トーストとコーヒーの生活(後編)
何が切っ掛けだったのだろうか、やはり、松たか子さんのCMが切っ掛けだったのか(それとも、テレビドラマの一シーンだったか)、年初か、何時だったかはっきりしないが、トーストを食べるのを見て、無性に食べたくなった。
上記したように、早速、トーストとホットココアの組み合わせを試した。
トーストにはマーガリンを塗り、ベーコンかハムを載せ、オーブンで焼く。
← 畑の奥、隅っこの紅白のグラジオラスが倒れていた。グラジオラスは、背高で、且つ、なぜか倒れやすい。なので、木曜日はせっせとつっかえ棒を添える作業に勤しんだ。
そんな試しの機会は、何年か前にもあったと思うが、それは一回きりで終わった。
実際に試してみることで、満足してしまい、それはその場限りで終わった。
が、今度ばかりは、なぜか、続いている。
トースト(ハムかベーコンを載せ、マーガリンを塗る)とコーヒー(かココアか牛乳)の組み合わせを、週に二度は試している。
仕事明けの朝は遅い、ほとんど、昼食の時間である。
ご飯を食べるのは億劫だし、そもそも、仕事明けなので買い置きのオカズもない。
そんな時、台所の食器棚の脇に食パンが置いてあると、嬉しくなる。
牛乳かコーヒー、ココアは、常備してある。
マーガリンやベーコンも常備しておくようになっている。
→ 過日は、隣家の塀にクワガタを見つけたが、木曜日、畑の隅っこでコオロギを発見。久しぶり!
仕事明けで、遅い朝食、昼食には早い時間帯に、トーストと牛乳の軽食は、体にも受け入れやすいようである。
人間は、体が欲するものを食べるのが健康にいいという。
というより、体が欲するというのは、体がその食べたいものに含まれる何らかの栄養分が足りないというシグナルを出している、ということも言われたりする。
その説が正しいのかどうか、小生には分からない。
だったら、酒を欲するのは、酒の滋養が体に必要ということになる。
朝から酒を飲む?
タバコは?
納豆がないと食事が物足りないと言う人は、納豆の成分(や味、食感)を体が欲しているということなのか。
← 借地の畑に種を蒔いたコスモスたちも、少しずつ大きくなっていて、白や紅色の花を徐々に咲かせつつある。
では、食パンを欲するというのは、体は何を欲しているのか。
ご飯は、日ごろ、食べている。
ご飯は稲、食パンは小麦。
もしかして、野菜や果物を食べる習慣のない小生、体はパンという形で小麦を、つまりは動物性ではない成分を欲しているのか、などと、穿った推測を試みたりするが、ご飯もパンも、炭水化物で、体からすると、どっちもどっち、という考え方も成り立ちうる。
何故、週に何度かはトーストと牛乳(コーヒー)の軽食を食べたくなるという理由が分からない。
この習慣が続いてしまっている理由が不可解である。
やはり、仕事明けの遅い食事に、パンとコーヒーという組み合わせが楽だから、に過ぎないのか。
→ 70センチほどに育っているコスモスの群生の近くに、小さなコスモスを発見。こんなに小さいのに、花だけは他のコスモスと変わらぬ咲きっぷり。
ただし、コーヒーとあっても、インスタントの粉のコーヒーではなく、パック入りのコーヒーで、今もって、インスタントのコーヒーをゆっくり喫するという場を持てているわけではない。
もしかして、心のゆとりがなくなって、コーヒーカップにコーヒーの粉を入れ、お湯を注ぐという手間をわずらわしく感じてしまっているのか。
いつか、近い将来、パックのコーヒーじゃない、コーヒーを喫する習慣が復活することがあるだろうか。
今のところ、そんな予感は全くないが、あってもいいような気がするのだが、さて。
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コメント
ほどよい焦げ目のついた、薄切りトーストが好きです。
カリッとした食感がたまりません。
でも、あれは毎日だと飽きるんですよ。
パン党の私でも無理です。
週2回くらいが妥当なのではないでしょうか。
なぜ、パンが食べたくなるのかと、私も疑問に思ったことがあります。
前世が外国人だったのかな、と安易な答えを出しました(笑)
しかし、時間がないので、トーストにとろけるチーズを載せて、オーブントースターに放り込むのがせいぜいですね。
これが一番♪
投稿: 砂希 | 2011/08/02 09:25
砂希さん
パン食は、パン好きな人でも、毎日は、無理ですね。
欧米人は、毎日、パン食。
子供の頃からそういうふうに育てられたら、毎日でも大丈夫になるのでしょうか。
チーズで思い出しましたが、若い頃、バウルー(だったかな?)と言う名のパン焼き器が重宝でした。
食パンにハムやチーズを挟んで、バウルーに挟み込み、後は焼くだけ。
美味かったなー。
ホットコーヒーと一緒に食べるのが至福のひと時だったっけ。
懐かしい。
パンに絡む思い出って、誰にもありそうですね。
投稿: やいっち | 2011/08/03 22:07
幾つかのブログに釣り情報として問いかけているのですが、昭和50年代の食パンの旨さといったら現在と比較にならなかったと感じるのは私だけでしょうか?
街のパン屋は勿論、大手メーカーの食パンでも、軽くトーストしてバターでもマーガリンでも塗って食べれば、口中で化学反応を起こしたかのように滋味が広がってきたものです。
最近はバタートーストを食べて、口中で喧嘩しているかのようでもまるで感動がありません。
ジャガバターは昔ながらの味なので、原因はパンであり、高級店のパンも昔の感動が無いので、副材料や製法ではなく国が管理・統制している「小麦」に秘密があると睨み、情報を集めています。
味よりも、カビ毒(マイコトキシン類)の発生抑制のための品種と栽培方法も一因の可能性があります。
投稿: ジャギ | 2011/08/07 18:14
ジャギさん
昔、食べたパンの味は、今とは比較にならないというのは、小生も感じます。
食パンの製造方法に由来する面もあるのかもしれませんが、その内実は、小生は知りません。
ここでは思い出風にというか、中学生の頃、学校の近所にパンの工場があって、作りたてのパンを食べることが出来ました。
小学校時代の食パンのまずさに辟易していた小生には、作りたてのパンの美味さに感動したものでした。
パンの原料である小麦に何か問題が、という指摘ですが、小生には分かりません。
ただ、米の国である日本であるからには、米粉でのパンつくりがもっと広がったらいいなと思っています。
投稿: やいっち | 2011/08/08 21:09