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2011/07/31

トーストとコーヒーの生活(後編)

 何が切っ掛けだったのだろうか、やはり、松たか子さんのCMが切っ掛けだったのか(それとも、テレビドラマの一シーンだったか)、年初か、何時だったかはっきりしないが、トーストを食べるのを見て、無性に食べたくなった。
 
 上記したように、早速、トーストとホットココアの組み合わせを試した。
 トーストにはマーガリンを塗り、ベーコンかハムを載せ、オーブンで焼く。

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← 畑の奥、隅っこの紅白のグラジオラスが倒れていた。グラジオラスは、背高で、且つ、なぜか倒れやすい。なので、木曜日はせっせとつっかえ棒を添える作業に勤しんだ。

 そんな試しの機会は、何年か前にもあったと思うが、それは一回きりで終わった。
 実際に試してみることで、満足してしまい、それはその場限りで終わった。

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2011/07/30

トーストとコーヒーの生活(前編)

 数ヶ月前から、あるいはもっと前から…、冬の終わり頃からだったろうか、週に二度はトーストと牛乳、という昼食を摂る習慣、あるいは習癖が付いている。
 年初だったか、テレビでだったか、トーストを食べるシーンを見て、ふと、自分も久しぶりだし、食べたいと思ったのが切っ掛けだった。

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→ 過日、一周忌の法要があった。その際、手伝ってくれた親族の方たちへお礼の挨拶に。久しぶりにこの風景に遭遇。

 刺激を受け、早速、スーパーで食パンを半斤(きん)、3枚にスライスしてあるものを一パック、買い、そのときはココアも一パック、買って、さらに、マーガリンとベーコンも併せて購入。

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2011/07/29

山本作兵衛の筑豊炭鉱画と五木『青春の門』と(後編)

 小生自身が、山本作兵衛の炭鉱画の世界に馴染んだ最初の機会を得たのは、五木寛之作の『浅春の門(筑豊篇)』だった。

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← 山本作兵衛の炭鉱画や文章を見て感じるのは、絵の構図の確かさもだが、彼の並外れた記憶力だ。体験や見聞きしたことを絵(映像)のように記憶に止める。彼の描かんとする意思が絵になったのだ。(画像は、「Painting by Sakubei Yamamoto - Communication and Information Sector's Photobank」より)
 
 小生は、同氏の『青春の門』を全巻、揃えたし、無論、読み通した(ただし、大学を卒業と同時に、五木の世界からは離れたので、学生時代、公表されていた第四部まで、だったと、今にして気づいた)。
 映画化されたのを見たりもした。

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2011/07/28

山本作兵衛の筑豊炭鉱画と五木『青春の門』と(前編)

 今夜、NHKテレビでも特集されていたが、「世界記憶遺産に山本作兵衛の筑豊炭鉱画が登録」というニュースは、嬉しいことであると同時に、ある種、当惑の思いも過ぎっていたかもしれない。
(以下、敬愛の念を篭め、敬称は略させていただきます。)

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← 山本 作兵衛 (著)『新装版 画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録』(講談社) ユネスコ「世界記憶遺産」登録を機に1967年に刊行された画文集を緊急復刊! だって。

 というのも、世界記憶遺産には、『源氏物語』などが日本では念頭にあったからだ。
 芸術作品や文学作品を登録されたい…。
 そんな中、大方の日本人には馴染みの薄かった、山本作兵衛の筑豊炭鉱画が登録されたのだった。

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2011/07/27

グラジオラスは恋の花(後編)

 ヒマワリとグラジオラスの畑。
 庭のグラジオラスらしい剣のような鋭い大きな葉っぱはまだ開花しない。
(その代わり、アガパンサスなどに加え、ユリが二輪、咲いているけれど。)

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→ ピンク色のグラジオラス。

 グラジオラス(Gladiolus)は、アヤメ科の花で、「Gladiolus は、ラテン語の「gladium(剣、小刀)」が語源。葉がとがった剣形をしているから」とか。
 そういえば、映画『グラディエーター』は、「Gladiator」と綴るが、意味は、剣闘士。
 語源の上で、つながりがある(のだろうか)?

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2011/07/26

グラジオラスは恋の花(前編)

 我が家の庭や畑の花、梅雨明けの頃までは、ムラサキツユクサやドクダミなどが主役だったが、そこに梅雨明けに前後して、アガパンサスなどが加わった。
 アガパンサスに加えて、名前の分からない、淡い紫色の可憐な花、そして、なんといってもヒマワリが全開、満開である。

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← 純白のグラジオラス。逆光で撮影しちゃ、あかん。

 ヒマワリは、頭(花)が重くなりすぎて、実るほど頭の垂れるヒマワリかな、という状態になっている。
 今朝、畑を見回ったら、群生するヒマワリのうちの一本が倒れていた。

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2011/07/25

一周忌の法要終了(後編)

 法要(一周忌)のための準備は、大半が、庭や畑の手入れだった。
 法要の日程の設定や、来てもらう方たちへの連絡、逆に、一周忌は身内でひっそりとという方針を父母の御里の本家の方たちに理解してもらう、そういった事務的なこと、さらには、家の中の整理や掃除(トイレはもちろん)なども大変だったが、やはり労苦の大半は、庭や畑の草むしりなどの地道な作業。

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→ 車道沿いの花壇に植え育てたヒマワリの花。満開を超えて、はちきれんばかりである。

 二週間前には、改めて畑の草むしりを徹底して行って、雑草はほぼ一掃した。

 庭の草むしりや剪定も、春先からずっと、それこそ、ほぼ毎日、行ってきたが、この十日ほどは、改めて念入りに行った。
 庭の草木に影響しない範囲で除草剤を撒いたり、虫に食われた樹木の手当てを行ったり、ヒマワリやゴーヤなどの世話を焼いたり。

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2011/07/24

一周忌の法要終了(前編)

 昨日、父母の一周忌法要が終わった。
 ちょっと肩の荷が下りた感じ。
 ホッとする、というより、やや脱力感めいたものを覚えている。

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→ ずっと雑草だと思っていた草に、或る日、ホウズキのような袋が生っていることに気づき、一昨日、法要の前日、開花。ユリの花ではないか! 今まで、雑草だと思って、小さな草のうちに、せっせと毟り取っていた。でも、小生の目を逃れる草があって、気がついたら図体がでかくなっていた。と、思ったら、開花した。ああ、何本のゆりを芽のうちに摘み取ってきたことやら!

 昨日という法要の日程が決まったのは、四週間ほど前だが、実はその前に一度、違う日取りで決まっていた。
 が、法要後の会席の場の決定や、そもそも法要に際し、どのような方針で臨むか、考え直す機会があって、一旦、決まっていた日程を破棄、昨日に実施すると相成ったのである。

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2011/07/23

デジタルな時、アナログな時(後編)

 いずれにしても、デジタルの時代となって、まだ精々10年が経ったか経たないかだ。 けれど、時代の変化がそう思わせるのか、何か社会の雰囲気そのものが大きく様変わりしたように感じられる。

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← マンデビラの花は、パッと開花しては、日にちを経ずして花が散る。が、蕾が次々に開花するので、毎日、一輪か二輪の花が咲いている。今日見た花は、昨日と違い、明日見る花は今日の花とは違う…こともありえる。

 デジタルは、収録の編集を容易にし、高度にしてれた。音を様々に加工して、アナログの時代には期待し得なかった音の世界を切り拓いてもくれた。シャカシャカする例のウオークマンの登場は、音楽を聴くシーンさえも飛躍的に多様にしてくれた。

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2011/07/22

デジタルな時、アナログな時(前編)

 もうまもなく、テレビのアナログ放送が終了する。
 我が家には、父母が長らく視聴してきたアナログテレビがある。
 まだデジタル対応していない。

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→ 車道に面する細長い花壇に植えたヒマワリが、とうとう3本そろって、満開となった。生憎の曇天の空だが、それでも、満面の笑顔である。

 対応するかどうするか、迷っている。

 古いからと言って、今のテレビを捨てはしないが、デジタル対応させるのに、躊躇いを感じている。
 迷っているというのは、アナログへの愛着…という深い意味合いがあってのことじゃなく、国の都合でデジタルへの移行を推進する、その遣り方に違和感を覚えているだけである。
 

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2011/07/21

朝顔 ゴーヤと競り合うほどに(後編)

 六月の終わりか七月の始め頃には、ツルも伸び始めてくる。
 鉢植えだったら、鉢を大きなものに植え替えないといけないし、いずれにしても、支柱(つっかえ棒)も、より長いものに取り替えないといけない。

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← 3つ植えた苗のうち、一番、育ちの遅い朝顔。でも、花は咲かせてくれるし、ツルだって伸びている。

 できれば、ツルが伸び始める直前に棒は今後の成長を期待して、長いものに替えた方がいいのだろう。
 やがて、ツルが棒の高さをあっさり超えて、中空にまでその触手を伸ばそうとする。
 こうなると、ネットを張ったほうがいい。

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2011/07/20

朝顔 ゴーヤと競り合うほどに(前編)

 車道に面する花壇に植えた朝顔の生長が頼もしい。
 緑のカーテンを作る名目で苗を植えたものだが、緑のカーテンのほうは、専らゴーヤに任せ、朝顔はどちらかというと、観賞用を目的に育ててきた。

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← ゴーヤと競り合うようにして育っている朝顔。もう、ネットの天辺まで達してしまっている。

 その朝顔の育ちが想像というか期待以上のものがあるのだ。
 尤も、苗は3つ、植えたが、育ちが著しいのは一輪だけで、他の二つのうち、一つはなかなか頑張ってくれているし、ツルも伸びているのだが、残りの一つは、苗のときの大きさに比べ、ようやく3倍ほどに育っただけ。

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2011/07/19

物語の中の物語、物語の密林(後編)

 再読と言えば、今日からは、ガブリエル・ガルシア・マルケス著の『百年の孤独』(鼓 直【訳】 新潮社)を読み始めた。
 本書は、再読とはいっても、三度目である。

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→ 緑のカーテンとなるべく、ゴーヤや朝顔が順調に育っている。朝顔のツルがこんなにも伸びることに驚いている。雨が降らないので、毎日、水遣り。

 初めて読んだときは、何がなんだか、分からないままに最後まで来てしまったという、つかみどころのないものだったが、二度目に読んだとき、この小説の凄みを痛感させられた。
 ああ、マルケスは、確かにノーベル賞作家だと納得した次第だった。

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2011/07/18

物語の中の物語、物語の密林(前編)

 昨日、ポール・オースター著の『オラクル・ナイト』柴田元幸/訳 新潮社)を読了した。
 読み始めたのは、12日なので、(仕事で読めない日を除くと)読み始めて四日目に読了したことになる


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← 畑で種から唯一、花にまで育ってくれた鳳仙花。畑で今日も孤軍奮闘。

 240頁ほどの、長編というほど大部の小説でもないのに、四日も費やしたのは、法事の準備に追われて、じっくり腰を落ち着けて本を読めなかったことがあるようだ。
 未明(三時過ぎから四時過ぎ)に帰宅し、数時間、仮眠して、九時前に目が覚める。

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2011/07/17

アガパンサス…眠るとは、植物状態への還帰

 アガパンサスの花言葉は……恋の訪れ


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 南アフリカ原産で、和名はムラサキクンシラン(紫君子蘭)というけれど、白い花もあるのだとか。
 日本には、明治時代中期に渡来し、ユリ科に属するけれど、遺伝子的にはヒガンバナに近いとか。ギリシャ語でアガペサントス、つまり、アガペー(愛)とアンソス(花)の二つの語の組み合わせからなっている。

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2011/07/16

放射能も吸収するヒマワリの生命力(後編)

 今日、ヒマワリに関するエッセイを書こうと、何か関連する参考になるような情報がないかと、「ヒマワリ」でネット検索してみた。
 すると、面白い(かもしれない)話題がネット検索の上位に浮上してきた。

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← ヒマワリの群生の脇の小道。小道の手前、用水路に沿って、花壇がある。3年前、一昨年と、この花壇に種を蒔き育てていたのだ。本来は、この花壇にあってこそ、ヒマワリは目立つのだが。

 そのサイトなどを覗いてみて、そういえばそんな話題が一時、あったなと思い出した。
 というのは、東日本大震災の際、東電の福島第一原発の事故が発生した。

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2011/07/15

放射能も吸収するヒマワリの生命力(前編)

 ひょんなことから、そのつもりもなかったのに、庭や畑でヒマワリを育てることになった。
 帰郷した3年前、ヒマワリの種を蒔き、思いがけずに育ったのに味を占め、一昨年もヒマワリの種を蒔いてみたところ、想像以上に立派に育ってくれた。

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→ 畑の隅っこのヒマワリたちも、ついに今日、一斉に開花。

 帰郷した年は、某掃除用具の宅配業者がサービスにヒマワリの種を置いていったのを、捨てるのも放置したままにしておくのも意味がないしと、種を畑の隅っこに蒔いたら、梅雨の終わりから夏にかけて大輪の花を咲かせ、秋口に至るまで、ちょっとさびしい庭や畑をにぎわせてくれていた。

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2011/07/14

セミ時雨の夏はいつ?(後編)

 蝶々も昨年、見かけたのと同じ模様の、つまりは同じ種類のが、庭のアガパンサスや梅の木の枝葉などの周りをヒラヒラ舞っている

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← 裏の他家の畑に面する畑の隅っこに、純白の花が咲き始めている。立派な葉っぱが折り重なるように育っていたが、数日前、真っ白な花が縦に3輪、一つの葉っぱ(茎)についている。今朝、他の葉群にも白い花が咲いていた。

 気のせいか、見かける数が少なくなったと感じるのは、鳥類や猫の数である。
 暑すぎて、地上にしろ、空にしろ、徘徊するのが億劫だから、なのだろうか。

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2011/07/13

セミ時雨の夏はいつ?(前編)

 今年、最初にその声を聞いたのは、六月の終わり頃、それとも七月の初め頃だったろうか。
 車を郊外へ向けて走らせていたら、ふと、おやと思わせる音。
 もしや、セミ?
 もう、鳴いてる?

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← ゴーヤやマンデビラと共に緑のカーテン作りの一環として植えた朝顔が、数日前、とうとう開花。やったー、である。午後には萎んだけど。
 
 そのときは、仕事中ということもあり、セミの鳴き声を聞いたとは断言できずにいた。
 でも、数日後、誰かとのお喋りの中で、セミが鳴いてるねって、言われ、思わず、そうだね、なんて安直に頷いてしまった。

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2011/07/12

読書に暑さ忘れる ? !

 一昨日、読了したサイモン・シャーマ著の『風景の記憶』(高山 宏/栂 正行【訳】 河出書房新社)に続き(あとがきなどは、今朝未明)、今日からはポール・オースター著の『オラクル・ナイト』を読み始めた。

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→ ゴーヤが結構、育ってきたので、今朝、ネットをダブルにした。これでゴーヤ(や朝顔やマンデビラ)がどんなに育っても大丈夫?

 サイモン・シャーマ著の『風景の記憶』は、実は、再読である。数年前に刊行直後に既に図書館で借り出して読んでいる。
 浩瀚な本だが、中身はもっと濃い。

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2011/07/11

一周忌の夏(後編)

 畑にヒマワリの群生する一角があったので、そのうちから3本だけ、引っこ抜いて、ゴーヤや朝顔、マンデビラなどを育てている細長い花壇の一角に移植したのだった。
 その3本も、そこまで育たなくてもいいんじゃないかと言うくらいに背が伸びてしまった。

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← 畑の草むしりが終わったあとで、畑の隅に群生するヒマワリたちを撮影。向かって左端のヒマワリが開花しているのが、見えるはず。

 近所のヒマワリは、七月の初めには開花し始めているのに、我が家のヒマワリは一向に咲く気配を見せなかったが、つい先日、畑に群生するヒマワリのうちの1本が開花し、梅雨明けした昨日今日などは満面の笑みといった咲き具合である。
 他のヒマワリも、黄色い花が数日以内には咲きそうな気配がプンプンする。

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2011/07/10

一周忌の夏(前編)

 このところ、せっせと草むしり作業などに精を出しているのは、今月が一回忌の月だからでもある。
 そうでなくても、畑や庭には梅雨の間に嫌と言うほどに草が生い茂ってしまった。

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→ 二時間以上の草むしり作業を覚悟しているときは、この可動式の座椅子を使う。父も使っていたもの。作業が終わったら、洗い場で綺麗に。

 三月末から、在宅の日は、雨降りでない限り、ほぼ毎日、最低、一時間は草むしりや、畑の土起こし、除草剤散布、夏の緑のカーテンを目途にしての、ゴーヤや朝顔、マンデビラ育て、漬物を作りたくてのナスの苗木育て、庭木の手入れなどなど、やってきた。

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2011/07/09

「小竹貝塚」追加情報…梅雨明けに紅白の花

 一昨日、昨日と、「小竹貝塚」で発見され、研究されつつある71体の人骨の話題を取り上げた

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→ マンデビラは、3つの苗を植えた。そのうちの2つは、早くにツルが伸び、開花も見られていたが、残りの1つは、ツルも伸びなければ、花も蕾のままだった。それが、今朝、覗きに行ったら、ツルこそ伸びていないけれど、一気に開花していた。これでようやく3つのマンデビラの花が揃い踏みである。

 そうしたところ、昨日の北日本新聞に、(小生にとっては非常にタイムリーなことに)「小竹貝塚」の人骨に関連する話題が一面に載った。

 かいつまんで関連サイトから新規の情報などをメモしておきたい。


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2011/07/08

縄文遺跡の紅白な話(後編)

「小竹貝塚」は、呉羽町北にある
 JR呉羽駅から歩いても行ける場所だ。
 呉羽駅近辺なら、仕事で何度か通っている。
 そんな間近に(呉羽山へは、我が家から自転車でも向かえる)驚くべき遺跡があったとは。

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← ドクダミの野に突如、出現したコスモスの列。紅白の花が咲き始めた。狂い咲きなのか。

 ちなみに、この小竹貝塚から「東へ800メートル行った場所に同じ放生津潟にあった蜆ヶ森貝塚、更に東へ進むと北代縄文遺跡があり、更に東へ進むと富山県内において第2位の規模を持つ百塚古墳群がある」。

 縄文遺跡銀座のような土地柄なのである(「常なる忠誠 小竹貝塚」を参照のこと)。

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2011/07/07

縄文遺跡の紅白な話(前編)

 富山県富山市には、「福井県鳥浜貝塚と並ぶ日本海側最大級の貝塚」である「小竹貝塚」がある。
縄文海進の際広がった旧放生津潟べりに縄文時代前期中葉から後葉(5000年前)頃、貝塚が形成されたものと考えられ」ている。

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→ 最近、気づいたのだが、マンデビラの花は、咲きっ放しではなく、咲いては散り、咲いては散るを繰り返している。数日も咲くと、あっさりと落花する。

 貝塚だけあって、貝層の広がりも「東西50m南北150mの弧状」と大きいが、「他に魚類24種類、両生類・爬虫類5種、鳥類・哺乳類18種が確認されています。特に犬は3個体があること、ニホンシカ・イノシシに解体痕が認められたことが注目され」るという。


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2011/07/06

ドクダミの原をコスモスの野に

 我が家の割り当てになっている畑。
 今では見るも無残な状態になっている。
 お袋が退院してきたら、畑をさせたいからと、父が数メートル区画を遺しておいてもらったのだ。
(そのあたりの事情は、数日前のブログで書いた。)

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← 小生の剪定の仕方が悪かったのか、我が家の紫陽花は、開花したのは、僅かに二輪だけ。そのうちの一輪。ちょっと光景がわびしいのは、雨のせいばかりではない。

 お袋は、退院は果たしたものの、とてもじゃないが、畑も何も、歩くことすら侭ならない体で、この狭い一角は、荒れ放題となり、数年前からはドクダミの野に成り果てていた。
 
 その畑(のはずの土地)の再生に昨年の秋から、小生が乗り出した。

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2011/07/05

噴水の水を止めるのは、節電対策になるのか?

 本夕、風呂上りにテレビを見ていたら、おやっと感じるニュースが。
 それは、(NHKテレビの報道によると)、節電のため、富山県庁前にある公園(県庁公園)の噴水を夏の間、日中、一定時間、止める、というもの。

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→ 昨日の豪雨、台所の窓をちょっと開けて、畑のほうを覗いてみた。作業小屋のトタン屋根越しに畑、その端っこのヒマワリの列が見える。先月初めには、畑の草むしりが一通り、終わっていたのだが、もう、雑草に覆われて、畑の体(てい)を成していない! ちなみに、トタン屋根の端に見えるのは、一昨年の台風で折れた杉の大木。幹の中途をチェーンソーで切った。

 富山県庁のホームページを覗いて、情報を確認してみた。
 すると、「公園施設における節電の実施について」として、以下の情報が載っていた:

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2011/07/04

富山と「南京玉すだれ」追加情報

 もう、9年以上も以前のことになるが、「富山が南京玉すだれの発祥の地だって」と題した一文を書いたことがある。

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← 「南京玉すだれ」 「日本の大道芸の一つ。歴史のある芸で伝統芸能であるとも言える」。「発祥は富山県で、同県の民謡こきりこ節に用いられるささらが原型と言われ」、「玉すだれを使った「南京玉すだれ」という大道芸が現れたのは江戸期になってから」だという。(情報や画像は、「南京玉すだれ - Wikipedia」より)

 こんな旧聞を持ち出すのは、関連する記事が北日本新聞に載っていたからである。
 せっかくなので、追加の情報としてメモしておきたい。
 まずは、旧稿を載せておく。
 その上で、追加の情報をメモする。


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2011/07/03

富山(我が家)の水道事情(後編)

 驚くべきことに、「富山市や高岡市の水道水はペットボトルに入れて一般のミネラルウォーター同様に販売もされているほどである」!
 缶入りもある。
 今更、驚いているのは、小生が我が郷里・富山の水事情をあまり知らなかったからだ。

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→ ゴーヤも順調に育っている。日々、黄色い小花が幾つも咲いては、午後には散ってしまう。

 ところで、我が家の水道水は、さらに美味しい。
 なぜか。
 何年か前に、我が家の水道に、何処かのメーカーの特殊な浄水器(設備)を付けたからだ。


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2011/07/02

富山(我が家)の水事情(前編)

 このところの蒸し暑さで、水分を多く摂るようになっている。
 仕事(営業)中だと、まずは持参した500mlのペットボトル入りのお茶。

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← マンデビラの花がますます鮮やかに咲くようになった。

 冬だと、一本のボトルも、半分も呑まないまま、持ち帰る。
 季節の変化につれ、段々、飲む量が多くなり、いつしか、一本くらいは飲み干すようになった。
 それが、先月の下旬辺りから、一本は夕方には飲み干し、街中の自販機でもう一本、買うようになった。

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2011/07/01

憂鬱な梅雨そして夏の始まり(後編)

 小生が一人暮らしだし、碌なおもてなしも出来ないことを見越して、庭先での挨拶だけで済ませるつもりでいたようだ。
 いろんなお喋りをさせてもらった。

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→ 3つの苗を植えたマンデビラだが、そのうちの2つのマンデビラが、一昨日、そして今日と、開花してきた。ただ、花もいいのだが、ツルも伸びて欲しい。


 この数日、事情があって、遠近のいろんな知り合いの方たちと、おしゃべりをする機会に恵まれた。
 小生の家の事情を知る方もいらっしゃり、我が家の田圃などの地所の歴史を勉強させてもらった。

 例の、近所の不動産屋の男に掠め取られてた土地の件も話題になった。

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