ヘビは我が家の守り神(前編)
大きさがまちまちなところを見ると(見かける場所もまちまちだし)、何匹ものトカゲがいると思われる。
でも、ヘビがなかなか姿を見せない。
ヘビを見たいわけじゃないけど、ヘビって、(我が)家の守り神という思いがあって、いつかは登場してもらいたかったのである。
我が家の畑や庭にはミミズをよく見かける。結構、大きなミミズも。
これは我が家の土壌が農薬などで汚染されていない、健全なものであることを示している(と判断していいだろう)。
だったら、ヘビだって居たって不思議じゃないはずなのに、もう、何年もヘビの姿を見かけていないことがやや気がかりだったのである。
→ 早速、ハチがバラの花の中を覗きこんでいた。
尤も、ヘビや用心深いし(そういう先入観に過ぎないのかもしれないが)、そもそも家の軒下など、薄暗い、人の目につかない場所に棲息するのだろうから、そもそも目にすること自体が珍しいことなのかもしれないが。
ヘビが守り神という発想は、あるいは農家(農業)の発想なのだろうか。
つまり、米など穀物を荒らすネズミを退治してくれる、しかも普段は姿をなかなか見せない、用心深く、且つ控えめな存在。つまりは家(の食物あるいは収穫物)を守ってくれる、力強くて優しい存在、ということなのだろうか。
ヘビは、家の軒下、作業小屋の隅、土の中、藪の中に潜んでいる、というイメージがある。
実際には、何処に住処があるのか、小生は知らない。
過日は、農作業小屋の脇の(使わなくなった)材木を角材の上に積み重ねてある、その下、終日、日陰を約束されている、ややジメジメした一角でヘビを見かけた。
小生の近づく気配に気づいたのか、トカゲもだが、ヘビはすぐに日陰の奥へと消えていった。
ヘビを小生が恐れる(嫌う)ように、あるいはヘビも小生(人間)を恐れ警戒しているのだろうか。
← バラの木が何本もあるように見えるが、一本の木が見事に枝分かれしている。直下にはドクダミの群生。紅色と十字架の形の白色とのハーモニー?
小生のほうが先にヘビの存在に気づいたら、静かにその挙動を眺めただろうが、生憎、小生が農作業小屋の脇を通り過ぎようとしたら、何やら不穏な気配を感じ、気配の源を眺めたら、そこにヘビがいたのだった。
その時にはヘビはもう、奥のほうへ引っ込もうとしている。
ヘビのほうが人の気配に先に驚いたらしいのである。
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