ゴーヤの実を調理(前編)
今年は、ヘチマの苗は植えず、ゴーヤ3本だけなので、一昨年ほどの葉っぱの繁茂状態には遠く及ばない。
葉っぱ単体の大きさとなると、ヘチマにはさすがのゴーヤも敵わないようである。
それでも、3本のゴーヤたちは、3本の朝顔(や3本のマンデビラ)ともども、頑張っている。
そうそう、3本のヒマワリも、育ちすぎるほどに育って、実るほど頭の垂れる何とやらで、ヒマワリの背丈も2.5メートル以上だが、ヒマワリの花も、黄色の時を過ぎ、今は黒ずんでいて、頭をその重みのままに思いっきり垂らしている。
その頭の重みで、ヒマワリたちは、今にも道路側に倒壊しそうな雰囲気。
さて、ゴーヤである。
ゴーヤたちは、先月の後半辺りから実を生らせ始めて、二日に一本は大き目のゴーヤの実を収穫できる。
実の育ち方があまりに早く、最初の二個は、収穫の時期を逸して、気がついたら図体が巨大に生るだけじゃなく、黄色に変色していた。
仕事柄、ほぼ二日に一日は終日、家を空ける。
仕事が終わって帰宅するのは、早くて夜中の三時過ぎ、四時台に及ぶこともしばしばである。
寝入るのは、五時前後だろうか。
寄る年波のせいでだろうか、三時間ほどで一旦、目覚める。
仕方なく新聞を読み、テレビを見、それでも眠れないままに起き出して、庭や畑を見て回る。
その際に、ゴーヤ(の実)の惨状を目の当たりにするわけである。
サラリーマン風に、毎日、夜にでも帰宅できるのなら、ゴーヤなどの花壇を日々、見て回れるのだが…。
水曜日は休み。
というか、水曜日の四時過ぎに帰宅したのだが、とりあえずは、翌朝までオフ、というわけ。
いつものように、九時過ぎ、畑や庭を見て回る。
すると、ナスも、漬物用に小さなうちに収穫しようと思っていたのに、多くなりすぎていた。
ゴーヤも、十個近く、実が生っているが、そのうちの一個がもう、はちきれんばかりに育っている。
その日の午後、遅くとも翌日の木曜日には、熟れすぎて黄色に変色するのは目に見えている。
近所の誰にあげようかと、考えつつ、ナスの実を四つ、ゴーヤの巨大な実を一つ、切り取った。
生憎と、近所の方は不在だった。
いつもあげている親戚の方は、その方の知り合いの話だと、家族のものはみんなゴーヤが嫌いで、主婦の方だけが食べる羽目になり、作り甲斐がない、云々という話を聞いた。
あげる人がいない。
近所の畑仲間(?)の方は、ナスは、でっかくても漬物にできるし、ゴーヤ、自分で食べなさいよと言う。
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