一周忌の法要終了(後編)
法要(一周忌)のための準備は、大半が、庭や畑の手入れだった。
法要の日程の設定や、来てもらう方たちへの連絡、逆に、一周忌は身内でひっそりとという方針を父母の御里の本家の方たちに理解してもらう、そういった事務的なこと、さらには、家の中の整理や掃除(トイレはもちろん)なども大変だったが、やはり労苦の大半は、庭や畑の草むしりなどの地道な作業。
→ 車道沿いの花壇に植え育てたヒマワリの花。満開を超えて、はちきれんばかりである。
二週間前には、改めて畑の草むしりを徹底して行って、雑草はほぼ一掃した。
庭の草むしりや剪定も、春先からずっと、それこそ、ほぼ毎日、行ってきたが、この十日ほどは、改めて念入りに行った。
庭の草木に影響しない範囲で除草剤を撒いたり、虫に食われた樹木の手当てを行ったり、ヒマワリやゴーヤなどの世話を焼いたり。
結果、案の定だが、庭や畑には、親族のものは誰も一顧だにしてくれなかった。
自宅での法要は、午後の一時半から始まって、住職の講話も含め三十分余りで終わった。
その後は、すぐに車で保養施設へ移動する。
つまり、親族の方たちの我が家での滞在時間は、長くても一時間ほど、なのである。
なので、綺麗にしたトイレも含め、庭や畑など、見る暇もなかったわけである(予想されたことだが)。
← 玄関の生け花。親戚のものが用意してくれた。
家の中の掃除は、法要の日の前、二日ほどを費やして一気にやった。
なので、どうしても、清掃の手の及ばないところが残る。
親しい親族の目に付くのは、そうした小生の手の及ばなかった、あるいは気づかなかった細かな点である。
そういう点などは、前日にでも来てくれて、チェックしてくれればいいのだが、そんな贅沢は言えない。
落ち度があれば、喪主の責任だし、そもそも日ごろ、碌に掃除などしない人間のすることだ、落ち度を見つけられて、鬼の首を取ったように指摘されるのは、覚悟の上である。
一方、庭や畑にどれほど精力を傾けたか、そんなことは、親族の誰も考慮の外である。
法要には、直接関係ないのだから、どうでもいいのだろう。
→ 玄関の下駄箱の上にも生け花。これも、親戚のものが用意してくれた。小生が用意した花は、座敷(法要の場)に飾ることに。
小生としては、一周忌の法要に際し、家の中の整理や清掃も大切だが、自分の能の及ぶ限り、父母が長年、丹精を込めてきた庭や畑の、庭や畑としての維持の姿勢を示したかったのだ。
示す相手は、親族というわけにはいかず、天に居る父母に、ということになる。
…となると、小生の手入れの雑さが目だって、反って、父母には呆れられるかもしれない。
古くからの農家である。
部屋数も多い。
一人には持て余す広さ。部屋数もだが、庭や畑も。
そんな築半世紀以上、下手すると六十年に届こうかという広い敷地の家に一人、住み暮らしている。
← 偶然、一周忌の法要の日が同じとなった、近所の方とお喋り。すると、塀の上にクワガタが。急いでデジカメで撮影。我が家の庭では見かけたことがない。何年ぶりでクワガタを見たものか。
一人…だが、同時に、父母の不在を部屋のガランとした空虚さを日々、感じさせられる。
この家(や土地)をどうするか、庭や畑を曲りなりに守っているだけでは済まない状況が迫ってきそうな予感があるのだが、さて。
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コメント
法要って大変なんですね。
でも、故人のためというより、参列者のためになってしまうような…。
私も、いつかはそのような立場になるのでしょう。
2枚目のお花が見事です。
なにはともあれ、お疲れ様でした。
やいっちさんも、ゆっくりなさってください。
投稿: 砂希 | 2011/07/26 20:46
砂希さん
小生は喪主(一応は本家)なので、法要の準備も、なかなかの大仕事です。
一人で準備しますから、なおさらです。
砂希さんは、どのような立場で法事に際するのでしょう。
法要は、故人を偲ぶ場のはずですが、実際には、親戚同士の親睦の場になっているようです。
でも、こういう機会でもないと、親戚であっても、集まったりはしないので、これはこれでいいことに思えます(喪主は大変ですが)。
お花は、小生が用意したものと、親戚のものが用意したものを混ぜたので、豪華なものになりました。
一周忌の法要が終わって、ホッとしています。
でも、来てくれた方、手伝ってくれた方へのお礼参りという仕事も残っていて、今日も、六字の名号(掛け軸)を貸してくれた方の家へお礼に行ってきました。
あと二軒、回らないといけない。
庭や畑の草むしりは、ホッとする間もない。
それでも、気分的には、一時的とはいえ、楽になっています。
投稿: やいっち | 2011/07/26 21:51