方は、ごく少ない、例外というべき方たちなのかもしれない。

 病院からの(特に)帰りにタクシーの中で、お客さんが話される内容の大半は、愚痴である。
 想像がつくと思うが、診察の内容とか、診断結果とか、そんな実際的内容ではなく(そんな内容に話が及ぶこともあるが)、なんといっても多いのは、待ち時間の長さである。

 タクシーの中で、お客さんが話したくてならないのは、待ち時間が長くて長くて、しんどかった、という愚痴なのである。
 運転手は、その愚痴の聞き手になるわけである。

 実際、小生自身が病院へ診察に向かったときも待ち時間の長さに辟易したものだったが、それでも、小生はまだ体力的には、老人の域には達していないし、待たされることを覚悟で、大概は本(か新聞)を持参する。
 受付を済ませて、すぐに診察になれば、それは結構なことだし、長く待たされる嵌めになったなら、その場合は、ひたすら読書である。

 自宅では、なにかと雑事に追われるし、気が散ったりするが、診察を待つしかないとなれば、覚悟を決めて、これは絶好の機会とばかりに、読書に耽る。

 小生が待ち時間にもっと辟易したのは、父母に付き添って病院に行った際のことだった。
 小生一人の付き添いでは心もとなくて、他にも助けを呼んで、二人で付き添ったこともしばしば。

 父も母も結構な年配である。八十歳を超えている。
 そんな老人が、病院の待合室でひたすら診察の時を待つ。
 母は、座っているのもやっとの体だったから(病院への出入りは、車椅子)、待合所のソファに腰掛けて待つのも億劫な様子だった。
 なので、職員の方にお願いして、空きのベッドなどに横になって、ひたすら診察の時を待ったものであった。

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