素数という自然(後編)
← 雑草なのだろうが、なにやらゆかしい植物である。綿毛のような、蔓延りすぎたカビのような、この白いフワフワしたものは、何なのか?
今、東京には雨がシトシト降っている。梅雨の雨を思わせる憂鬱な降り方。でも、その雨が屋根を叩き、欄干を叩いて濡らし、裏庭の雑草を潤している。その水の一滴一滴に宇宙を感じる人は、きっと、どんな音楽や数学より繊細の宇宙を予感しているに違いないと思う。
音の世界も、絵などの美の形も、風の戯れも、その淵源を聞き分けていくと、そこには音なき音、形なき美、触れ得ざる肌合などの世界に行き着き、さらに悦楽と愉悦を欲し至上の美をオデュッセウスをも溺れさせんとするセイレーンの誘惑のままに追い求めていくと、音と美と数とが融合した、それとも未分化のXなるものの揺蕩(たゆた)う抽象と具体との区別など論外となる豊穣なる世界に迷い込む。
数学者ならそのセンスと論理という武器で手を差し伸べようとする、画家ならメビウスの輪の一面を辿った挙句に絹の生地の先を被せかけようとする、音楽家なら地上のどんな楽器も声でも掻き鳴らすことの叶わない琴線に耳を甚振られる。
きっと才能と勇気がないとたどり着けない世界。
マーカス・デュ・ソートイについては、半年余り前、同氏著の『シンメトリーの地図帳』(冨永星/訳 新潮クレスト・ブックス 新潮社)を読んでいて、その感想文は綴っていないが、関連する雑文は残してある:
「地上に叶ったシンメトリー」
「クラドニからストラディバリへ」
→ 人に見向きされなくとも、ただ淡々とさりげなく生きる。見習いたいものだが…。
音楽、数学、絵画(版画)、ある種の文学、詩、そして自然。それらの奥底に通じる魂を震撼させ、畏怖させる真、善、美の持つ圧倒的な存在感。
素数は、そのどれとも拮抗しえる不可思議の世界だ:
音。音楽。自分には、好きな音は全て音楽である。音楽が、音を楽しむという意味合いで構わないのなら。別の何処の誰かが作曲した、誰かが歌っている、そうした人の手により形になっているものこそが音楽であって、自然世界の音の海は、音楽ではなく、あくまで音(騒音・雑音…)に過ぎないというのなら、別に音楽と称さなくても、いい。
自分は自分なりに音を楽しむまでである。
どんな音が一番、自分の琴線に触れる音なのか。
となると、下手に作曲された音楽以外の全てとは言わないが、風の囁きを中心とした自然世界の音の大半は好きなような気がする。
それは、絵画についても、写真芸術についても、あるいは文学などについても、同様で、自分がこの肉眼で皮膚で脳髄で胸のうちで感じ取り聞き取り受け止める生の世界の豊穣さを越えるようなものなど、ありえようとは思えないし、実際に、そうだったのだ。
蛇口から垂れる水滴の、その一滴でさえ、どれほどの幻想と空想とに満ちていることだろう。そしてやがて、瞑想へと誘い込んでくれる。その様を懸命に切実に見、聞き、感じ、その形そのままに受け止めようとする。そこには、音楽も文学も写真も絵画も造形美術も舞台芸術も、凡そ、どんなジャンルの芸術も越えた、それともその総合された世界がある。
その水滴一滴から、幾度となく掌編を綴ってきた。形は掌編という文章表現だが、それは自分には絵を描く才能も、音で表現する能力も、どんな才能もないから、最後に残った書くという手段に頼るしかないからであって、しかし、創作を試みながらも、そのまさに描いている最中には脳髄の彼方で、雫の形や煌き、透明さや滑らかさの与えてくれるまるごとの感動を、その形のままに手の平に載せようという、悪足掻きにも似た懸命の営みが繰り広げられている、想像力が真っ赤に過熱している。
(中略)
← マーカス・デュ・ソートイ/著『シンメトリーの地図帳』(冨永星/訳 新潮クレスト・ブックス 新潮社) 「“シンメトリーの素数”を網羅した「地図帳」完成への最後の壁――“モンスター”。19万6883次元に入って初めて見られるというその巨大で完璧な数学的結晶は、数学者たちの挑戦を次々にはね返すが……。古代から続く対称性探求の旅と究極の謎への挑戦を、天才たちのエピソード豊かに描き出す優美なる数学ノンフィクション」といった本。数学的素養がなくても、十分楽しめる。
絶対零度に向かって限りなく漸近線を描きつつ近付いていく宇宙空間。裸で空間に晒されたなら、どんなものも一瞬にして凍て付いてしまう、恐怖の空間。縦横無尽に殺人的というより、殺原始的な放射線の走っている、人間が神代の昔から想像の限りを尽くして描いた地獄より遥かに畏怖すべき世界。
感情など凍て付き、命は瞬時に永遠の今を封じ込められ、徹底して無機質なる無・表情なる、光に満ち溢れているのに断固たる暗黒の時空。
その闇の無機質なる海に音が浮き漂っている。音というより命の原質と言うべき、光の粒が一瞬に全てを懸けて煌いては、即座に無に還っていく。銀河鉄道ならぬ銀の光の帯が脳髄の奥の宇宙より遥かに広い時空に刻み込まれ、摩擦し、過熱し、瞬時に燻って消え去っていく。
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