誰か居る!(後編)
用心のためでもないが、オレは木刀を家に置いている。
その木刀は、生憎、隣の書斎の片隅に立てかけてある。
使わないままに、埃を被っているその木刀は、大学に入学して間もない頃に入手したもので、学生時代どころか、その後、上京してからのフリーター時代、サラリーマン時代、タクシードライバー時代、さらには富山へ帰郷した今に至るまで、ずっと身近にあったものだ。
オレは、部活には加わらなかったものの、剣道が好きだった。
一時は真剣を買おうと、鎌倉のある刀剣の店を冷やかしたこともある。
さすがに白刃の刀を買うことはしなかったものの、木刀だけは買った。
上京した際、荷物のほかに木刀を持って皇居の周りを散歩したら、さすがにおまわりさんに誰何されたものである。
木刀…。
僅かに事情に変化があった点は、東京在住時代までは、一部屋の間借りで、木刀と自分とは同じ部屋にあったものが、田舎に帰ってきて、幾つも部屋があり、寝室にさえ、書斎が隣接していて、木刀を書斎に置いてしまったこと。
木刀が身近からやや離れてしまった。
油断?
肝心なときに、お守りのように、やや大げさに言えば、肌身離さず傍においていたものが、隣の部屋にある。
寝室は枕元の蛍光灯に照らされているが、隣の書斎は反って深い闇に沈んでしまっている。
相変わらず、ガサゴソという音が断続的に聞こえる。
真夜中の豪雨の時を過ごしたことは幾夜だってあったけれど、そんな得体の知れない音を聞いたことは未だ嘗てない。
まして、父母が亡くなって以後、他人の気配を家の中に感じることなぞ!
起き上がるべきか。
起き上がるしかないだろう。
このまま打つ手もなく奴の為すがままになんてあってはならない。
点灯したままの電気スタンドもだが、それ以上に、ベッドのスプリングが恨めしい。
ちょっとでも身動きすれば、スプリングがバネがギシギシと鳴るに違いないのだ。
覚悟を決めた。
スタンドの明りを消し、ベッドから起き上がり、真っ暗な部屋に立った。
せめて、相手と同等の立場に立つのだ。
こちらも闇の中に紛れるのだ。
木刀の正確な在り場所は覚えていない。
ベッドの足元の簡易テーブルの上に、手のひらに収まるサイズの懐中電灯が置いてある。
手探りで懐中電灯を手にし、寝室の障子戸を開けた。
スタンドの灯りを消した時点で、先方にはこちらの動静が察知されたに違いない。
否、真っ暗な家の中で、明かりが灯っていたのは寝室だけなのだ。人が居るとしたら、この部屋以外に考えられないだろう。
もしかして、奴は、この家が空き家だと勘違いしていたのではないか。
あるいは、この日は誰も居ないと間違って思い込んでしまったのかもしれない。
寝室の障子戸を開けて、廊下に出た。
不審な物音は、あまり聞こえなくなった。
こっちが動き出したことを察知したのか。
バッティングすることを恐れ、さっさと外に出てしまったのか。
いや、臆病なオレは、オレの動きが相手に察知されることを期待していたのだった。
強盗でもない限り、ただの盗人(ぬすっと)なら、さっさと踵を返すに違いないと、期待していた。
懐中電灯を手に、でも、照らさないままに、ゆっくり廊下を進み、居間へ向かった。
人気(ひとけ)は一切、感じない。
奇妙な音も聞こえなくなった。
雨の勢いも弱まっている。
オレは思い切って懐中電灯のスイッチをオンにしてみた。
居間や台所の一隅が照射される。
換気のため、小さく開けてある台所の窓を閉めた。
入浴後、湿気を逃がすため開けてあった洗面所の窓もぴったり閉めた。
懐中電灯の灯りを頼りに、家の中を歩いてみる。
丑三つ時の居間、部屋の明かりを灯す気にはなれない。
変わった様子はない…、ないと思いたい。
誰も居ない。
少なくとも今は誰も居ない。
そう自分に言い聞かせて、寝室に戻った。
隣の書斎の片隅に木刀が立てかけてあった。
その木刀を見た瞬間、オレは安堵の胸を撫で下ろした。
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コメント
うちは父の時泥棒が入ったことがあり、株券を盗まれたとか。
で、株券は貸金庫に入れて、父が死んだ時税理士が別に名義書き換えしなくても大丈夫といったものだから、母の死亡で、やっと名義書き換え、僕のものになりました。
今は株券電子化、テレビはデジタルと面倒だ。
弥一さん泥棒に入られたとしたら、盗まれるようなものは?
なぜか目覚めの良い朝、本当涼しくなりました。
投稿: oki | 2011/08/21 06:25
okiさん
okiさんの家でも、ご尊父の生前、泥棒に入られたことがあったのですね。
それも、株券!
幸か不幸か、我が家には盗むに値するものは、現金も含め、ありません(このことは、世の泥棒さんたちに、声を大にして言っておきます)!
悲しいほど、財産は遺されていませんでした。
(その代わり、多分、負債も遺されていない…はず!)
まあ、ロンドンなどの大騒動のように、冷蔵庫や洗濯機やアナログテレビや箪笥などを丸ごと、盗むというのなら、話は別ですが。
ホント、真相は分からずじまいです。
実際に誰かが忍び込んだけど、外からは真っ暗な家だったけど、書斎の隣の寝室に灯りが灯っていることに、侵入して初めて気づいた可能性がある。
しかも、ただの灯りの消し忘れじゃなく、寝室で人の気配が擦るではないか!
驚いたのは泥棒のほうかもしれない。
慌てて、急いで、何も盗らずに(← たぶん)、逃げてしまった。
一方、風雨のイタズラの可能性が大とも考えています。
家の立て付けが悪く(築六十年近い)、ちょっと風が吹くと、家の内外で得体の知れない音が鳴る。
その症状が年々、ひどくなってきているようにも思えますし。
真夜中にふと目覚めると、そうした物音にビクリとすることがあります。
やはり、一人暮らしするなら、一部屋かふた部屋程度がいいですね。
それと、このドキュメントタッチの文章では表現し切れなかったのですが、できれば、先祖も含め、父母らが住み暮らしてきた広い農家に、昨年の夏からずっと一人で暮らしてきて、ひと気のない家の孤独感を漂わせたかった。
その孤独が奇妙なドラマを勝手に妄想させてしまう、といったような。
後段のほうが文章の本筋だったような気もしますが、そこまで描くゆとりは今はありませんでした。
そうそう、本当に涼しくなりましたね。
真夏と同じ格好で寝ていたら、寒くて、思わず毛布を引っかぶりました。
来週は、残暑のぶり返しがあるらしいけど、季節は確実に秋に向かっています。
涼しさのお陰か、目覚めがよくなるのはいいですね(小生には望めないことですが)。
暑いのも辛かったけど、寒くなるってのも、独り身の小生には堪える気がします(ホント、勝手なものです)。
思えば、真夜中に目覚めたときの寒さが、心細さにつながり、あんな変な妄想を掻き立てられる羽目になったのかも、などとも思えたりします。
投稿: やいっち | 2011/08/21 14:06
あぁ目覚めの良い朝と思ったら、夜になったら憂鬱になってきた。グリーフの時期ですが一日でもかなり気分変わりますね。
被災地の人たちのグリーフケアこれから大変ですよね。
負債があったら相続放棄すれば良いだけ。
けどひろい家というのも家族の歴史がつまっているということですよね、弥一さんもお父様とお母様の出生から死亡までの戸籍謄本持っていると思いますが、重いですよね、この歴史を持って自分が存在している、このことを考えると自殺なんてできない、とても。
泥棒さん案外動物だったりしてー
投稿: oki | 2011/08/21 22:06
okiさん
気分は、今の天気と同じように、変わりやすいものですね。
自分を平静に保つって、とても難しい。
家も敷地も広い。いずれ、親戚の誰かが継ぐ…というか、我が物とするのでしょう。
時間が形はともかく解決していく。
仕方ないです。
闖入者、泥棒というか、ネコの類じゃなさそうです。ネコの入れるような透き間はなかったし。
コオロギは、先週、二回ばかり、見かけたけど。
投稿: やいっち | 2011/08/23 21:54