蘇る風景そして写真(前編)
記憶では、その一角は、鉄条網か何かで仕切られていた。
立ち入れない、はずである。
たださえ、深い藪なのだ。
けれど、近所の兄さん(ら)が、中に入り込み、高い樹木の枝分かれする幹の上に小屋を作り付けたりしていた。
小生はただ見上げるばかり。
一度も登らせてもらえなかった。
その藪も、今では一部は瀟洒な邸宅の敷地になったり、広い駐車場のある社宅となってしまっている。
道路といっても、小生がガキの頃の道は、ただの砂利道で、雨が降ると、呆気なく泥濘(ぬかるみ)になるし、そうでなくても、普段からデコボコの道だった。
たまに車などが通ると、普通車だし、そんなに速いスピードで駆け抜けているわけじゃないのに、我が家が振動で揺れる!
→ 種を蒔いた野菜や花がほぼ全滅と見られたので、3本だけ、苗で植えたナス。今のところ、順調に育っていて、画像にあるように、ナスの実が一つ、生っている。
車と言えば、当時は、表の街道から逸れて我が家に通じるわき道に逸れるのは、数台に一台は我が家を訪ねる車だった。
それほど、近隣を訪ねる車が少なかったのである。
その砂利道を八歳か九歳の頃に買ってもらった自転車で駆け回った。
それまでは、近所のガキ連中と一緒になって、野球や缶蹴り、縄跳び、かくれんぼなどをして遊んだり、駆け回るのがせいぜいの毎日。
最初に買った時には自転車に補助輪がついていて、我ながら格好悪いと思いつつも、どうしようもない。
同年齢のガキどもは大概、補助輪は卒業している。
近所の遊び仲間も、同年齢だと、補助輪などなくて、颯爽と駆け抜けていく。
何歳の頃だったかはっきりは覚えていないが、或る日、近所のお兄さんに自転車の乗り方の指導をしてもらうことになった。
← マリオ・バルガス=リョサ/著『世界終末戦争』(旦敬介/訳) 三週間余りを費やして、本日、読了。この本を読まずしてブラジルを、南米を語るなかれ、と言いたくなるほどの、重厚長大な本。堪能。読む満足感、たっぷり。本書の訳者である旦敬介氏の解説は、小説の背景を知るに参考になる。この解説を読んで、ジョアン・ギマランエス・ローザの『大いなる奥地』(中川敏訳 『筑摩世界文学大系83』)や文豪エウクリデス・ダ・クニャ(Euclides da Cunha)著の『セルタンゥ(Sertao)』を読みたくなった。後者は、翻訳はあるのだろうか。
小生より三歳か四歳、年上のお兄さんだったけど、随分、大人に見えた。
大人すぎて、普段のガキ連中の遊びの輪からは、とっくに卒業している。
そう、当時は藪だった区画の中の見上げるばかりの木の上に隠れ家を作っていた、あの兄さんである。
小生の大好きな兄さんだった。
高校に入って、柔道部に入部。
が、先輩方に生意気と見られたのか(ハキハキとした性格で、自分の意見をはっきり言う)、制裁を受け、腰を痛め、高校を中退、一時期、人生を棒に振った、とも聞いていた。
その後、立ち直ったようだけど。
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