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2011/06/21

終わりよければ ま、いっか(前編)

 過日のとある土曜日のこと。
 その日は営業の日。
 なので、朝早くに出勤し、七時半には仕事のスタンバイOKに。
 とりあえず、八時頃には無線で最初の仕事が入った。

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← 畑に(勝手に)育ってきたヒマワリ。そのうちの3本を南側の道路沿いの花壇に移植。結構、育っている。開花の予感はまだだけど、咲くのが楽しみである。

 土曜日は、営業所にいても、無線などの仕事は少ない。
 その営業所に数人が待機しているわけで、少ない仕事を順番に割り当てられるので、一層、仕事にありつけるチャンスが少なくなる。

 富山でタクシー業務に携わってほぼ四ヶ月である。
 まだ富山では新人だが、さすがに仕事のリズムや曜日ごとの仕事の多寡などは大よそ見当がつく。

 小生は、博打に打って出た。
 といっても、何もパチンコや競馬、競輪、マージャンに興じた、というわけではない。
 普通なら、朝方は、富山市の中心部の所定の待機場所で仕事(無線で順に割り当てられる迎車)を待つのがセオリーである。
 営業所では、十中八九、近場の仕事。
 近場の仕事が嫌なのではなく、その数が土曜日は少ないのが辛いので、多くの若手のドライバーは市の中心部へ打って出るのである。

 小生はへそ曲がりの性分なので、人と違う挙に打って出たのである。

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→ ゴーヤも順調に育っている。今朝、様子を覗きに行ったら、黄色い花が一輪、咲いていた。隣のマンデビラも朝顔もまずまず、すくすくと。そのマンデビラも、夕方、じっくり観察したら、蕾が生り、色づいている。


 普通なら、大概のドライバーが向かわない、富山市のやや郊外にある、有名病院へ。
 土曜日は、大抵の病院がそうだろうが、外来の受付はない。
 なので、病院に来るのは、急患でない限りは、多くはお見舞いの方である。
 しかも、郊外だし、富山と言う交通の便の悪い土地柄。
 みんなといっていいくらい、車で来院する。

 どうみても、車から降り立ち、受付(入り口)へ向かうのは、患者というより、お見舞いの方々である。

 ところで、その入り口が問題だった。
 これまた多くの大病院は同じだろうが、週日の出入り口と、土日の出入り口は違う。
 何度か(一度でも)通われた方なら、駐車場で車を降りて、まっすぐ休日専用の出入り口へ向かう。
 しかし、当然ながら、たまにしか、あるいは初めて来るという方も、少なからずいる。

 そういう方は、裏口(休日専用の出入り口)へ向かわず、通常の出入り口へ向かう。
 その玄関口に立って、そこは土日は閉鎖されており、玄関の中、乃至は玄関ドアに、その旨の説明が看板などで表示され、土日は裏のほうへ、と指示(説明)を読むわけである。

 その大手の病院のタクシー待機場所に止めながら、何時来るとも知れないお客さんを待ちながら、眺めるともなく眺めていると、その週日の出入り口で戸惑う人の姿を何度も見かけることになった。
 中には、看板の表示が理解できず、戸惑っている人も。

 そこで、小生、タクシーのドア、あるいはウインドーを開けて、入り口はあっちだよと、腕で方向を指し示すこと、何度か。
 
 しかし、そのうち、腕や顔の表情で方向を示すだけでは済まない方が来られた。

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← 先日、北陸(富山)も梅雨入り宣言が出た。近所や隣家の紫陽花は、もう、すっかり咲いて淡い赤紫の花を咲かせている。なのに、我が家の紫陽花ときたら…。


 女性(娘さん)の運転する車で週日の出入り口(玄関)に乗りつけ、助手席から、足のやや不自由な、やっと歩けるかどうか、という男性が降りてこられた。
 男性が降りると、女性の運転する車は駐車場のほうへ。
 
 男性は、察せられるように、玄関の前で戸惑う。
 そこは土曜日の外来(かお見舞い)の入り口ではないのだ。
 
 小生は、タクシーをその玄関のほうへ近づけた(タクシー乗り場は、玄関から十メートルほど離れている。バスの乗り場が玄関の目先にある)。
 で、タクシーの客席のドア(後部のドア)を開けて、その男性に、身振りでどうぞと合図する。
 男性は、最初、わたしはタクシーの客になるつもりはない、という意思表示をされた。

 当然である。
 それは小生も予想するところ。

 小生は、大丈夫ですよ、ただでいいですから、どうぞ、入り口はあっちですから、と声をかけた。
 そこでやっと男性は乗ってこられた。
 裏の通用口まで、角を曲がったりして、数十メートルほどの距離。
 健常人ならなんでもない距離だが、足が不自由だったりすると、結構難儀なことが予想される。

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→ 我が家の紫陽花で、花どころか、蕾も、この一叢だけ。ネッ友によると、昨夏以降の剪定、あるいは過度の剪定をしたら、翌年は花が咲かないという。そういえば、昨秋、大掛かりな剪定をやらかしたんだった。自らのドジで、今年は紫陽花の開花はなし。来年を期するしかない。

 タクシーの客席に乗ってもらい、通用口へ。
 もう、無料タクシーサービスである。

 その方を乗せて、いよいよ通用口に付くというころ、運転してきた女性の方もやってこられた。
 男性や女性にお礼を言われつつ、その通用口を後にする。
 
 暇だからできること、しかも、その病院で待機するタクシーが一台だけだからできることである。
 後ろに待っている車があると、自分がタクシー乗り場を離れたら、そのあとを埋められてしまう。

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