セミ時雨の夏、おしょらいの夏(後編)
そうでなくても、風雨で汚れっぱなしということは、まずなくて、地元の誰彼が水を掛けたりして、綺麗にしている。
宗教心とか信仰心とは何か、と大上段に問われると、窮屈になるが、先祖を思う気持ちとか、森羅万象に「かみ」を感じ見る心性ということであれば、大概の日本人は有しているように思われる。
日本に神社(神道)や仏教などが入ってきた歴史は、それなりに辿れる。
儒教や道教、キリスト教(ゾロアスター教も含め)の日本のおける歴史も、辿ることができる。
が、森羅万象に「かみ」を感じる心とか、仏教の教えの如何に関わらず、先祖を敬う気持ちというのは、有史以前からのものではないかと感じられてならない。
湿度が高く、雨が降り、山、そして山の緑が豊かで、川も多い日本の土地柄。
→ 例年、今頃になると見事に開花する隣家の花。小生の手のひらより大きな花。午後になると萎れるが、翌日になるとまた開花する。
日本の土地柄のシンボルは、小生は「コケ」や「カビ」ではないかと考えている。
樹木や草花の種類の多彩さ、生き物の多様さを分かりつつも、「こけ」や「かび」に日本という湿った土地柄を象徴するものを感じるのである。
洪水や崖崩れなどで一時は、荒れ果てた裸の大地がむき出しになっても、雨と風と日とが、すぐに苔生した地に変え、雑草に覆われ、樹木が育ってくる。
家の掃除などのメンテナンスを怠ると、家の内外、至る所にクモの巣が張り、コケが生え蔓延り、虫が湧くように占領する。
命がまるで大地から湧くように蔓延ってしまう。
樹木や草花が一時の開花の果てに朽ち果てても、すぐにまた賦活再生したかのように、育ち花を咲かせる。
セミ時雨が今、喧しい。
セミの抜け殻も多くなっているが、セミの死骸も目立ってきた。
命の賛歌を超えの限りに張り上げる夏の時の終わりが近づいている。
そうした虫の躯も、やがて土になる。
死骸が土に変わるのは、虫けらだけじゃない、人間も例外ではない。
火葬という最後の形が一般化しているが、骨と灰と煙という末期だったとしても、要は土に成り果てることに変わりはないのだ。
その土から雑草が、虫けらが湧くように生え生まれ、蔓延る。
枯れ葉の下から、うじゃうじゃと虫が湧く。
生き物の連鎖の果ての人間に過ぎないのだ。
日本という湿潤な風土の故の、森羅万象に命を、「かみ」を見る心性。
← つる性植物のマンデビラは、相変わらず元気で、輪郭も鮮やかな花を咲かせている。ゴーヤや朝顔、マンデビラの育つ、南側の細長い花壇には、水しかあげていないのだが、どうしてこんなに育つのか、不思議である。
命の回帰、命の循環、命の往還、こうしたことに実感を覚えてしまう心のあり方というのは、きっと縄文の昔からのものなのではないか。
仏教や儒教などが輸入されて、儀式の形は、時代に連れ、変化するとしても、その根底に流れるマインドというのは、遥かに遠い昔からのものが今も息衝いているに違いない、そう小生には感じられてならないのである。
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コメント
苔むしたとかはなるほど日本の高温多湿さを感じさせますが、実際には中欧の感覚でも全く違和感はないかと思います。ここでも何度か話題となっているホーキンス博士の無神論ですが、シャーマニズムから多神教、一神教の流れに沿っているアンチ一神教に他なりません。
興味深いのは、森羅万象からいろいろな形で宗教が発達していった過程と日本のそれとの相違です。「五山の送り火」も「おしょらい」でも伝統行事であって宗教と呼ぶ行為にはという考え方は、最高裁の判例などにもあると思いますが、それはやはり科学的な考え方でしょう。
たとえば「先祖を敬う気持ちというのは、有史以前からのもの」は、どれほど明快なテーゼかと考えるととても面白いかと思います。
投稿: pfaelzerwein | 2011/08/16 00:57
pfaelzerweinさん
中欧の気候を含めた風土条件は、実際に居住されてたり、旅して回ったりしている方なら、日本との比較もできるのでしょうね。
無神論と言いつつ、日本のは、無神論というより、森羅万象に神を感じる、機会主義的な便宜的なものに過ぎない。
論じゃないんですね。
論などは、カビが生え、苔生して原形を止めなくなってしまうのが日本のような気がする(日本だけと言うつもりはないけど)。
五山の送り火など、ゾロアスター教(拝火教)などの影響があるようで、古い歴史がありますが、古墳時代や弥生、縄文の時代には遡れませんね。
森羅万象にカミ的なものを感じる心性というのは、仏教や道教の到来より古い気がする(根拠はないですが)。
苔生し、カビの生える風土性が、土に、つまり土葬される場にイノチの源、先祖の魂への親和性を呼ぶように感じます。
投稿: やいっち | 2011/08/18 21:02