「小竹貝塚」追加情報…梅雨明けに紅白の花
一昨日、昨日と、「小竹貝塚」で発見され、研究されつつある71体の人骨の話題を取り上げた。
→ マンデビラは、3つの苗を植えた。そのうちの2つは、早くにツルが伸び、開花も見られていたが、残りの1つは、ツルも伸びなければ、花も蕾のままだった。それが、今朝、覗きに行ったら、ツルこそ伸びていないけれど、一気に開花していた。これでようやく3つのマンデビラの花が揃い踏みである。
そうしたところ、昨日の北日本新聞に、(小生にとっては非常にタイムリーなことに)「小竹貝塚」の人骨に関連する話題が一面に載った。
かいつまんで関連サイトから新規の情報などをメモしておきたい。
「縄文の“大男出土” 富山・小竹貝塚:ホッとニュース - 47NEWS」によると、「昨年、富山市呉羽町北の小竹(おだけ)貝塚で出土した縄文前期(約6千~5500年前)の人骨71体から、身長170センチを超す20代男性と推定される骨が見つかった。縄文時代の男性の平均身長より10センチ以上高く、現代人の体格にも匹敵する。人骨の整理作業のため、県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所を訪れた国立科学博物館の研究員が7日、明らかにした。分析によって同じような大きさの人骨がいくつも確認できれば、小柄とされてきた縄文人像が塗り替えられる可能性がある」という。
← 真ん中のマンデビラは、深紅や淡い桃色の花。
7月8日付けの北日本新聞によると、「身長170㌢の男性とみられるのは、小竹貝塚から最初に出土した「1号人骨」。
「国立科学博物館人類研究部の坂上和弘研究員が、整理を終えたばかりの上腕骨と大腿骨などの長さから身長を推測した」という。
「これまで縄文時代の男性の平均身長は150㌢台後半とされ、同時代の遺跡から170㌢を超える人骨が出土したケースはほとんどない」とか。
→ 向かって左側の一番、よく育っているマンデビラは白い花。
そうはいっても、「今回、小竹貝塚の人骨で背が高いことが分かったのは1個体。一つの集団内でも一人ひとりの体格にはばらつきがあり、今後の調査で集団全体の特徴をつかんでいく」ことになる。
「小竹貝塚の発掘作業は埋蔵文化財調査事務所が昨年4~9月に行い、71体分が出土した。同事務所で人骨に付いた泥を落とした後、今年10月に国立博物館に送り、来年度以降、性別や年齢などを詳しく分析する」とか。
← 3つのマンデビラの揃い踏み。
「国立科学博物館 National Museum of Nature and Science,Tokyo」
「北日本新聞ウェブ[webun ウェブン]」
日本人については、江戸時代どころか、明治時代の男性だって(女性も)平均身長は、今よりずっと低かった、という印象があるし、実際のデータもそのようだ。
少なくとも庶民については、栄養状態が今より劣るからだし、生活環境も劣悪だったりする(一部の例外はあるとしても)。
縄文時代の(縄文人)の生活環境はどうだったのだろうか。
栄養状態はどうだったのか。
→ 用水路の先のドクダミの野に健気にも育っていたコスモスたち。濃い桃色、淡い桃色、白い花と、早くも花を咲かせ始めている。秋を先取り?
縄文時代は、平均気温が高く、海の幸はもとより、山の幸も豊かだったのかもしれない(平均気温の低下と共に、弥生時代が到来した、という側面もあるのだろう)。
人口(密度)も、それほど高くないとしたら、それほど栽培に力を入れずとも、狩猟採集で必要な栄養分は足りていたと考えられるのだろうか。
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コメント
170cmはスゴイですね。
大きいというだけで、集落での発言力もあったのではないでしょうか。
便利なことに慣れ切った現代人には、日の出とともに起き、日没で寝る生活が新鮮に映ります。
自給自足では、平均寿命も短かったでしょうが、生きる目的がハッキリしているだけに、充実した毎日を送っていたと思います。
ちょっぴり、うらやましい気もしますね。
投稿: 砂希 | 2011/07/10 06:41
砂希さん
縄文人が(今のところ、一体だけとはいえ)170センチというのは驚きです。
でも、縄文時代というのは、気候が温暖で森の木の実も豊富だったかもしれない。
海の幸も採れただろうし。
人口密度が低いとなると、栄養状態が案外いいのか、それとも、中国など大陸系の影響(人的交流・関連)が大きいのか。
縄文時代に限らず、江戸時代、さらには明治時代だって、日の出と共に起き出して働き始め、日の暮れと共に仕事をやめて、一家団欒の夜へ。
人生の充実度は、平均年齢の高さとは直接の関係はない。
家族や一族の絆の固さが大切かもしれないですね。
投稿: やいっち | 2011/07/10 21:52