一周忌の夏(後編)
畑にヒマワリの群生する一角があったので、そのうちから3本だけ、引っこ抜いて、ゴーヤや朝顔、マンデビラなどを育てている細長い花壇の一角に移植したのだった。
その3本も、そこまで育たなくてもいいんじゃないかと言うくらいに背が伸びてしまった。
← 畑の草むしりが終わったあとで、畑の隅に群生するヒマワリたちを撮影。向かって左端のヒマワリが開花しているのが、見えるはず。
近所のヒマワリは、七月の初めには開花し始めているのに、我が家のヒマワリは一向に咲く気配を見せなかったが、つい先日、畑に群生するヒマワリのうちの1本が開花し、梅雨明けした昨日今日などは満面の笑みといった咲き具合である。
他のヒマワリも、黄色い花が数日以内には咲きそうな気配がプンプンする。
畑の草むしり作業は、先週末から今日にかけて、懸命の作業を集中的に行ったお陰で、本日午前、終了した。
畑は、綺麗過ぎるくらい雑草が消え果た。
綺麗過ぎるというのは、畑には野菜も疎らなら、花も1本、ヒマワリばかりが目立つ、土だけの畑というさびしい光景が広がっているからだ。
→ まだヒマワリかどうかも定かでなかった苗の状態の畑のヒマワリ群から3本だけ、引っこ抜いて、南側の道路沿いの細長い花壇に移植(隣家の方がヒマワリじゃないの、と指摘してくれたのだった)。こんなに見事に育ちました。あとは、開花を待つだけ。
今月は、一回忌の月である。
昨日の父の命日に合わせ、その前日、遠方に住む親戚の人がわざわざお墓に参りにも来てくれた。
昨日の父の命日は、小生が一人で、お墓に参り、仏壇に仏花を手向け、仏飯を備え、蝋燭に火を点し、冥福を祈った。
父母がいなくなって、我が家には親戚を含め、来客は全くなくなった。
ひとりきりの生活が昨年の夏以降、続いている。
近所づきあいも、父母の死と共に、ほとんど絶えている。
敢えて付き合う意味合いもないわけである…のだが。
← 畑の雑草を抜き終わったら、そこには何もなかった。さびしい畑。僅かに、鳳仙花が1株、枝豆2株、ネギ少々、画像の隅っこにヒマワリたちの根元部分が見える。
今月は、一回忌の月である。
昨年の七月、早朝に病院などから父母の容態が悪くなったから来てくれという呼び出しを受け、駆けつけたことを昨日のように思い出される。
一回忌の法要そのものは、ささやかに行う予定だが、その後は、また、一人きりの生活が待っている。
お墓を守り、遺骨の供えられている仏壇との生活が続く。
→ 日曜日のゴーヤや朝顔(緑のカーテン)の状態。今のところ、順調。
何も出来ない小生だが、庭や畑をその形のままに維持すること、それが自分なりの手向けだと思っているのだ。
なんとか、一回忌の法要の日までには、家の中の掃除も含め、一通りのことをしておきたい。
それ以上のことは、今もって、何も考えられないでいる。
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コメント
こんばんは。
立派なご仏壇とお墓ですね。
今日施餓鬼でした。
この世にはみ霊が満ち満ちているそうです。東日本大震災はじめうかばれないみ霊が満ち満ちている、そういうみ霊も供養するのが施餓鬼だそうです。
うちの父はバブルの最中の7/11に死にましたが弥一さんのお父様の命日と近いのかな。
お墓を守る、それも残されたもののつとめですね。
投稿: oki | 2011/07/11 21:23
oki さん
仏壇は、もう、半世紀も前に設置したもの。当時はともかく、今では、近所では一番、貧相な仏壇かも。
お墓も、そう。
周りのお墓は、近年、綺麗に作り直されている。
その中で、我が家の墓石は、風雨に晒されて、貫禄がありすぎるほど。
親も建て替えたかったようですが、志は叶わなかった。
小生の代に作りかえるのも、今のところ、可能性は乏しい。
我が一族は、小生の代で途切れそうですし。
なので、生きている間は、墓を守るしかないのです。
投稿: やいっち | 2011/07/12 21:48
作り替えるなんてバカなことをいっちゃいけません。
歴史に耐えてきた、つまり伝統がある。お墓に歴史があるとは素晴らしいことじゃないですか。
うちは分家ですがoki家本家の墓は小さくぎられた今の墓と違い、広々としたスペースがあり、ああここに多くのひとが眠ってると思うと誇りになります。
投稿: oki | 2011/07/12 22:25
oki さん
お墓や仏壇の新調は、父の意向だったのです。
富山という浄土真宗の強い土地柄であり、且つ、立派な仏壇や豪華なお墓を持つことが信仰の篤さと同等視される土壌があるわけです。
世間体が何より、つまり、祖先を大事にすることより優先される。
立派な葬式、立派な法要、立派なお墓に仏壇、というプレッシャーは相当なものです。
小生自身は、そんな土壌への反発もあるし、そもそも生活も侭ならない状況なので、新調は現実味がありません。
仏壇やお墓って、先祖の方が見守ってきた、その形を維持するほうが、よほど篤い信仰に思えますし。
投稿: やいっち | 2011/07/13 21:23