ヘチマのこと
南に面する車道沿いの細長い花壇に、緑のカーテンを着々と(?)作成中である。
一昨年、大成功を収めたので、夢よ、もう一度、というわけだ。
ただ、一昨年は、ゴーヤに加え、ヘチマを植えた。その両者の強力なコンビで、磨りガラス窓の中の、当時の小生の居住する部屋は、快晴の真昼間でも電灯が必要なほどだった。
→ 蔵も南面の車道沿いに面して建っている。石垣(?)直下に、ススキのような植物が群生し始めた。でも、ちょっとススキとは違うようでもある。
今年は、今のところ、ゴーヤとマンデビラと朝顔を植えている。
ゴーヤはともかく、マンデビラと朝顔は、成長ぶりからすると、緑のカーテンには、ちょっと及ばない予感が濃厚である。
やはり、ヘチマの苗も植えるべきだったか。
今からでも、間に合うのか…。
なんて、思っていたら、数年前、「ヘチマのこと」なんて駄文をつづっていたことに気づいた。
当時は東京在住で、その数年後、富山に帰郷し、小生の部屋の外にゴーヤやヘチマのカーテンをめぐらすなんて、夢にも思わなかったっけ。
「ヘチマのこと」
(前略)
料理にも縁がない、化粧にもまして縁の薄い小生が、多少でも縁があるとしたら、やはりヘチマタワシだろう。こればっかりは使った記憶がしっかり残っている。これあるがゆえに、ヘチマと聞いて、懐かしく感じたのだろう。
時代が移り変わって、やがてはナイロンタワシというか、タオルにその座が取って代わられたが、昔は長くヘチマタオルが重宝された。
後年、韓国式垢すりがテレビで話題になったことがあるが、小生の田舎では、垢すりは昔から(何時からかは分からない)入浴の際の欠かせぬメニューだった。
必ずしも風呂の好きなガキではなかった小生だが(入浴するのが面倒だった。そんな時間があれば、漫画の本を読むか、テレビを見るかしていたかった…。お袋に言われて渋々入浴していたものだ)、それでも風呂に入ると、湯船に浸かるより必ずすることが二つあった。
それは、頭を洗うことと、垢すりである。
洗髪と垢すりの習慣は、ずっと続いた(洗髪はこの際、話題から省く)。
垢すりをすると、ボロボロと垢が出る。若いから新陳代謝が盛んだったのだろう。で、入浴後は、それまで分厚い脂分で蔽われていた皮膚が、やっと息を吹き返したかのように、深呼吸しているのが実感できた。心なしか、皮膚が新鮮になり、また、ツヤツヤになったような気もした。
が、いつしか垢すりをしても(洗髪をしても)、まるですっきり感が得られなくなった。ただ、皮膚が垢っぽくなっているだけになったりする。しかも、それまでは皮膚が滑らかになったように感じたのが、逆にパサパサという不快な感覚ばかりが残るようになった。
あれこれ考え、何かの本を読んで、あ、そういうことかと気づいた。
← 上掲の植物の先端部分にフォーカス。一体、この植物の正体は?
垢を擦るのは、つまりは皮膚を痛めつける可能性がある。垢すりをした後、皮膚が滑らかに感じられるのは、痛めつけられた皮膚を防御するために体液が下から湧き出たに過ぎないのだということ。
もともと、垢すりは下手にやると、古い死んだ皮膚だけではなく、その下の新鮮な皮膚細胞(組織)も損傷を受けるわけである。
若いうちは、それでも回復力もあるし、新陳代謝も盛んなので、垢すりをしてもその後、すぐに回復するので、爽快感さえ覚えられるが、ある年代からは、体力も落ちれば、回復力も萎えて、新鮮な皮膚細胞はやられっ放しで、回復するには相当な時間を要することになる(場合によっては傷付いたままになったりして)。
同時に、ある年代からは、何故か皮膚がいつもパサパサしているように感じるようになったが、これも、あまりに神経質に石鹸やシャンプーを使って体を洗いすぎることに原因の一端があるらしいと分かった。
また、垢すりで一見すると体の表面が清潔になったかのような錯覚があるが、実は皮膚は体を最近から防御する大切な器官なのであり、それを自らの手で過剰に洗う(痛めつけている)ために、口内でいえば、喉がカラカラになり、粘膜が損傷し、黴菌が繁殖しやすくなるようなもので、結果として、外界のちょっとした刺激にも耐えられなくなる、シーツに皮膚が触れるだけで痒くなる、などなどの悪影響が出るというわけである。
このことに思い至ってからは、洗髪の回数は減らさないものの、シャンプーを使う回数は半減させた。また、石鹸をタオルなどに塗りこんで体を洗う回数も減らした。
当然、垢すりは厳禁である。
この結果、特に冬などに肌が妙にパサパサすることはなくなった。垢は入浴やシャワーを浴びる際に、湯で洗い流せる分だけ流せればいい、そう、割り切ったら、なんだか、皮膚も安心したように感じる。気のせいか、風邪を引く回数も減ったような気がする。
→ 一昨年8月21日のグリーンカーテンの光景。こうなるといいな…。
遠い昔、ヘチマタオルを使って背中などをゴシゴシと洗っていた頃は、垢すりの弊害のことなどまるで考えなかった。
確かに、若かったから余計なことなど考える必要もなかったのだ。
新陳代謝は今も我が体において行われているのだろうか。ま、細々とは行われていると期待しているけれど。
ただ、回復力も体力もない今は、余計な損傷を体に与えないよう、かなり自らの体に気を使っている。ヘチマで背中をゴシゴシなど論外である。
それでも、その爽快感を味わえたらなと、時には思うのである。
ま、叶わぬ夢みたいな願いだけれど。
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コメント
これはチガヤですが、大群落が風になびくとキラキラとした銀の大きな波となってきれいです。
ウィキによれば「かつては食べられたことがある」旨の記述があって驚きました。
投稿: かぐら川 | 2011/06/14 21:32
かぐら川さん
なぞの植物、「チガヤ」なんですね:
http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/monocotyledoneae/gramineae/chigaya/chigaya.htm
ススキとかチガヤの群生する光景って、何か郷愁の念を掻き立てるというか、遠い日の思い出につながっていくような雰囲気がありますね。
我が家の蔵の外に、ほんのわずかのチガヤだと、なんだか、わびしいだけ。
もっと育って欲しいような。
投稿: やいっち | 2011/06/15 22:06