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2011/08/05

ゴーヤの実を調理(前編)

 我が家の南側、道路沿いの細長い花壇は、緑のカーテン作成中、とのことは、折々ブログでも綴っている。
 作成中というより、もう、先月から真夏なので、活躍中と言うべきか。
 一昨年は、ゴーヤとヘチマという強力なコンビで緑のカーテンを作った。

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→ 過日、駅のタクシープールにて、雨の富山の夜景を撮る。デジカメの調子が悪い。カビが内部を犯して、撮影した画面に大小の黒い雲が幾つも映る。

 その迫力にはただならぬものがあって、南西角にある、当時は小生が居住していた六畳間は、窓がゴーヤやヘチマの葉っぱに覆われ、昼間でも電灯を点さないと、足元が危ういほどだった(←大げさ)。

 今年は、ヘチマの苗は植えず、ゴーヤ3本だけなので、一昨年ほどの葉っぱの繁茂状態には遠く及ばない。
 葉っぱ単体の大きさとなると、ヘチマにはさすがのゴーヤも敵わないようである。

 それでも、3本のゴーヤたちは、3本の朝顔(や3本のマンデビラ)ともども、頑張っている。
 そうそう、3本のヒマワリも、育ちすぎるほどに育って、実るほど頭の垂れる何とやらで、ヒマワリの背丈も2.5メートル以上だが、ヒマワリの花も、黄色の時を過ぎ、今は黒ずんでいて、頭をその重みのままに思いっきり垂らしている。
 その頭の重みで、ヒマワリたちは、今にも道路側に倒壊しそうな雰囲気。

 さて、ゴーヤである。
 ゴーヤたちは、先月の後半辺りから実を生らせ始めて、二日に一本は大き目のゴーヤの実を収穫できる。
 実の育ち方があまりに早く、最初の二個は、収穫の時期を逸して、気がついたら図体が巨大に生るだけじゃなく、黄色に変色していた。
 仕事柄、ほぼ二日に一日は終日、家を空ける。
 仕事が終わって帰宅するのは、早くて夜中の三時過ぎ、四時台に及ぶこともしばしばである。
 寝入るのは、五時前後だろうか。

 寄る年波のせいでだろうか、三時間ほどで一旦、目覚める。
 仕方なく新聞を読み、テレビを見、それでも眠れないままに起き出して、庭や畑を見て回る。
 その際に、ゴーヤ(の実)の惨状を目の当たりにするわけである。
 サラリーマン風に、毎日、夜にでも帰宅できるのなら、ゴーヤなどの花壇を日々、見て回れるのだが…。

 水曜日は休み。
 というか、水曜日の四時過ぎに帰宅したのだが、とりあえずは、翌朝までオフ、というわけ。
 いつものように、九時過ぎ、畑や庭を見て回る。
 すると、ナスも、漬物用に小さなうちに収穫しようと思っていたのに、多くなりすぎていた。
 ゴーヤも、十個近く、実が生っているが、そのうちの一個がもう、はちきれんばかりに育っている。
 その日の午後、遅くとも翌日の木曜日には、熟れすぎて黄色に変色するのは目に見えている。
 近所の誰にあげようかと、考えつつ、ナスの実を四つ、ゴーヤの巨大な実を一つ、切り取った。

 生憎と、近所の方は不在だった。
 いつもあげている親戚の方は、その方の知り合いの話だと、家族のものはみんなゴーヤが嫌いで、主婦の方だけが食べる羽目になり、作り甲斐がない、云々という話を聞いた。
 あげる人がいない。
 近所の畑仲間(?)の方は、ナスは、でっかくても漬物にできるし、ゴーヤ、自分で食べなさいよと言う。

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